ちょっとやって欲しいことがあるだけですっ!
「志貴」
慌てて階段を下りて追いかけようとする亮灯を、志貴は足を止めて待っていた。
「志貴さん、だろ?」
と言う。
「バレたのは、阿伽陀先生だけになんだろうから」
「なんで、阿伽陀先生って改まって呼ぶの?」
「あんまり気を許したくないから」
そう言いながら、志貴は下り始める。
「そう。
間抜けてるところもあるけど、いい人なんだけど」
と言うと、
「だからだよ。
僕は君の側に居る『いい男』はみんな嫌いだ」
と子供のようなことを言い出す。
いや、子供よりたちが悪いか、と思った。
「世間狭くなるわよ、志貴……志貴さん」
「関係ないよ。
僕は亮灯だけ居ればいい」
つっけんどんな志貴の言葉に溜息をついた。
普段は仔犬のように従順なのに、一旦、怒ると手に負えないんだから。
こういう人が本気で犯罪者になると、怖いよな、と亮灯は思っていた。
とりあえず、志貴に見つかる前に、陸を捕獲しないと。
第三の殺人が起きてしまう。
「じゃあ、陸は殺さないでよ」
と言うと、なんで、と言う。
「あれはいい男じゃないでしょ。
顔はともかく」
と言うと、ようやく志貴は少し笑った。
「ともかく、阿伽陀先生は僕は苦手だ。
意外に鋭いし、話に聞いてたより格好いいしね」
「まあそうね」
亮灯……と呆れ、咎めるように言う志貴に言い返した。
「私がはっきり貴方の前でそう言わなくなったら疑って」
そういうことを志貴の前で堂々と口に出来なくなったら、まあ、怪しいかな、と自分で思う。
志貴と離れ、晴比古の側に居るようになってから、長らく味わってなかった平穏な気分を味わえたのは確かだが。
それは恋愛感情とは違うと思う。
「僕は君のために君から離れてるのに。
あの人は、いつも君と居る。
気が気じゃないんだよ。
二人きりの事務所でなにしてるのかなとか思ったら、いつも落ち着かないんだよ」
そう志貴は、切々と訴えてくる。
「いや、あの……たまには依頼人も居るわよ」
っていうか、仕事しろ、と思った。
「もう~っ。
妄想刑事に仏眼探偵に、ややこしい人ばっかりなんだから……」
と愚痴ると、
「なにか言った!?」
と言われる。
志貴が現れてから、先生のテンションはなんだかわからないけど下がってるし。
どいつもこいつも扱いづらいったら、と思っていた。
「大丈夫大丈夫」
と亮灯は多少投げやりに言う。
「如何に先生が格好良くても、志貴以上の男前はいないわ。
……一般的には」
私の好みじゃないが。
「それに、私は顔には、こだわらないから大丈夫よ」
「亮灯、めちゃくちゃ矛盾してるよ」
「細かいことは気にしないで」
するよ、と志貴は言う。
「亮灯」
「呼ばないでったら、今、貴方がバレないようにって言ったんじゃない。
そもそも陸につけこまれたのも貴方がわたしを強引に部屋に連れ込んだからでしょ。
ねえ、聞いてる?」
「聞いてないよ」
と志貴は言う。
「聞いてないよ。
ねえ、どれだけ会えなかったと思ってるの?」
もうやめよう、と志貴は言う。
「僕と他人のフリなんかしないで。
僕がなにかトリックでも考えるよ、だから」
「貴方のトリックって、考えすぎて一周回って、あれっ? って、なりそうだからいいわ」
と言うと、志貴は上目遣いにこちらを見、
「僕より阿伽陀先生の方が頼りになる?」
と言い出す。
「そんなわけないじゃない」
亮灯は周囲を見渡し、誰も居ないのを確認したあとで、子供がするように、軽く志貴に口づけた。
「私が好きなのも、頼りにしてるのも、志貴だけよ。
信じて」
「……わかったよ」
志貴が一人で階段を下りていったあと、壁に手をつき、溜息をついていると、背後から声がした。
「言っていいか」
「……言わなくていいです。
想像つくんで」
だが、近場に隠れて聞いていたらしい晴比古は遠慮なく言い放つ。
「お前は人選を間違っている」
「わかってますよ。
っていうか、今、人生を間違っているって聞こえました。
いや、そんな気がしてきました……」
気弱になってきたところに、晴比古が被せるように言ってくる。
「お前は志貴を飼っている限り、犯罪に手は染められない」
「飼ってませんてば。
もう言わないでください。
いろいろと自己嫌悪なんですから。
ああいうこと言われて、ああ対処しちゃうと、私が志貴を騙してる悪い女みたいじゃないですか」
「違うのか」
「違いますよ。
そうは見えないかもしれませんが、私は本当に志貴を好きなんです」
そう言い、壁に頭をぶつける。
「確かに、ろくでもなかったり、手を焼くところも多いけど。
でも……なんの希望もなく、誰も居ない場所で私を救ってくれた――。
あれでも私の王子様なんですよっ」
王子様が縄で縛りつけて逃げないようにしようとするかと言われたら、困るけどっ、と内心思ってはいたが。
「そりゃ、志貴がその場に居たからだろう。
俺がその場に居たら、俺がお前を助けてた」
「無理です。
先生では、私は救えません。
先生は犯罪に加担することは出来ないから」
「……じゃあ、二、三人殺してやったら、俺を好きになるか」
なに言ってるんだ、この人は、と思った。
「三人も殺していりません」
「じゃあ、お前の仇討ちの相手は二人か」
そのまま行こうとすると、
「待て。
俺に犯罪は出来ないとか言って、今現在、俺に犯罪の片棒を担がせようとしてるだろうが、お前らっ」
と言ってくる。
「ちょっとやって欲しいことがあるだけですっ」
そう言い捨て、亮灯は階段を駆け降りた。
階段を駆け降りて行く亮灯を見送りながら、今、ろくでもないことを言ってしまった気がする、と晴比古は思っていた。
二、三人、か。
あんなことを言ってしまったが、自分などには一人も殺せそうにはない。
そんな度胸もないし。
それ以前に、人を殺すとか。
それは自分にとっては、いや、普通の人間とっては、なかなか越えられない壁だ。
手を握れば、その人間が人を殺したかどうかはわかるが、その心まではわからない。
わからなくてよかったと思っている。
そんな深い闇を覗く強さがきっと自分の中にはないから。
俺にその心までは見せてくれない仏眼相。
だが、それこそが仏の慈悲なのかもしれない、とも思っていた。
自分には覗けない闇をともに覗き、ともに落ちていこうとしている志貴。
やはり、志貴こそが、本当に亮灯を愛している男なのだろうとは思うけれど――。
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