第25話

 地上に溢れるすべてのものへと感覚を集中させるということは決して容易なことではない。造られたものに囲まれて生活するような移民の多くはその大自然を表面的にしか見ることができないでいる。その地が持つ力、エネルギー、今のアーニャが感じているものは恒久的にそこに存在しているが、それを感じ取ることを忘れてしまった人間がいざそうしようと思っても自然は何一つ人間には教えてはくれない。

 アーニャはそれをやってのけるが容易だとは言い切れなかった。見えているはずの淡い光は時折消えそうなほどに弱くなったり眩しいまでに光り輝いたりしている。

 カイルがもしこれを見ようとしているのなら後者の光景が彼の目には映るだろう。

 アーニャの視界は不安定だ。視界を保つことがやっとだった。


 立ち止まり、数回まばたきをする。視界が安定するまで何度か感覚を集中させる。白みがかった青い光はこの場所で最も色濃く輝いている。その光の中へと足を踏み入れてみたがこの地が放つ重圧のようなアーニャに対する影響はなかった。

 最果ての中心部。円形にくりぬかれた大地の真ん中でアーニャは立ち尽くす。


「ここが宝の在処みたいね」


 アーニャはカイルの馬から持ってきたスコップを地面に突き立てる。その背後から足音が聞こえるとアーニャはその手を止めた。


「探したよ。ハニー・バニー。こんな遠くまで歩いてきたのかい?」


 やってきたのはアレンでもヒイロでもなかった。やってきた紺色のコートの男を見て何があったのかを察しどうにか平静を装う。二人はこの男に負けてしまったのだろうか。半分彼を見くびっていたのかもしれない。まさかここまでやるとは思わなかった。


「ええ。撃ち合いは怖いもの。二人はちゃんとやっつけたの?」


「ああ」カイルは悪びれもせず笑う「もう襲ってこないよ」


 視線の先のアーニャはスコップを手にしている。謎の淡い光が最も濃く見える場所。おそらくはこの場所がそうなのだろう。老人の言ったことに嘘偽りはなかった。

 いや、それよりも。

 彼女にもこの光が見えているのか。彼女がこの土地に入ってから重くなった感覚を覚えていたのは知っている。だが、この光を追えるほど彼女はフローディアに近しい人間なのか。

 ・・なんだっていい。話は早い方が良い。


「手伝うよ」


 一瞥してからカイルはアーニャとともに地面を掘りだす。

 この男の思考がどこまで回っているのかアーニャには理解できないでいた。自分がスコップを突き立てたのを見たのなら何かしら思うところがあるだろう。彼は何も言わなかった。今も時折こちらを見ては微笑んで土を掘り起こしている。


 正真正銘の馬鹿ね。心の中でアーニャはそう呟いた。


 スコップの先が硬質な音を立てて何かに当たるまで半刻ほどかかった。そこから先は慎重に土を掘り、宝の全貌が現れるのを待った。

 それよりも先にアーニャには嫌な予感が迫っていたが。


「これ・・・棺桶じゃない?」


「だろうね」


 灯りが不十分なので言い切れはしなかったが刻まれた十字架を見て口から力と魂が抜けそうになった。眠っていたのは宝ではなく見知らぬ誰かさんだったのだから。散々な結果に終わってしまったらしい。


「吸血鬼に騙されたんじゃなくて?」


「いや・・」


 カイルはなおも土を掘り起こし棺桶の表面の砂を手で払う。

 カイルは思う。まさかではなく、やはり。そして棺桶の中で眠るものの名を呟いた。


「ジャンゴだ」


「知ってるの?」


「知ってるも何も俺自身だよ。彼自身と言った方が良いかもしれないが」


 アーニャの上にはクエスチョンマークが浮かんでいる。だが納得のいく回答は得られずに当のカイルは棺桶を引っ張り出そうと試みている。


「まさかそれ開ける気じゃないでしょうね」


「開けるに決まってるだろう?俺はこいつを取り返しに来たんだ」


 アーニャは大きなため息をついた。何日もかけた宝探しがものの数分で単なる墓荒らしになってしまったのだから。カイルは棺桶を地面から引き揚げた後でその扉を開いた。良くて聖人のミイラか何かが出てくるだけの扉。かび臭さと埃をまき散らしながらガタンと扉が開く。

