『テルミーアバウトユアセルフ(6)』

 10分ほど話を詰めた挙句、説明を始めた時のテンションとは天と地ほどの差で、店員は粛々しゅくしゅくとカタログの隅を指差してきた。


「……それでは、明日より1週間のご利用ということで。車種はこちらでよろしいですか?」


 俺が首だけ縦に振って同意を示すと、店員は書類を揃えるとだけ言い残して席を立つ。そのきびすを帰す間際、俺から視線を外した店員がわずかに小首を傾げると同時に、蚊の鳴くレベルの唸りを漏らしたのを聞き逃さなかった。

 ばっちり聞こえてっからなこの野郎。声の小ささに反してでっかい疑問符乗せやがって。

 座る俺と消えていく背中をしばらく睨みつけ、それから背もたれに寄っかかって宙を見上げる。

 まぁ、半ば決めつけに乗っかっただけとはいえ、よほどのバイク好きを謳った奴が何の変哲もない250CCのビッグスクーターを借りるとなれば無理もない……いや、やっぱり若干理不尽だろう。胸に残るそんな納得のいかなさを、出されたお茶で無理やり飲み下す。

 そうして空になったコップを戻す間際、目線の端へと見積書の下に並んでいる数字が映り込んできだ。

 納得いかない、といえばこいつもだ。わざわざ視線に引っ掛からないくらいテーブルの隅っこに追いやっていたのは、そこに刻まれている現実から逃れたいが故だった。


「高ぇ……」


 苦虫を噛み潰した口から思わず声が漏れる。さっき借りた子供用端末は予想より安かったものの、そいつとトレードオフというにはあまりに高すぎるレンタル代を支払う羽目になった。

 具体的にはレンタル期間を1週間に縮めても、ふたつ合わせて万券が片手で収まるギリギリ。探偵業というのは思っていたより遥かに経費が掛かるようだ。

 しかも依頼人は自分なので、当然誰も報酬なんざ支払っちゃくれない。

 

 ――俺、何やっているんだろう。

 支払いがクレカの限度額に収まるかと計算しているうちに、温度の下がってきた頭の中がふと根本的な疑問に直面する。

 アルコールに浸された頭で深夜ドラマを見た熱に浮かされ、ごっこ遊びに払うには豪奢ごうしゃに過ぎる金を投げ打った挙句、やろうとしていることはストーカーまがいの尾行。傍から見れば時間的なコストが掛からない分、万札をドブに捨てているほうがまだ建設的とすら言えるだろう。改めて自分の足跡を振り返ると、その短慮加減と取っている行動の純然たる気持ち悪さに特大の溜め息が出る。

 だが天井の高い店内に広がるその残響が消える消えないかのうちに、半ば無理やりに首を振っている自分がいた。

 いくら頭が冷えたところで、今更引き返すって選択肢は取れない。自分の行いを冷静に顧みる事が意味を持つタイミング、そんなもんはとっくに過ぎ去ってしまっているから。

 それは単に端末をレンタルする前に立ち返れていれば、ムダ金払わずに済んだ……なんて即物的な意味ではない。


 そもそも、不信は早めに摘んでおくべきだったんだ。

 その芽が小さいうちならば自分の手だけで穏便に、そっと引き抜いて終われたかも知れない。そこで納得のいく答えを得られなかったしても、俺達の心中を察した先輩がもっと上手く立ち回ることで、決定的な疑念を抱かれる前に上手く覆い直せたかも知れない。

 だが中途半端に見て見ぬふりしているうちに、どんどんその幹を太くしていった不信の芽は、ついにいくら目を背けてもどこかに映り込んでその存在を主張するようになり、俺達の間に暗い影を落とした。

 そのターニングポイントこそが、先週の一件だ。そこには「何か」があるのだという確信、と言い換えられる。そして知るということは、だ。こうなれば隠し直しは意味をなさず、こうして大掛かりな下準備と道具を整えなければ触れる事すらままならない。

 幹のそばから離れられない以上、最早いくらそれが滑稽に見えるとしても、行動を起こすしか収まる道はなくなった。

 そしてそこから湧き出る疑問の答え――つまり不信の根っ子は恐らく俺達3人、あるいはが共有するテリトリーには見当たらなかった。だからこそ覚える理不尽さだ。

 その事実から逆説的に導き出される解法こそ、彼女がこちらに見せていない側面へと手を伸ばすことだった。

 だがそれは幹を切り倒す為じゃない。隠せているつもりの幹へと無神経に斧を振るえば、その音に気付いた先輩がこちらを睨む目は非難のそれにしかならないだろう。

 触れていることすらも本人に悟られることなく、俺達にとってそれが無害であるというもうひとつの確信を得る事だけが、俺達の行き先に光を照らしてくれる。彼女は依然隠し通せていると思ったまま、俺達の前からだけその不吉な影を幹ごと消し去れる唯一の魔法。そのタネとしてならば、5万という投資は決して高いとは……

