ちりん……ちりん……

 

 



 少し雨が降り出していた。


 ホテルで借りた傘が樹海の木々の隙間を抜けてきた雨をパラパラと弾く。


 亮灯は神妙な顔で、志貴は愛想のない顔でその遺体の前に立っていた。


 ほんとこいつは、犯罪に向いてねえよ、と志貴を見ながら晴比古は思う。


 バレないようにと言いながら、志貴は、どうにも自分に対して、顔が作れないようだった。


 明らかに機嫌が悪い。


「志貴」

とつつくと、


「なんですか」

と抑揚もなく返してくる。


「なんで機嫌悪いのかとか人に訊かれたら、どうするんだ?」


「そうですね。

 貴方と助手の深鈴さんを取り合ってるので、でいいんじゃないでしょうか」


「会ったばっかりじゃないか。

 恋に落ちるの早すぎだろ」


 志貴は骨になった『深鈴』を見たまま、


「早くはないですよ。

 僕は初めて彼女に会ったとき、見た瞬間に恋に落ちましたから」

と言う。


「そうか。

 俺は最初に会ったときは、素っ頓狂な女だなー、と思ったんだが」

と言うと、少し笑ったようだった。


 おお。

 やっぱり綺麗な顔だな、と思う。


 雨が似合う。


 たぶん、亮灯より、俺の方が志貴の評価高いぞ、と思っていた。


「今、笑ったろ」

と言ってやると、少し赤くなり、


「笑ってませんよっ」

と言い返してくる。


「やあやあ、仲良しですね」

と言いながら、中本が現れた。


「すみません。

 うちの深鈴が同姓同名のよしみで、手を合わせたいと言うもんですから」

と言ったが、肝心の深鈴はぼんやり立っていて、手など合わせてはいなかった。


「若い娘さんだったみたいなのに。

 自殺かね?」

と中本はやるせなさそうに言い、


「帰り、迷わないようにしてくださいよ。

 志貴、ちゃんとご案内してな」

と言って帰ってしまう。


「不思議なものね」

 骨を見つめて亮灯は呟く。


「私たちが幾ら探しても見つからなかったのに」


「『深鈴』がお前を止めようとしてるんだろ。

 自分の名前を使って殺人をするなって」


 そう言ってみたが、亮灯の瞳は揺らがなかった。


「そういえば、陸を捕まえないとな」


「たぶん、その辺に居ますよ。

 早く捕獲して、出頭させないと。


 逃げれば逃げるほど、出て来にくくなるのに。

 子供の頃、学習しなかったのかしら」


 いや、親に叱られたのと、殺人は違うだろ、と思いながら、聞いていた。






 



