『意思と佇む思い』

「……一志、ホントごめんな」


 店を出て、いそいそと俺の前を歩く一志の背中にぼそりと声をかける。3本も開けて上機嫌な千鳥足を見て、思わず口が滑ったに近い。

 それは不断な俺に根気良く付き合ってくれる親友への、身勝手な懺悔ざんげだった。聞こえていなくても、口から吐き出さないではいられない重石。

 曇天を見上げる目の裏に、いつぞやの先輩の姿が浮かぶ。あの時の彼女も、同じような気持ちだったのだろうか。

 本人に聞こえていないからこそ、口から出ていってくれる罪の意識。

 

「えー、何がよ?」


 と、括っていた高を見事に裏切られ、危うく側溝へと足を踏み外しそうになる。  


「あ、き、聞こえてた?」

「ばっちりよ全然酔ってねーもん」


 ――何を謝ってるのかはわかんねえけど。

 振り返って少し底意地が悪そうに笑う一志の顔を、まっすぐ見る事が出来なかった。全てを悟った上で手を差し伸べながら待つこの度量。俺には到底持ちえないし、どうやったって敵わないものだった。

 まぶしいその姿がどうしても、同じ態度で俺のアクションを待っている先輩とダブる。あの時壇上に上がるべきだったの本来この組み合わせであり、俺はちょっとしたズレで生まれた幕間にうまく入り込んで狂わせてしまったただけなのかもしれない。



 『じゃあ今、あの日あの時に帰れたとして、俺は一志にバイクを貸してでも役目を譲るだろうか?』



 再び生まれた疑問に、やはり首を縦に触れない自分がいた。

 自らの情けなさに一志の背中から目を離し、夜空を睨み上げる視界の端が僅かに滲む。

 物心ついた時から認め、同時に直そうとしていた性質。成長を期待して親の庇護から抜けだし、変化を期待して大学に入って、勿体ないくらいの度量を併せ持つ友人と恋人を得てもなお、変わることはできなかった。

 やはり俺はどこまで行っても自分本位の囲いから抜け出せない、ちっちゃい人間なんだな。

 だからこそどんなお膳立てをされ、どう無茶に振舞ったところで、結局のところ染みついた脇役気質は抜けきらず、今立っている場所とのギャップにこうして心を砕いている。

 目を落とし、今度は月明かりに伸びる自分の影を見つめる。

 こんな立場も悪くはないさと諦めをつけながら、剥がれきれない未練にただ眺めていた壇上の中央を照らす光の下。一志から役柄をかすめ取っただけの俺が、そこに相応しくないのは当たり前だ。

 主役――誰かの心を動かす何某なにがしには、自己を顧みないで他人に施しを成せる者こそがふさわしい。こんな奴に感情移入する観客なんざいやしないだろう。


「でも、よ」


 変われない諦めと、それでも立場を退けない矛盾で嫌悪のループに陥る俺に、突然近くなった声がかかる。

 長い事うつむいて歩いていたせいで、一志が足を止めてこちらに向き直っていることに気付くのが遅れた。顎を上げ、3歩分縮まったその距離で見据えてくる視線におずおずと目を合わせると同時に、一志はにっと歯を見せてきた。


「……お前は最後に、ちゃんと筋を通すじゃん」

「一志――」


 3歩分狭まった距離で言い終えるか終えないかのうちに、一志は再び前を向いてしまう。歩みを止めて立ち尽くす俺が次に発するべき声を探している間に、奴は反対側の車線を指差しながら躊躇なく歩道を降りる。


「お、アイス買ってくべアイス!」


 声を弾ませながら車道を渡り、見つけたコンビニへと足早に入っていってしまう一志。そうしてひとり残された街灯の下、再び地面へ垂れた頭の中はそのひとつ前の言葉をリピートしていた。

 最後に筋を通す。つまり俺が何らかの形でこのもやつきに結論を付けて、明確な言動で自分へ提示することを確信している。


 『思ったことはちゃんと言う』


 俺達の間では当たり前すぎて、言葉にすらしない認識と思っていたそれは、ずっと向けてくれていた俺への期待に他ならなかった。こんな俺にも、一挙手一投足を見守ってくれる観客はいたんだ。それもすぐそばに。

 その意味を噛み砕く度に大きくなっていく感謝は、やがて罪悪感の重さを超えていく。

 持ち上がった右腕が乱暴に両目を擦り、やっと地面から剥がれた靴の裏が落ちた水滴をもみ消して歩き出した。

 今はまだその信頼が痛いけど、もう少しだけその猶予に甘えさせてもらおう。

 奴は何かもわかった上で、俺が勇気を出せるまで待ってくれているのだから。






 ※     ※     ※





 何度目かもわからないアラームのスヌーズにようやくベッドから背中を剥がす。あくび交じりに遮光カーテンを開けると、外はもう傾いた陽が遠くに見える山の向こうに落ちようとしていた。


