さてと……




 樹海へいく途中、浅海がいろいろと昔の話をしてくれた。


「だから、私、人を殺してしまったんじゃないかと思うんです」


 そう締めくくった彼女に、亮灯は前を見たまま言う。


「大丈夫。

 人は簡単に人を殺したりできないのよ」

と。


 いや、不幸なことに、陸たちには簡単すぎたようなのだが、と思ったが、黙っておいた。


 浅海が志貴よりも亮灯の方を頼りにするように見ていたからだ。


 逆境を乗り越えてきた女の強さが同じ女としてわかるようだった。


 いや、乗り越えてきたというか。


 ズタズタに踏みつけてきたというか。


 まあ、それも彼女の強い精神力あってのことだろうが。


 雨はほとんど止んでいたが、何処からともなく這い出してきたような霧が視界を遮り始めていた。


 だが、これがあれば、恐らく、鈴の音の場所にはたどり着く、と晴比古は、濡れた白い糸に触れてみた。


「鈴の音、聞こえなくなりましたね」

 志貴が言う。


「急いだ方がいいわ」

と樹海の中の湿った足許を物ともせずに進む亮灯が言った。


「鈴が一度鳴って、止まった。

 恐らく、揉めてる」


「え?」

と浅海が彼女を見る。


 糸の先には、確かに、浅海の言う防空壕らしきものがあった。


 木の扉はガッチリと閉まっている。


「下がってて」

と亮灯は言い、扉の前に行った。


「……早希さん、陸、出て来て」


「え、早希さんって」

と浅海が晴比古を見た。


「ちょっと事情があって、陸が早希を連れて逃げてるんだ」


 生きてるんだ、よかった、という顔を浅海はした。


 口調はきついが、そういう顔を見ていると、本当に普通の高校生のようだった。


「陸は、戻れるかもわからない樹海の中に入っていけるような男じゃない。


 恐らく、この糸を見つけたんだ。

 それで、防空壕にたどり着いた」


 だが、亮灯の呼びかけにも返事はない。


「陸っ。

 蹴破るわよっ」

と言いながら、亮灯は既に扉を蹴っていた。


 割りかねない勢いだ。


 新幹線のホームでの一件といい、こいつ、やるわよ、と言ったときには、もうやってるからな、と思いながら見ていた。


「……で、出たくないらしいんだ」

と陸の声がした。


「出たくないって、早希さんが?」


 そう、と早希に怒られるのを恐れるように小声で陸が言う。


 前門の亮灯、後門の早希。


 絶体絶命だな、と思って見ていた。


 俺が陸の立場でなくてよかった、と思いながら。


「陸。

 こんなことしてたら、あんたが白骨死体になるわよっ」


「なんでいきなり白骨死体だよ」

と言う陸に亮灯は、


「私が今から、この糸、回収して帰るからよ」

と言う。


「あんたたちはもう何処にも行けないわ」


 ……本当にやりそうだ。


 その横顔を見ながら思っていた。


「他の人を殺すつもりだったのに、まさか、貴方たち二人を殺すことになるとはね」


「深鈴ちゃん、ちょっと~」

と晴比古にとっては、もう遠くなった気がする名前で、陸が呼ぶ。


「いいじゃないの。

 最後まで二人で仲良くそこに居なさいよ。


 外に出るのなら、志貴さんと中本さんに上手いこと言ってあげるけどね。


 先生、いい弁護士さん、紹介してあげられますよね」

といきなり振られ、


「あ……ああ」

と返事をする。


「駄目よ、陸っ!」


 早希のものらしい声がした。


「出ないわよっ。

 またそんな女の甘言に乗らないでっ」


 さすが、女の方が賢いな、と思っていた。


 亮灯が根拠もなく、つるつる言いくるめようとする人間だと感じ取っているようだった。


 ただ、今回ばかりは、亮灯の言うことが正しいのだが。


 今すぐ出て来た方が彼女らのためだ。


 それがわからないほどの莫迦ではあるまいが、と思っていると、早希は言い出した。


「みんなの前でこんなこと言えるもんですかっ。


 この旅行で、陸と結婚するの、発表するつもりだったのよ。


 そのために、今まで、陸のこと隠してきたんだから。


 誰より先に私が結婚するはずだったのに」


 いや、順番とか、どうでもよくないか?


 女には大事なことなのか?

