第62話 Chocolate Kiss

「開けろオラァ!!」


 けたたましいノックに出ようとして扉に近づくと、唐突に仮眠室の扉が蹴破られ、ビクッと驚く。

 目の前にはコート姿の桃火と雪奈の姿があった。


「ウィーウィッシュアメリクリスマス!! アンハッピーニュヤー!!」


 唐突に桃火は謎のクリスマスソングを歌いながら遼太郎を右ストレートで殴り倒した。


「えっ? えっ?」


 クリスマス関係ないし、なんで殴られたのかもよくわからないし、頬を押さえたまま遼太郎は混乱しっぱなしだ。


「ごめんね遼太郎君。桃火テンパっててさ」

「は、はぁ」


 そういう雪奈の頬もほんのりと赤い。


「暑いですか?」

「大丈夫、こっちのタイミングでやらせて」

「?」

「ほら雪奈、あんたが言い出したことでしょ。やるわよ」


 桃火は着ていたコートを脱ぎ捨てると、下からピンク色のビキニ姿が露わになる。雪奈もそれに続いてコートを脱ぐと、首元をクロスさせた純白の水着姿になる。

 白い肌に桃のような果実を実らせた桃火と、ウエストに巻かれたリングチェーンがセクシーな雪奈の二人は頬を赤く紅潮させ”勝負”に来ているというのは一目瞭然だが、それがこの朴念仁が気づくかと言われれば別の話だ。

 本当にわけがわからず遼太郎は段々怖くなって後ずさる。


「あの、これは一体……」

「何素で引いてんのよ」

「こっちだって恥ずかしいんだよ!?」


 なぜかキレられる遼太郎。

 屋内で水着姿って、なんでこんなにも背徳的な気持ちになるのだろうかと、目のやり場に困ってしまい天井の模様を眺めてしまう。


「いや、あの恥ずかしいなら服をですね」

「今日は何の日?」

「バレンタインですか?」

「そっ、あたしたちでどうするか考えたのよ」

「それとその格好に一体なんの意味が?」

「こうすんのよ」


 桃火と雪奈はチョコチューブを取り出すと、そのままそれを自分の胸にぶちまける。

 二人は自身の豊満な胸の上にチョコで何かを描くと、ぱんっと柔らかいものがぶつかる音を響かせてお互いの胸を正面からくっつけ合わせる。

 桃火の胸にはチョコで描かれたハートの左半分が、雪奈の胸の上にはホワイトチョコで描かれたハートの右半分が出来上がる。二つがくっつくことにより、胸の上に大きな♡が完成する


「これはオマケよ」


 半ばやけになった桃火は残ったチョコを使い、LOVEと自身と雪奈の胸に描くがEのところでチョコが切れてしまいEがFになりLOVFとわけのわからないものになっていた。


「さすが桃火ちゃん、イマイチしまらない……」

「うるさいわね、食いなさいよ」

「え、えぇぇ……」


 ただ、ここまでしてくれた意気込みは伝わったので遼太郎はついパシャリとデバイスで写真を撮ってしまった。


「それが流出したらあたしたち社会的に死ぬから、しっかり管理しなさいよ」

「その遼太郎君。そろそろ味見していただけると、僕たちもこの態勢続けるの辛い。精神ポイント的なものがガリガリ減ってく」

「ど、どうやって食べろと……」

「こうやってよ! 男らしくいきなさいよ!」


 桃火は遼太郎の頭をひっつかむと無理やり自身の胸にこすりつける。これでは食べさせているのではなく、ただ顔面にチョコをこすりつける罰ゲームのようになっていた。

 だが察してあげてほしい、桃火も大分頭が羞恥の熱でやられているのである。


「なんだか想像してたのとちょっと違う感じになっちゃったね」

「あんたが想像した通りにやると18禁よ」

「18歳未満いないからいいと思うんだけどな~」


 なんだろうこれは、舐めても良いものなのだろうか? 食えと言ったからには口をあけてチョコを入れるしかないのだが。

 このままでは顔面をチョコまみれにされて終わるという、桃火と遼太郎の黒歴史に雪奈を付け加えて新たな一ページが作られるだけだ。

 遼太郎は覚悟を決めて、かじるようにして胸に歯を立てた。


「うひゃぁ!?」


 雪奈がびっくりして飛び上がる。


「あんたかじっちゃダメよ。ちゃんと舐めないと」

「桃火ちゃん相当卑猥な事言ってるってわかってる?」

「こっちがこれだけしたんだから、あんたには最後まで全部このチョコ舐めきる義務があるんだから。時間かけてもいいからしっかり舐めなさいよ」

「はい」


 なんで怒られてるみたいになってるんだろうと首を傾げるが、桃火は別に恥ずかしいことをするのに怒ったりはしない。むしろ率先して導くタイプだ。ただ方法や、やり方を間違えると怒るだけである。