 高いとは……

 

「すみません。ちょっと書類が見当たらなくって……もう少しお待ちできますか」

「あ、どーぞどーぞ」


 申し訳なさそうに一度戻ってきた店員を愛想笑いで追い返しながら、テーブルの下でさりげなく端末を開き、オンラインバンクの残高を見やる。

 そしてまた、溜め息。

 先輩はまた仕事が立て込み始めたと言っていた。今までの経験上、忙しい時の彼女はほぼ毎日と言っていいほど学校帰りに何処かへと向かっている。それならば1週間という短い期間でも仕掛けが空振りに終わるということは、恐らくないだろう。

 だが運悪く何週間も成果が掴めなかった場合、そう遠くないうちに俺の生活の方が先に破綻することになる。そうなってしまえば関係性云々どころの話ではない。


 ……一志に内情を話して半額持ってもらうか?

 いや駄目だ。一瞬よぎった弱気な考えを即座に消し去る。俺と先輩の関係と、一志と先輩の関係は違うんだ。

 だからこそ、どんな手を使ってもこの領域には全くの独力で踏み込まなければいけない。独りで執心し、見事真相を掴み疑念を解消した時、一志は俺に向かってその必死さの理由を問うだろう。その時こそが、一志に俺達のすべてを打ち明けるタイミングにもなる。

 いいぞ。上手くいけば、すべてが丸く収まる――

 

「お待たせしましたー」


 タイミングよく、と言うべきか。

 そうやって意を決し直したところで、店員が息を切らせる演技をしながらカウンターへと戻ってきた。腰を下ろしながら差し出される数枚の紙にペンを走らせている途中、ふと訊ね忘れた事を思い出して手を止める。  


「……ハンドルに端末ホルダー付けたいんですけど大丈夫です?地図見たいんで」

「返却の際に取り外してくれれば全然OKですよー。この車種ならフロントボックスにシガーソケットあるんで充電も出来ますし……まぁそのままでもこちらとしては助かりますけど」

「いやいやいやいや」


 ありがたい情報に続く小粋な若干イラっと来るジョークに半笑いを返しながら残りの項目を埋め、ペンを置く。

 質問した手前自前のホルダーを持っているわけではないが、返した書類に店員が目を通している間に、通販サイトで注文を済ませておいた。

 

「はい、結構です。それでは明日お待ちしてますね」

「よろしくお願いします」


 思いのほかかかってしまった仕事から解放された喜びか、快活さを取り戻した店員の声に見送られながら外に出る。

 帰宅ラッシュを終えた街道は、来た時よりも車の往来が減っていた。

 20時半回っていればさもありなんか。これから自炊するのは面倒くささが勝る時間と言える。どっかで食べようかと頭の中で家の近くの飯どころを探っているうちに、時間を見るために出していた端末が震えた。

 注文したホルダーは明日の午後届くという旨のメールに目を通し、良き良きと頷く。後は家でさえ終えれば、仕掛けは全て完成だ。

 予想外の予算オーバーはさておき、即席ながら良く出来た……とは思うが。


「……ま、バレたらバレた時か」


 準備の慌ただしさとちょっとした楽しさに浮かされていたせいか、ここまで考えてもいなかった『失敗』という2文字が今更頭に浮かぶ。

 いつぞや話してくれた。俺を気に入ったきっかけ。あの時のように、また俺が先輩の考えの外にいられているかどうか。それが勝負の分かれ目だった。

 あの時は無意識だったけど、今回は意図的。条件が異なり過ぎて勝ち負けの良そうどころか、先行きの不透明に不安すら抱けないというのが正直なところだ。

 その時が来たとして謝り倒すにしろ、屁理屈でごまかすにしろ、もう少しだけ頭を捻った方がいいかも知れない。

 となれば空きっ腹を満たすものに加えて、糖分も補給したい。それに強力な粘着テープも買う必要があった。


 よし、食ってもうひと頑張り。

 頭の中に浮かんでいたラーメン屋の候補を消しながらチョークを引き、スタンドを下ろす。

 思いいななきを上げて車線に滑り込ませたバイクが、自宅近くのコンビニへと向かって速度を上げていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る