 アーニャの視界からとうに淡い光はなくなっていたが、扉を開けた瞬間それが戻って来た。激しい光、見たというよりも見せられたと言った方が正しかった。


 アーニャの想像とは裏腹に棺桶から出てきたものは一本の剣だった。月の光を吸収しているかのように剣先はまばゆく光っている。

 鋼や鋼鉄といったちゃちなものではない。アーニャにはすぐに分かった。この剣は銀で出来ている。

 奇抜な装飾も一切なし、柄も最小限のデザインに収められたそれは剣先を地面に突き刺すと作られた影はまさしく十字架のそれだった。


「こんなところにあったのか」


 なるほど。あの老人は先代の命にも等しいこの剣を奪っていったのか。先代を怒らせてえげつない仕打ちをあの吸血鬼に与えたのも、先代があっけなく他の吸血鬼に殺されて最期を迎えてしまったのも、いまこうしてジャンゴの名を知らぬ吸血鬼が跋扈しているのにもこれで納得がいく。


 剣を鞘に納めて立ち上がると目の前にはアレンが立ちふさがっていた。亡霊のように突然現れたアレン。亡霊のように、ではなく実際に彼は亡霊なのだ。気づけなかったのは彼が亡霊だからかここが最果てだから。そのどちらともいえる。


「・・もう亡霊になって俺を追ってきたのか?あんたの執念深さには参ったよ」


「誰がいつ死んだって?今度こそお前を追い詰めたぜ。おとなしく両手をあげな」


「追い詰めるって・・悪いがいくらでも逃げ道は見えてる。あんたを殺す手が一番早いかもな・・・・・・亡霊だから死なないのか。参ったなこりゃ」


「いくらでも減らず口叩いてろ。今度こそ手前は逃がさねぇ。ハッタリでもなんでもねぇぞ。紛れもなく純度百パーセントの真実だ」


「大層な自信だが、それはどっから湧いて出てくるんだ?そんななら人生幸せだろうな。あんたがうらやましいよ全く」


「真実はいつも一つ。『俺はツイてる』『お前はツイてねぇ』」


 カイルの後頭部にデリンジャーの銃口が当てられる。彼女の息が首に当たるほどの至近距離だった。


「ごめんねぇヴァンパイアハンターさん」


「・・ハニー・バニー?」


 カイルは仕方なく武器を捨てて両手を上に上げる。銃を抜けばどんな形であれ彼女を傷つけることに繋がる。それだけは絶対に避けたかった。彼女がこいつらとグルであれ、あの涙の膜が嘘であれ、天使のような笑みが偽りであれ、彼女という気高い薔薇は今ここに存在し息をしている。それだけは嘘偽りのない事実だ。


「勝負に負けた気分はどうだ少佐」


 勝ち誇るアレンの足元へと唾を飛ばしてからカイルは吐き捨てた。


「最高だね」





 夜明け。

 フローディア北部でひっそりと生命のオアシスとなっているパーカー湖の畔へとリックはやってきていた。予測不可能な襲撃があるとされる状況では、ハモンドの一味は必ず水辺を背に休憩をとっていた。

 それを希望にあれから数十キロ、何時間も馬を走らせてたどり着いた湖にそれはあった。

 湖から立ち込める朝もやの中、二台の幌馬車の近くで見知った顔がたき火でシカの肉を焼いている。リックが近くまで来ると音に反応してライフルを構えたまま近くまでやってきた。


「誰だ!!答えないと撃つぞ!!」


「僕だデイビス・・。リック・ハモンドだ」


 両手をあげながら少しずつこちらも近づいていく。父の古い親友であるデイビスのやつれた顔が視界に入ると残された片目から涙が零れ落ちた。


「・・そんな、まさか」


 背の低い草原を小走りで踏みつけながら仲間がボロボロのリックと再会する。


「リック・・!!よくここまで・・!!その傷はどうした・・?奴らにやられたのか?」


「いいんだ。心配しなくていい。それよりボスは・・」


 デイビスは幌馬車の方へ向き直った後でリックに告げる。


「・・まだ生きているよ」


 生存の報告。それなのに彼の言葉はどこか重々しく、リックも素直に喜べないでいた。



 幌馬車の中に入ると上半身を裸にして横になったハモンドの姿とその横で濡れたタオルをハモンドの体に当てている側近の姿があった。


「リック・・お前・・」


「ああ、無事だったよスコット。それより父さんは・・」


 幌馬車に入った瞬間、殴りつけられることを覚悟していた。襲い来る痛みを真っ向から受ける準備はできていた。今、目の前にいる父は自分を色素の薄くなった瞳で捉えているだけだ。その瞳には恐怖も力強さも感じられなかった。まるで別の人物の瞳が父の顔に埋められたようだった。


「ボスは・・火事で逃げ遅れて、どうにか一命をとりとめたが喉が焼けちまった。体には重度の火傷だ。動くことすらままならねぇ。意識だってさっき取り戻したばかりだったんだ」


「・・・そんな」


 父の顔を見る。口は半開きになっているが小さく微かに呼吸をしているだけで口元は動いていない。瞳は自分の方へと向いているが自分を見ているのかどうかは分からない。

 シディアから武器を輸送する時から今日この時までをすべて父に打ち明けたかった。いい報告は一つもない。殺されても仕方がない失敗続きの数日間。それでもすべてを父に話したかった。