 なのでゆっくり丁寧に舐める分には何も言わず、むしろそれが本懐である。

 桃火と雪奈のチョコを交互に舐めていると、雪奈は自身の頬を押さえながら顔を紅潮させていく。


「これが母性ってやつなのかな。ボクなんか体が熱くなってきたよ」

「ただエロいことして盛ってるだけよ」

「君は本当にムードがないな……」

「そんなことないですよ。桃火ちゃん嬉しい時ひっきりなしに唇なめる癖あるんで」


 桃火は今まさに唇を舐めようとして、舌を噛む。


「な、なに言ってんのよあんたは!」

「へぇ、やっぱ桃火ってSに見えてMだよね」

「えっ、桃火ちゃんは真正ですよ」

「なに人の性癖サラッとバラしてんのよ!」

「ちなみにボクもMな方だから、二人仲良く飼われようね」


 遼太郎がマシュマロチョコを舐め終わると、追加だこの野郎と新たにチョコチューブ三本分を舐めさせられて、遼太郎は腹を押さえながら胃もたれに耐えていた。



「最後に練乳のチューブが出てきたときは、死ぬかと思いましたね……」


 二人は既にシャワーを浴びて、まるで週刊誌の盗撮を避けるようにそそくさと部屋を後にしたのだった。


「あっ、こんなところにいたでゴザル!」

「あれ、どうかしましたか?」


 岩城が血相をかえて仮眠室へと入ってきた。


「バグでゴザル、しかも結構えげついのが!」

「ほんとですか!? すぐ行きます。真田さんには言ったんですか?」

「連絡だけはしているが対応は矢島殿で止まってるでゴザル。本来姫は今日休みでゴザルからな。我々で食い止められるなら我々だけでやるべきでゴザル」


 確かにと遼太郎は頷き、急いで開発室に入る。

 そこは阿鼻叫喚で、サーバーダウンを引き起こすバグが発生したらしい。幸いまだその事象は発生していないが、いつダウンしてもおかしくないとのこと。

 矢島が開発室の中心で指揮をとる。


「緊急メンテ案内だしたのか!?」

「今出ました!」

「岩城修正プログラムはどれくらいでできるんだ!?」

「テストを兼ねて4時間ってところでゴザル」

「ド素人、お前はテスト項目上げろ!」

「はい、すぐに!」

「矢島さん再開時間何時で告知だしますか?」

「6時間だ。岩城のプログラムがちゃんと走ったらすぐにサーバーを開ける。早く開く分には文句は言われねーが、遅れるとユーザーから怒られるぞ、気合い入れてけ!」


 岩城の修正プログラムがちゃんと走ったのはメンテ開始から丁度6時間後で、メンテは告知時間から10分遅れで終了し、慌ただしく走り回った開発室のメンバーはぐったりとしていた。

 疲れ切ってデスクで突っ伏している遼太郎の隣に高畑が座る。


「おつかれさん」

「お疲れ様です」

「平山ちゃん、今日姫様見た?」

「真田さんですか? 今日休みだと聞いてますが」

「あー、じゃあまだ来てないのか……平山ちゃんこれからどうするの? 監視は岩城さんやってくれるんでしょ?」

「どうしようかな、今日はいろんな意味で疲れたので、まだ終電あるので帰ろうかと思うんですが」

「あー……その、帰らない方がいいかな」

「なんでです?」

「多分姫様来るんじゃないかな。チョコ渡しに」

「別に明日でも構わないと思うんですが」

「それは男の言い分だよ。女の子は今日中に渡したいもんなんだよ」

「と言っても、もう15日ですけどね」


 遼太郎が開発室の時計を見ると、時刻は既に深夜0時を回っている。


「ゲーム屋は寝るまでが今日だから。つっても来る保証なんて何にもないけど」

「そうなんですか。わかりました待ちます。岩城さんと交代で監視やりますよ」

「おっ、じゃあ頑張って」


 高畑は麒麟の援護射撃を果たして帰って行った。

 岩城も修正プログラムを一度失敗して、直後に全項目のエラーチェックを行ったので大分疲れが出ていた。

 遼太郎が監視を交代でやりましょうと言うと「さすが平山殿、頼れるのは貴殿だけでゴザル」と涙を流して喜んでいた。

 言えない、麒麟からチョコ貰う為に残ったなんて。

 先の監視を申し出ると岩城は早々に仮眠室に引っ込み、遼太郎は一人開発室でゲームサーバーの監視を行うのだった。


 朝チュンするくらいになって、遼太郎はようやく今日麒麟が来なかったことに気づく。

 岩城の方は仮眠室に引っ込んだ後爆睡してしまったようで、何度か起こしてみたが反応がないので結局遼太郎一人で監視することになってしまった。


「まぁ、なんというか僕らしい良いんだか悪いんだかよくわからないバレンタインデーでしたね」


 自身のバレンタインデーの総括を呟いて大きく伸びをすると、開発室の扉が開かれる。

 まだ始業には一時間以上早い。

 遼太郎がゆっくりと振り返ると、そこには驚いた表情の麒麟の姿があった。


「あっ、おはようございます」

「お、おはようございます。遼太郎さん帰らなかったんですか?」

「いや、高畑さんから麒麟さんが来るかもしれないから残っておいた方がいいと。それで監視もかねて岩城さんと一緒に残ってました」


 それを聞いて麒麟はガクッと膝から崩れ落ちた。

 しまった、昨日結構デカいバグが起きたが、矢島からこっちで対処できますと聞き、0時ごろ事態が収束したとメールを受け取ったので恐らく遼太郎は帰っただろうと勝手に思い込んでしまった浅はかな自分を殺したい。

 朝早くに来て、少しでもチョコを渡す時間を長くするために始発できたというのに全て無駄!


