『テルミーアバウトユアセルフ(5)』

 店を出る頃にはもうあたりは薄暗く、散らばる雲を縫うように落ちていった夕陽が駅ビルの向こうへと沈んでいた……何のことはない、思った以上に契約に時間がかかったせいで暇を持て余し、その様子を存分に観察できたってだけだけど。

 閑古鳥鳴き放題に見えた店内だったが、俺がいざ来店した目的を伝えると店員はにわかに首を傾げていた。

 その後俺を待たせた時間の大半を後ろに引っ込んでいたあたり、おそらく上司あたりに契約を交わしていいものかと相談していたのだろう。

 ともあれ、これで第一段階はクリアー。予想以上に時間を食ったものの、次の目的地は近い。一息ついても問題ないだろう。

 思い立って手近なコーヒースタンドに陣取り、チャイをすすりながら早速紙袋を開く。

 ……まぁ、ひいき目に見ても20歳そこそこにしか見えない男がをレンタルしたいとなれば、向こうが怪しむのは当然か。

 掌大サイズの箱の中から顔を出したのは、子供に親が持たせる用途に作られた、最低限に機能を制限された小さな簡易端末だった。原色を網羅したようなカラバリの中、唯一比較的目立たない色というだけで選んだモスグレーのボディーを手の中で遊ばせる。

 『親戚の子供が旅行に行くんで、デジタルに詳しい自分が代わりにレンタルの契約に来ました』とかなんとか理屈こねくり回してごり押した記憶がある。いかんせん即興でペラペラそらんじた嘘なので、店を出た今となっては子細も怪しい。とはいえ若造が子供用端末の契約に来ること自体が法律で禁じられているわけでもなし、後からファクトチェックが行われてお縄頂戴……ってこともないだろう。その場で納得さえ得られれば充分だった。

 上端のスイッチを長押しして、電源を入れてみる。

 煙草に火をつける間に液晶へと浮かび上がったのは、自分の端末と見比べて感じるいささかの寂しさを、派手なキャラクターの壁紙で埋め合わせしているようなホーム画面だった。

 使えるのは通話とインスタントメッセージ、それとあらかじめインストールされた一部のアプリケーションだけだが、俺の目的には十分と言えた。むしろそのおかげで通常の端末よりもレンタル料金が格安で済んだし、何よりサイズは煙草の箱と同じくらい、厚さに関してはその半分以下というコンパクトさが嬉しかった。子供が首からぶら下げる事を考慮してか、重さもほとんど感じない。

 これなら、早々バレることもないだろう。

 というかテストだけはしてみたものの、恐らく通話もインスタントメッセージも使う事はない。そう考えるとこの薄っぺらいカードサイズのキッズ端末ですら過ぎた代物に見えてきた。

 もしかしたらよく調べれば、もっと安く目的を果たせるツールがあったかもしれないが、こういうのは思い立った勢いが大事だ……ということにしておこう。

 ほのかに生姜の香る紅茶と煙草の煙を口の中で交互させながらお目当てを探るべく動かす指が、やがて双眼鏡をかたどったマークの上で止まる。

 ――見っけ。所謂いわゆる見守りアプリ、というやつだ。

 これこそがこいつに期待している唯一の働きだった。

 横に並べておいてある自分の端末を手に取って同じアプリをインストールし、見守る側としてキッズ端末へと承認させてみる。

 僅かな時間をおいてこちらに表示された地図の上には、自分の位置を表すピンとぴったり重なってキッズ端末の位置を示すマークが表示された。建物の中にいることもしっかり確認できる。

 これで良し。動き始めた後どのくらいの精度でトレースしてくれるかとか、細かなテストは後にしよう。

 カップも空になった事だし、もうそろそろ出ないと次に目的としている店が閉まってしまう。

 次なる探偵7つ道具を揃えに――いや、多分7つもないけど――店を後にする俺の足取りは軽く、バイクにまたがる体は久しく覚える事のなかった奇妙なワクワクに満たされ始めていた。

 それは不安や後ろめたさをごまかすための防衛本能なのか。浮かんだふとした疑問はセルを回して響く単気筒のエンジン音に押し込んでもらって、夕闇が迫る街中を貫く車列へと紛れ込んでいく。