 今の父は何を思っているのか。何も思っていないように思う。ただ生きている。それだけなのだろう。


「これからどうする」


 リックはスコットに尋ねる。


「ボスがこんなだ。本当を言えばあんたが引き継ぐべきなんだろうが今は俺とデイビスに任せてくれ。・・・とは言ってもまだ何も考えちゃいないがな。とりあえず追っ手の来ないところまで逃げることに専念しよう」


 ハモンドはそれに対しても何も言うことは無かった。数日前の父なら怒り狂ってスコットを湖に沈めただろう。


「武器の輸送は失敗に終わったみたいだな」


「ああ。列車を襲撃された。だからこんな結果を招いた」


「自分を責めるんじゃねぇリック。こういうのはいろんな出来事が重なって起こるもんだ。全部お前が背負う事じゃねぇさ」


 リックは小さく頷いた。だがそれを飲み込んだわけではなかった。自分の甘さがこの結果を招いたのだ。一悪党として歯を突き立てなかった報い。


「隣の幌馬車には?」


「若い連中が三人。歳食ってんのは俺とデイビスだけだよ。あとはみんなあのサルーンで殺されちまった」


 そこに父と自分を足せば七人だ。五十人近くはいたハモンドの一味が今ではたった七人とは。喪失感を覚える暇さえありはしない。


「・・これからどうするつもりなんだ?」


 リックはもう一度スコットに尋ねた。スコットはその意味を理解してしばらくの間を置いてからリックに返す。


「・・もう、終わりしか見えねぇよ。たった七人で何ができる?あの砂塵のハモンドは酷いけがを負ってしまった。ボスのいない俺たちなんてただの悪党崩れだろ。逃げるとこまで逃げて・・あとはできるだけ平和に暮らすんだ。幸せじゃなくていい。俺たちは悪党なんだからそれは望んでない。だから平穏さえあればそれでいい。なぁそうだろリック?」


 リックはまっすぐにスコットの目を見つめる。スコットは自分のような臆病者ではなかった。今一味が置かれている状況を判断したうえでの発言なのだろう。それはリックにもよく分かっている。だがリックは彼を否定する。


「傷はどうする?」


「な・・傷・・?」


「僕たちがやつらに付けられた傷はどうする?殴り返す勇気がないからこのまますべてを忘れるのか?一味のことも、受けた仕打ちの事も」


「だからって、俺たちが反撃したところで何になる?何もない。全員死ぬだけだ。お前だって列車を襲われたときに見たんだろう?仲間たちの死体を。そこに何があった?何もない。無だ」


「逆に聞くけどさスコット。僕たちがこの先平穏に暮らしていて何になると思ってるんだ?自分たちが何者かも、何を成したのかも、何をされてこうなったのかも・・・すべてを忘れて生きていたところで何になるってんだよスコット・・!!」


 リックは声を荒げていた。スコットは目を丸くしながら震えるリックを目に焼き付けていた。


「僕たちはまだ悪党崩れじゃない!!ハモンドの一味だ!!その誇りを失うまで僕たちは徹底的で容赦もないハモンドの一味なんだよスコット!!僕たちのやり方を忘れたか!?死んでも殺すんだろ!!ここにいる人は、僕の父さんはそうやってここまで生きてきた!!!そうやって恐れられてきたんだよ!!」


 リックはいつの間にか掴んでいたスコットの襟から手を離した。スコットの瞳は大きく開き、体はわなわなと震えている。


「・・ごめん。僕が言うべきじゃないって分かってるけど、でも僕はそうしたいんだ。父さんならきっと同じことを言うと思うから」


「・・・俺が間違ってたよリック。すまん。ボスはまだここにいる。ああ・・俺は・・なんてことを・・」


「いいんだスコット。誰だって父さんのように恐れを知らないわけじゃない。みんな何かを恐れてるんだ。それと向き合う事さえできれば少しでも父さんに近づける」


 スコットは床から一本の煙草を拾い上げて火を点けてからリックに尋ねる。


「お前・・この数日間で何があった?」


「・・恐怖と向き合った。痛みを知ったんだ」


 ふいに自分の膝にハモンドのごつごつした手が当たる。ハモンドは口を閉じて小さく笑っていた。


 ハモンドが普段見せるような表情ではなかった。しかし、違和感はなかった。ハモンド一味のボスとしての顔ではない。リックの父親としての表情をリックは初めて見たのだと思った。

 汗を拭うふりをしながら涙を拭い、立ち込める朝もやの中の小鳥の鳴き声を静かに耳に入れていた。

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