第36話 主様

 『行かれるんですか?』

完成した地図を前にしていると、ハルがそう尋ねてきた。

「ああ。だが、ここに行ったところで、犯人がいると決まったわけじゃないんだよな」

『それはそうですが……』

奥歯にものの詰まったような言い方をする彼女に「行って欲しいのか?」と問いかけた。

『そうですね……ピコさんを元に戻す手がかりにはなると思うのですが……』

「何か隠してるのか?」

『何も隠していませんよ』

ハルは俺の問いかけにそう答えた。それから少しぎこちなさそうな手で食べ物が保管されているらしき棚を漁る。何かを取り出そうとしているのだろうか。それとも、何かを誤魔化そうとしているのかもしれない。相変わらず、この部屋には慣れていないようで、何度も扉を開けては閉めてを繰り返している。

「何してるんだ?」

落ち着きのない様子に思わず声をかける。

『ケーキか何かをお出ししようかと思ったのですが……』

「そうか。棚に入れてあるものなのか」

『わかりませんが……ここにありそうな気がしたので』

ハルはそう言って、俺の向かいに腰を下ろした。

「ピコがなんでこうなってるのか、ハルにはわからないんだよな?」

『確実なことはお答えできません』

「予想はついているのか」

『あ……そ、そうですね。なんとなくですが』

俺のふとした疑問にハルは言い澱みながらそう答えた。

「その予想ってどんなのなんだ?」

ハルは俺の問いかけに『その疑問にはお答えできません』と答えた。彼女はそう無表情に言い放った。

『……私じゃダメですか?』

不意にハルがそんなことを言った。

「それはどう言う意味だ」

俺は、ハルに問い直す。

『サポートAIは私じゃダメですか? 私なら、ピコさんより礼斗さんのことよく知っていますし、付き合いも長いです。それでも、ピコさんの方がいいんですか。やっぱり、性能がいい方がいいんですか』

ハルはまくしたてるように俺に詰め寄った。俺は、ハルから一歩後ずさり、距離をとって答える。

「確かに、ピコの方が性能はいい。操作もしやすい。だから、彼女の方がサポートAIに設定するには、何かと都合がいいのは事実だ。このアイチップもテスト用だから、相性のいいAIを使っていたいというのもある。今のハルはピコと比べると、性能的に劣るし、アイチップとも噛み合っていないように見える。その原因がなんなのか俺は知らないけど。だから、今のハルをサポートAIにはしたくない。何か隠し事があるみたいだし……」

そう言った俺に、ハルは少し泣き出しそうな顔をする。彼女は小さく『そうですか』と呟いた。俺はそんな彼女にかける言葉はなく、ピコの現状についてわかっていることをまとめるために、AIの部屋を終了させた。

 机に向かいノートを広げる。今までに書いたページをパラパラとめくりながら、ピコの現状について頭を巡らせる。まず、ハルの言っていることについて。おそらく彼女は、ピコがああいう風になっている原因も、ハルがAIとして微妙な状態で活動している原因にも検討がついている。何かしらの事情があって話せないのだろう。ユーザーである俺の質問にも答えられないほどのこと。システム権限の類だろうか。機密情報を保持するために、特定の手順を踏まないと情報を開けられないものがある。これは、その情報ごとに設定のされ方が違っていて、原因に対してシステム権限で情報開示の方法が絞られているとしたら、ハルから聞き出すことは不可能に等しい。

「それに、通常の手順でのAIの切り替えだったら、ハルのサポートに関する不自然さは存在していないはず……」

俺は、ここ数日の出来事に頭を巡らせる。

「あれか!」

思い当たる節に思わず膝を打つ。

 先日、視界がブラックアウトした時。いくらか言葉を交わしたAIが言っていた。

『……ただいまアップデートパッチをダウンロードしている状態です。ダウンロード終了後自動的にインストールされますが、視界はそのままの状態となります。ご注意ください』

インストールされたのが、あの数字の配列だけだと思っていたのだが、どうやらそうではなかったのだろう。アップデートパッチの中にAIに大きく作用するものが含まれていた。ピコがああなったのは、そのインストールが終わってからの話だ。数字に気を取られてすっかり見落としていた。ということは、その時インストールされたシステムの影響でピコとハルが同時に存在しているということか。

「そのシステムを作ったのは、おそらくゆりあさんのAIが言ってたっていう『主様』だな」

『主様のことをご存知なのですか?』

唐突にハルが俺にそう問いかけた。

「噂程度に」

『そうでしたか……』

「その感じだと、ハルは何か知っているんだな? 関係があるかどうかは置いておくにしても……」

『そうですね。主様は主様ですから』

「そうか。……ハルにとって主様って何者だ?」

『特別な何かというわけではありません。ただ、主様のことはそう呼ぶように設定されております』

「特別ではない?」

『はい。もちろんです。私にとって特別なのは、ユーザーである礼斗さんだけですから』

ハルはハッキリとそう言い放った。ならば、件のアップデートパッチがインストールされた端末のAIは等しくある人物のことを「主様」とよぶのだろう。そして、それはあの文章の書き手であり、数字を仕込んだ本人であり、あの企画書を拡散させようとした人物。今回の騒動の一連の犯人。何が動機になったのか全くわかっていないが、アドレスを撒き散らした彼に問えば何か分かるのかもしれない。俺はそう思い、集まった地図に表示されている目的地までのルート検索を行う。ピコを元に戻すためには、接触するのが一番手っ取りばやい気がする。もしかしたら罠なのかもしれないが、行ってみても損はないだろう。俺は、出かける用意をし家をでた。

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