転がり落ちた死体
仏眼相のある男
夢の中で晴比古は即身仏となり、右手で拝み、左手を衆生のものを救うように広げている。
即身仏ってこんなポーズだったっけな? と思う。
穴の中に入っているときは、鈴を鳴らしてるんじゃなかっただろうか。
そんなことを考えていたせいか、鈴の音が聞こえ始めた。
金縛りのときに、鈴の音が聞こえるとか言うが、今、まさにそんな感じだった。
身体が固まって動けない。
背中が痛い。
いや、背中が痛いのは、下がベンチのせいだ、と気づいたとき、頭の上から声がした。
「先生、先生、そろそろ来ますよ」
乗る予定の新幹線が到着するらしい。
「先生、起きてくださいよ。
もう~っ。
手間かけさせないで……先生っ。
頭から水かけますよっ」
ロクでもないことを言っているのは、助手の
「人が少ないからって、ベンチで寝ないでください。
先生」
そう彼女が言った瞬間、頭から冷たいものを被っていた。
目を開けると、可愛らしい顔をした女が水のペットボトルを空にして、横に立っている。
「もう~。
先生ったら、しょうがないんだから~」
と大仰に眉をひそめてみせる。
「しょうがないのは、お前だ」
晴比古は起き上がりながら、文句を言った。
たまたま前を通ったサラリーマンらしき男がぎょっと振り返り、こちらを見ている。
当たり前だろう。
ベンチにびしょ濡れの男が居るのだから。
「ほんとにかける奴があるか」
「えーっ。
私、散々警告しましたよーっ」
嘘つけ、一度しか言ってないだろう、と思う。
「……何故、かけた」
「えっ?
人が居ないからですかね?」
深鈴は、しれっとして、そんなことを言う。
「そうだ。
人は少ない。
ベンチに寝てる俺も、本来なら迷惑なのかもしれないが、今、誰も此処らに居ないじゃないか。
俺が居なくなったら、関係ない。
お前がかけた水は俺が居なくなっても、残るだろうが」
「大丈夫ですよ、大半、先生にかかってますから。
気になるのなら、先生が拭いたらいいじゃないですか。
あら、迷子」
と深鈴はもう他所を向いてしまう。
髪を片側だけ、結っている可愛いらしい女の子だ。
泣きながら、ホームを行ったり来たりしている。
その子のところに行かないまま、深鈴は周囲を見渡していた。
その子に向かい、呼びかける。
「ホーム違うよ。
ママ、隣のホームだよ」
深鈴は線路を挟んで向かいのホームを指差してみせる。
たくさん子供連れた女が新幹線を待っていた。
深鈴が大きく手を振ると、彼女はその仕草に惹かれたかのように、こちらを見た。
そこで、ようやく彼女は、己の子供を見、驚いた顔をする。
慌てて頭を下げ、連れていた他の子たちの手を引いて、すぐにエスカレーターを降りていった。
子供は、乗るエスカレーターを間違えたらしく、母親は連れている子供の多さに、ひとり見落としていたようだった。
「何故、わかった?」
子供と母親が去ったあと、晴比古は訊く。
「あの母親。
手首にこの子がやってるゴムと同じゴムをはめてたんですよ」
晴比古は目を細めて、無事再会した親子の居る向こうのホームを見、
「よくわかったな」
と呟く。
深鈴は少し威張るように腰に手をやり言った。
「少し気をつけて周囲を見てればわかりますよ。
先生も人に頼ってないで、自分で推理されたらどうですか?」
「……俺が犯人の目星をつけてやってるから、お前が推理できるんだろうが」
「怠け者にも、程がありますよ」
と深鈴は眉をひそめて見せる。
母親は、こちらに向かい、何度も頭を下げていた。
子供の頃から不思議な能力があった。
いや、親指にあれが出来てからか。
最初は薄い線だったのが、やがてはっきりと。
両の親指に、仏眼という目のようなものが出来た。
霊感が強い人間に出来るものだと言う。
しかし、自分のそれは少し変わっていて、目の中に、赤い瞳のような痣があるのだ。
それからだ。
相手の手を握ると、その人物が罪を犯しているかどうかわかるようになったのは――。
ただ、何故、そんなことをしたのか。
なんの犯罪を犯したのかはわからない。
だから、募集した。
『推理できる助手、募集中。
仏眼探偵事務所』
なんて他力本願な、と張り紙を見てやってきた助手が睨む。
顔で採用したわけではないが、深鈴は、かなり可愛い顔立ちをしている。
就職活動中に、『名古屋のコインロッカーまで一万円でバッグを運んでくれる人募集』とか書いている、ろくでもない手書きのチラシの下にあった、うちの張り紙を見てきてくれた有難い存在だ。
おかげさまで、本当に楽出来ている、と晴比古は思っていた。
やっと乗ったな、と
仏眼探偵を名乗る、仕事をしているんだかいないんだか――。
いや、していない気がする男は、新幹線に乗っても、まだうつらうつらとしていた。
窓に寄りかかればいいのに、変に男気を出して、助手に窓際の席を譲ったものだから、肘掛に頬杖をつき、眠るはめになったようだった。
さりげなく彼を窺っていたのだが、扉が開き、入ってきた男とぶつかりそうになってしまう。
「すみません」
と亮灯は頭を下げ、そそくさとその車両を出た。
これでようやく、願いが叶う――。
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