 ※     ※     ※






 すっかりあたりの陽が落ちた頃、次にバイクを止めたのは、地元駅から自宅を少し通り過ぎた街道沿いに立つバイクショップの前だった。サイドスタンドを下ろして見上げる看板には、あと1時間に迫った営業時間と『バイクレンタル取り扱い店』の文字が光っている。

 新品のバイク屋なんて、免許を取った後僅かな元手を握って足を踏み入れて以来だ。

 その時は値札が突き付けてくる現実に打ちのめされて、とぼとぼ帰ったもんだけど……ショーウインドウに仰々しく飾られた、傷ひとつないレーザーレプリカを横目に、僅かに緊張を思い出しながら自動ドアを潜る。


「いらっしゃいませー!」


 そのドアが閉じ切らないうちに奥から聞こえてきたのは、いかにも根明ネアカでございといった感じの溌溂はつらつとした若い男性の声だった。

 歓迎の勢いにこちらが身じろぎしている間に、ツナギ姿の店員はにこやかな笑顔を乗っけて大股で歩み寄って来る。


「あっ……すみません、こちらでバイクのレンタルをやっているって、訊いたんですが……」


 対してやっとこ発したこっちの声はコミュ障丸出しで、口に出してて恥ずかしくなる。思わず伏し目がちになる俺と、正対する形で足を止めた店員の間に一瞬の沈黙が訪れていた。

 ……もしかして、新車購入の客じゃないってガッカリされているのか。恐る恐る顔を上げてみると、店員はちょっとわざとらしいくらいに眉根を寄せた。


「あんないい奴に乗ってるのに、っすか?」


 ――あれ、お客様のバイクっすよね?

 ガラスの向こうでショーウインドウから外へと漏れる明かりに照らされている俺のバイクを差す指へ頷きを返すと、すぐさま破顔した店員は俺を連れ立って外に出る。

 その後はまさに立て板に水のごとくといった様子で、外装から手入れの具合まで事細かに褒めちぎってきた。

 選んだ理由はデザインが気に入ったからというだけに過ぎないし、メンテナンスなぞ一志と知り合う前までは買った店任せで、知り合ってからは3食のおごりりを対価として奴に一任している。つまり俺は全くと言っていいほどそのあたりの見識には疎い。

 しどろもどろそのあたりを説明すると、これまた店員は芝居がかった様子で目を丸くする。彼が言うには俺の若さでこの車体を選ぶというのはいわゆる『わかっている』層らしく、またメンテナンスはプロの技術と見まごう程の細やかさで、よほどこのが愛されていることが伝わってくる。との事。

 あくまで奴から提示された条件だが、たった3食というのは破格だったのかもしれない……っていうか『娘』って。

 思わず薄笑いを浮かべてしまった俺に、店員は口の端を釣り上げながら唸った。


「まぁ、たまには他のコに浮気したいってのもわかりますよ」

「はは、まぁ……そんなトコです」 

「さ、こちらへどうぞー。ぶっちゃけ今日暇だったんで嬉しいっす」


 どうやら一連の美辞麗句は、こちらの緊張を解きほぐす営業トークの一手だったらしい。マシンガントークに圧倒されたおかげで辺に籠っていた肩の力が抜けた俺を、店員はごく自然な流れでカウンターの椅子へと座らせた。


「こちらが今レンタルできる車種になりますが、どのようなご用途で?ツーリングとかですか」


 本格的に商談モードに入ったのか、店員は口調に礼儀と硬さを取り戻す。

 馬鹿正直に答えてはさっきの二の舞……どころか貸し出し自体を渋られかねない。


「うーん……とりあえず、高速にはあんまり乗らない、と思います。期間は、とりあえず2週間ってとこかな」


 要領を得ない回答に、店員は訝しむよりも好奇の色が濃い目を向けて続きを促してくるが、そこは唸ったりページをめくったりして何とか話を濁していく。




 ……何せやろうとしているのは傍から見れば――いや、普通に考えても――ストーキング一歩手前の行為なのだから。

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