と思い、辺りを窺ったが、亮灯も浅海もそこはどうでもよさそうに聞いていた。


 あのさ、と亮灯が冷静に語る。


「陸なんかと結婚したら、真っ先に結婚どころか、真っ先に離婚することになるわよ」


「しないわよっ、離婚なんてっ。

 だって、好きなんだものっ。


 定職定まらなくても、浮気癖があっても、好きなんだものっ」


 それを聞いた亮灯が言う。


「陸……早希さんと絶対結婚するのよ。

 こんな相手、二人と居ないわよ」


 わかった、と陸が言う。


「貴女の決意はわかったわ。

 でもね、貴女はみんなを羨ましがらせたかったのかもしれないけど。


 陸と結婚するなんて言ったところで、誰も羨ましいなんて思ったりしないわよ。


 確かに見てくれはいいかもしれないけど」


 こいつ、ほんとに、ろくなこと言わねえな、と思いながら、晴比古は聞いていた。


 亮灯は地の底まで早希を叩き落としておいて、優しく囁くように木の扉に寄り添い、呼びかける。


「ねえ、出てきて。


 誰も貴女を笑ってない。


 誰も貴女を責めてない。


 ……こともないかもしれないけど」


 そこは言い切れっ、と思った。


「早希……」

と後ろから声がした。


「早希っ、出て来てっ。

 誰も貴女を笑ってなんかないよっ」


 振り返ると、早希の友人たちが立っていた。


 中本が後ろについている。


 彼が連れてきてくれたようだった。


「出て来て、早希。

 一緒に警察に行こう」


 返事はない。


 が、先程までのように、反抗的なことを言い返してきたりはしなかった。


 強がってはいるが、恐ろしいのだろう。


 弾みとは言え、自分が人を殺めてしまったことが。


 だから、その事実を認めたくないのだ。


 晴比古は、ひとつ、溜息をつき、亮灯の前に出ると、木の扉をノックした。


「早希。

 そこから出たら、志貴がキスしてくれるらしいぞ」


 阿伽陀先生~、と志貴に睨まれる。


 いや、結構効果ある気がするんだが。


 亮灯は反応せずに扉を見つめていた。


 だが、無表情なその横顔を見ながら、……怒ってますか? 怒ってますね、と自分で思う。


 だが、今は亮灯の怒りを気にしている場合ではない。


 扉の前にしゃがみ、

「手を出せ、早希」

と言った。


「お前の手相、占い損ねた。

 俺が見てやるよ、お前の未来」


 そんな暇なことを、と中本などは思ったかもしれない。


 だが、やがて、小さく扉が開いた。


 そこから、大人の女にしては、小さな手が覗く。

 ちんまりとしたそれが子供のもののように感じられて、微笑んでしまう。


 人を殺めてしまったことを受け止めるには、小さすぎる手だ。


 だが、きっと、陸が支えてやれる。


 考えなしなあいつだからこそ、世間体など考えもせずに。


「よし」

と手を掴んだ瞬間、くらりとした。


 早希が女を殺す瞬間が見えたからだ。


「先生っ」


 よろめいた身体を亮灯が支えてくれる。


「大丈夫だ」

と肩に触れたその手を叩いた。


 亮灯が手を離す。


 気のせいか。


 今、早希の心が見えた気がした。


 今まで、そんなもの感じないで済んでいたのに。


 だとするなら、この力をこれから使うのは、厄介だな、と思っていた。


 他人の心の闇に触れることをなにより、恐れていたのに。


 だが、それを表情には出さずに、早希の手を握った。


「……カッとなりやすいな、お前」

と言うと、早希は手を引っ込めようとする。


「いや、待て待て」


 覚えたばかりの手相の線が光を放っているように見える。


 なにかが助けてくれてでもいるかのように。


 浅海の本に載っていたことに、早希の先程からの反応を交えて語ると、早希は黙って聞いていた。


 最後に、

「おっ」

と晴比古は少し笑って言った。


「お前、長生きだぞ」


 呑気に笑っていると、扉が開いた。


 出て来た早希が抱きついてくる。


 そのまま、泣き始めた。


「ああっ。

 早希っ!」

と後ろで陸が咎めていたが、口許に指先を当て、黙れと指示する。


 自分と一緒に逃げている陸ではない誰かに触れたかったのだ、きっと。


 ……たぶん。


 早希はしがみついたまま動かなかった。


「早希……」

という友人たちの声に、彼女はようやく顔を上げる。


 背を押すと、早希は彼女らに向かい、一歩踏み出した。


 中本のところに行った晴比古が言う。


「わかってたんですね、中本さん」


「まあ、なんとなくな。

 何年刑事をやってると思ってるんだ」

という言葉は、自分ではなく、志貴に向かって言っているようだった。


 少し厳しい顔をしている。


 もしかしたら、中本は、志貴の真実を知っているのかもしれないと思った。


 中本は亮灯を見、

「お嬢ちゃんも、無茶は大概にせんとな」

と言ったが、それ以上の追求もせずに、そのまま、陸を連れて行ってしまった。


「え、俺?

 なんで、俺だけ?」

と陸はきょときょとしていたが、一番考えなしに喋りそうだからだろう。


 早希を慰めながら、友人たちも付いて行った。


 それを見送ったあとで、

「……さてと」

と亮灯が言う。


「開けてみましょうか」

「やっぱりか」


 亮灯は、例の防空壕を振り返っていた。







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