「……居ませんね」


 そう呟き、食堂に志貴が現れた。


 あれから、樹海で、迷わない程度の近場を探し、ホテルの中ももう一度探したのだが、陸も早希も居なかった。


 本棚の前のロッキングチェアのひとつに腰掛けた亮灯が、

「おかしいわね」

と呟く。


「確かに、此処には入ったら見つからない樹海がある。

 一度見つけた死体が二度と見つからないくらいの森がね。


 でも、陸はああ見えて臆病だから、帰って来れなくなるような場所には入っていかないと思うのよ」


 ああ見えてって、まあ、見たまんまだが、と晴比古は思っていた。


 ガタイは悪くなく、調子のいい奴だが、目は仔犬のようだ。


「心配だな。

 間違って、奥まで入り込むことはあるから」

と志貴が言うので、


「なんだ。

 ちゃんと陸の心配してるんだな」

と言うと、


「ええ。

 まだ殴ってないですから。


 何年か経って、白骨死体殴っても痛くないでしょ。

 僕が痛いだけで」


 そこで亮灯が笑い出した。


 なに? と志貴が見る。


「いや、志貴がしゃれこうべ殴って、痛がって飛び回ってるとこ想像しちゃった」


 やりそう、と言ったあとで、

「笑ってる場合じゃなかったわね」

と言う。


 いや、まったくだ。


 家族を殺されて以来、まともな精神状態になかったせいだろうか。


 どんな状況でも、亮灯は落ち着いている。


 だから、今までの事件の推理も上手くいっていたのかな、とちょっと思った。


「でも、陸の死体があったからって、魂がそこにあるとは限らないわ。

 ほら、先生だって、即身仏だったのが、生まれ変わってるって言ってるもの」


「……志貴、今、鼻で笑ったな」


 いいえー、と言うが、こちらの被害妄想かもしれないが、小莫迦にされているような気がする……。


「魂が入ってない、か。

 だから、お前、さっき手を合わせなかったのか?」


 亮灯にそう訊くと、

「違います」

と言う。


「私が手を合わせるのも申し訳ないかな、と思って。

 勝手に名前を使わせてもらって。


 先生はなにも書類を要求して来なかったから、結局、名前だけで、あの人の戸籍はいらなかったんですけどね。


 それでもなんか……悪いなあって思って。


 しかも、あのあと、私は彼女の遺体を探したけれど、それは、彼女の供養をするためじゃなく。


 今回見つかったみたいな身許を証明するものが彼女の側に残されてないか、調べるためだったし」


 そこで亮灯は言葉を切った。


「なんかいろいろ申し訳なくて。

 でも、今になって、あんなに探しても見つからなかったあの死体が出てきたのは、やっぱり運命なんでしょうね」


「だから言ったろう。

 深鈴の名前で殺人を犯すなと言ってるんだよ」


 椅子に深く腰掛けた亮灯は、天井を見ながら、

「そうですよね」

と呟くように言う。


「深鈴さんの名前を汚さないためにも、絶対、捕まるわけにはいきませんよね」


「そこかよっ。


 っていうか、お前。

 結局、お前が殺したい人間って誰なんだ。


 二人居るんだろ?


 此処へ俺を呼んだってことは、このホテルに居るってことか?」


「……そのことに関して、少し気になってることがあるんです」


「なんだ。

 実は、ホテル間違えてましたってんじゃないだろうな。


 やっぱり、よく似たホテルが二つあるとか?」

と言うと、


「先生……」

と呆れたように言う。


「冗談だ。

 此処にお前の家族を惨殺しそうな極悪非道な奴は居ないぞ」


「極悪非道かどうかは、腹をかっさばいても、わからないと思いますけどね。

 見ただけじゃ」


 お前、いちいち表現が怖いんだよ、と思っていた。


 目が据わってるし。


 亮灯は椅子を揺らしながら目を閉じて言う。


「まあ、実際のところ、なにがあったのか私は見てないんですけどね。


 夏期講習で私だけ、遅れて別荘にたどり着いたら、みんな殺されてましたから。


 ただ、犯人はまだそこに居たんですよ。


 私はその場で犯人を殺すことも出来ずに、ただ震えてやり過ごした。

 顔も見てたのに」


 犯人ではなく、己れを責めるように亮灯は静かに語る。


 閉じた瞼の裏には、はっきりと犯人の顔が刻みつけられているのだろうか。


「別荘地狙いの空き巣だったようです。

 ところが、買い出しから帰ってきた住人と出くわして。


 同じようなことが昔もあったらしいんですよ。


 だから、空き巣に出くわしたら、もう、見ないふりをして、隠れてる方がいいってあの辺りでは言われてたみたいなんですけどね」

と志貴が言う。


「いいえ。

 あのとき、殺しておけばよかったのよ。


 私が殺されたのでもよかった。


 だったら、志貴をこんな風に巻き込まなくて済んだのに」


 亮灯、と志貴が彼女を見つめる。


 なんだか、此処に居るのが、莫迦莫迦しくなってきたな、と思ったとき、それは聞こえた。



  ちり……ん



   ちりん……



 夢で聞くのと同じ鈴の音。


「今の」

と浅海がすぐにやってきた。


 志貴を見る。


「あの鈴の音。

 昔聞いたのと、同じです」

と彼女は志貴に言う。


「……樹海に入ってみましょう」


 そう志貴は窓から樹海を窺いながら言った。






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