象牙色の花園 ガールズ・ミステリー
平坂 静音
第1話 金魚ちゃん
(あの子、また、来てる)
ピアノの鍵盤の上に、ゆっくりとほそい指をすべらせながら
自習室の小さなピアノは、休み時間には生徒が自由に使っていいことになっており、ここで昼休みにショパンのノクターンを弾くのが、学院で過ごしたこの一年、玲美の習慣となっていた。もっともいつまでたっても、つたないままなのだが。
「どうしたの?」
親友の
「ほら、あの子、また来てるの」
「ああ、金魚ちゃんか」
金魚ちゃん――。
ふたりは最近、昼休みのこの時間によく見かける女の子に、そんな名前をつけて話題の種にしていた。名前の由来は単純。彼女が立っているフェンスの金網ちかくに、金魚草の咲いている花壇があるからだ。
それと、いつもひらひらのフリルのピンクのワンピースすがたの彼女そのものが、一輪のおおきな金魚草を思わせるからだ。
「近所の子なのかしら?」
「まだ小学生よね」
摩子も窓辺によって少女をうかがう。ふたりに気づいたのか、両手でフェンスの金網をつかんだ彼女が、照れくさそうにはにかんでいるのが玲美にもわかった。
「可愛い子ね」
「声、かけてみようか?」
「だめよ、舎監に見つかったら怒られるわ」
規律のきびしいこの学院では、生徒は部外者とみだりに口をきいてはいけないことになっている。
「こんな山奥の全寮制の学院にとじこめられて、わたしたちってまるで修道女みたいね。つまんないわ」
摩子がうんざりしたようにため息をこぼす。
「〝山下看守〟に聞かれたら怒られるわよ」
玲美は笑いながらたしなめた。摩子もにやりと笑う。口うるさい中年の舎監教師を、ふたりは影で〝看守〟と呼びならわしていた。
「本当に修道女か囚人みたいね、わたしたちって。最後に学院以外の人間と口きいのたって、いつだった?」
摩子がなげくように天井をながめた。
「先月の十五日。月一回の面会日にお母さんと会ったときね」
「玲美は、お母さんが来てくれたんだ。よかったわね」
玲美は唇をかるく噛んだ。摩子の家族はだれも来ていなかったのだ。
「金魚ちゃん、やっほー」
聞こえるわけがないが、金網のむこうに立っている少女にむかって摩子がふざけて手をふった。
少女も手をふりかえした。笑っている。木漏れ日が少女を祝福するかのようにふんだんにふってきて、ここからでも色白としれる肌をいっそうかがやかせている。
「美術の教科書にのっていたルノワールの絵みたいね。近所の子なのかしら?」 少女の顎のあたりで切りそろえられた亜麻色がかった髪が、かすかに風にゆれるのを見て、摩子がうっとりと一重の目をほそめる。
「この辺りに家なんてあったかな?」
玲美は、五十分以上もバスにゆられて最初に学院に来た日のことを思い出し、いぶかしんだ。
人里はなれた森の奥に建つ赤煉瓦づくりの校舎を見た瞬間、本当に修道院に送りこまれた気がして、暗澹たる気分になったものだ。ここは塀にかこまれ外界から隔絶された、まさに尼寺だ。
将来、きっとここで学ぶことがおまえにとって役にたつからと、自分をこんなところにほうりこんだ両親に本気で腹がたったのを、昨日のことようにおぼえている。
「金魚ちゃん、今日の服も可愛いね」
聞こえるわけがないのに、摩子はそんな言葉を口にする。
「いっつも、フリルのついたブラウスね」
玲美はみょうに感心してしまった。院内ではいつも地味な白シャツと紺のスカートしか着られないので、女の子らしい華やかな色の服がうらやましくもあった。
「でも、ちょっと派手すぎない?」
摩子が首をかしげて苦笑した。
たしかにピンクのブラウスは少女に似合っていて、フランス人形のように愛らしく見えるが、派手なことはいなめない。やや違和感もある。こんな地方の小学校で浮いてないか、よけいな心配をしてしまう。
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