「私も来れば良かったー! そしたら遼太郎さんと二人で夜勤だったのにーーーー!!」

 ※岩城もいます。


 頭を再び床に打ちつける麒麟だったが、そこで我にかえる。2人で夜勤とはいかなかったが、この状態も十分チャンスである。

 すぐにチョコを、そう思いバッグを漁るが、スース―と何かが聞こえる。振り返ると遼太郎が監視モニターの前で寝息を立てていたのだった。


「はぁ……」


 そりゃ緊急メンテ後、ずっと監視は疲れますよねと思い麒麟は寝息をたてる遼太郎の隣に座る。

 麒麟はスティック型のチョコレートをとりだすと、自身の唇に薄くチョコを塗る。

 これが高畑の言っていた秘密兵器リップチョコであった。

 鏡を見て、うっすらとブラウンのチョコ口紅が塗れていることを確認すると、麒麟はそっと顔を寄せる。

 実際このリップチョコ、自身の唇に塗って相手にキスするというなかなか強烈なプレゼントなのだが、実際麒麟にそんなものを使える根性はなく、精々自身の唇に触れさせたチョコスティックを手渡すくらいのことしかできないだろうと思っていた。

 しかし、遼太郎は眠りこけてる。これをチャンスと言わずに何をチャンスと言うのだろうか。

 麒麟は心拍数をバクバクと上げながら顔を寄せるが、やっぱり寝ている人の唇にキスするなんて卑怯だなと思い、遼太郎の頬にチュッとキスマークをつける。

 今の私の精一杯はこんなもんかなと自分のヘタレ気味なところに苦笑いする。

 その時ゴトリと遼太郎のポケットからスマートデバイスが転がり落ちた。

 麒麟が拾おうとしてデバイスに触れると画面が開く。するとそこには自身の胸にハート形のチョコソースを塗った姉と雪奈の画像が出てきて、麒麟のこめかみにビキっと怒りマークが浮かぶ。


「あぁそう、そういうつもりですか。遠慮はいらないってことですよね……」





「あっ、しまった寝てた……」


 何分くらい寝ていたのだろうかと時計を見ると30分程で、しまった結構寝てしまったと遼太郎は苦い顔をする。


「しまったしまったしまったでゴザルぅ!!」


 けたたましい声を上げて、岩城が開発室に走り込んでくる。寝起きだったようで、仮眠室の枕とシーツを抱えているところが彼の慌て具合を物語っているだろう。


「爆睡してしまったでゴザル! サーバーは大丈夫でゴザルか!?」

「大丈夫ですよ。僕もちょっと寝てしまいましたけど、正常稼働中です」

「良かったでゴザル。平山殿、拙者の身を気遣っていただけるのはありがたいでゴザルが夜勤の時は起こしてくれていいのでゴザルよ」


 起こしたんだけどなと思いつつも、それは胸の中にとどめておく。


「む、平山氏、チョコでも食べてたでゴザルか?」

「えっ? メンテ始まる前に少し食べてましたけど」

「メンテ前は口にチョコなんてつけてなかったでゴザルな」


 言われて遼太郎は鏡を見ると、頬にキスマークに見えるチョコ跡と唇にべったりとチョコがついているのがわかる。舐めてみると甘い。間違いなくチョコだ。


「なんだろ、昨日は夜食もとってないんですけどね」


 遼太郎は無意識にポケットに手を突っ込むと、口紅のようなリップスティックが見つかる。


「なんだこれ?」


 リップスティックには紙が巻き付いている。広げてみるとValentine day Present for Me 真田麒麟と書かれている。


「for me? for youじゃなくて?」


 よくわからないがリップスティックのキャップを外すと、そこには小さくなったチョコの欠片がくっついているだけだった。


「もうないでゴザルな」

「なんだろ真田さん自分で食べちゃったのかな」


 そんなわけないと思うのだが、遼太郎はふとスマートデバイスを見ると画面にも何か紙が貼られている。


「ご馳走様でした……なんのこっちゃ」


 デバイスの画面を開くと、そこにはチョコスティックを自身の唇に塗りながらピースしている麒麟と、隣で寝こけている間抜けな自分の姿が写し出されている。

 果たしてこのチョコスティックは一体何回塗り直しすればなくなるのだろうか。

 そのチョコは一体誰の唇から誰の唇に移ったのだろうか。


「…………何も見なかったことにしよう」



麒麟のバレンタイン作戦  了

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