「今何時だ……一志?」


 振り返りながら未だ靄がかかる頭で呼びかけるも、返事は返ってこない。瞼をこすりながら見回す部屋には散乱した酒の空き缶とアイスのゴミが詰まったコンビニ袋が乗ったテーブル、そして向こうにある丁寧に畳まれたタオルケットが目に入る以外、普段と変わり映えがない。

 ベッドの宮へと手を伸ばし、充電ホルダーから端末を引っこ抜くと、ポップアップしてきた通知ウィンドウには一志からのメッセージが表示されていた。どうやら昼前頃に急な用事が入ったらしく、目を覚まさないようにこっそり帰った後らしい。

 了解の旨と改めての感謝を返してから、のそのそと部屋の片づけに入る。手を動かしているうちに頭の中は段々と覚醒してくるものの、失せていく眠気の代わりに何かの引っ掛かりがその存在を大きくしていった。

 既に半分以上を無駄にしたとはいえ、特段課題も出ていない日曜日。見逃したテレビ番組も思い当たらないし、気に留めるものなんてないはずなのだが――


「あ」


 最後、まとめた空き缶を台所の隅に持って行ったところでようやくその正体を思い出し、乾いた口から間抜けな声が漏れる。

 そうだ。竹センの授業がなくなったこと、先輩に伝えなきゃいけなかったんだっけ。

 冷蔵庫のお茶で喉を潤してからテーブルへと戻り、改めて端末を手に取る。一瞬明日――月曜日でもいいかと思ったが、こういうのは思い出した時に済ませてしまわないと万一再び忘れた時のリカバリーが利かなくなる恐れがある。特に多忙を極める先輩には、知らせは早いに越した事ないだろう。

 3行に要件をまとめたメッセージを送り、煙草に火をつけて返信を待ってみる……が、一服を終えるどころか外の陽が完全に沈み切っても、先輩からの返事はなかった。


「寝てんのかな……」


 だんまりの端末を眺め、思わずひとり訝しむ声を漏らしてしまう。

 朝夕問わず、仕事中であれ講義中であれ、普段ならばどこかしらの隙を見てなる早で返事をしてくれるのが先輩だ。ペンディングを長くしないのが物事をうまく運ぶコツだと社会人風を吹かせてドヤ顔する彼女を見習って、俺もこうして早めの連絡を心掛けるようになったわけだし。

 ならばたまの休日に爆睡をカマしているのか……それも考え辛い。寝る時間こそそれなりに遅いものの、休みの日に夕方まで眠っていたなんて事は今までに一度もなかった。縛られるものが普通の学生より多い先輩は、積極的に生活リズムを崩す

事をあまり好まないのだ。

 うーん……。

 手持ち無沙汰にテーブルの隅を指で叩く。単にたまたま急ぎじゃない要件を返す手間を惜しむほど忙しすぎるだけかも知れない。一度はそう思って端末を置き、ゲーム機の電源を入れて意識をそっちに割いてみたものの、いまいち身が入らずま10分もしないうちにコントローラーを放り投げてしまった。

 普段と違う事態に特段やることもない暇さ加減も手伝って、想像はどうしても良からぬ方へと進む。

 何かトラブルに巻き込まれちゃいないだろうな。

 99%有り得ない可能性も、時間とともにその虚像を大きくしていく。


 いや絶対寝てるか、単に忙しいだけなんだろうけど。

 もしかしたら端末置き忘れて外出しているだけかも。

 っつうか、返事がないってだけでいちいち電話してたら重たい男と思われるだろ。


 ……そんな常識と遠慮による歯止めは19時の声を待たずして在庫切れを起こし、気付けば夕飯の支度もせずに端末を耳に当てている俺がいた。

 これでは先輩を心配しているのか、単に自分が『なんでもなかった』という安心を得たいだけなのかわからない。

 まぁ、多分後者だ。連日痛感する自分の身勝手さに自嘲を漏らしながら待つものの、呼び出し中を表すコール音は10を数えても途切れない。

 やっぱり電話に出られる状況ではないのだろうか。だとしたら鳴らし続ける事自体迷惑かもしれない。そうわかってはいつつも自分からオンフックを押す踏ん切りが付かないまま、無機質な音だけが鼓膜を叩き続ける。

 意図的に無視される心当たりはないので、もはや先輩が出てくれる目はゼロに近いが、こうなりゃ留守電繋がるまで待ってやれ――と覚悟した矢先、30を超えたコール音が唐突に途切れた。


「せ、先輩?」

「……もしもし」



 キョどる俺に返って来るその声は普段と比べて妙に低く、ドスが利いている。その上普段なら自分の名前を呼び返してくれるのが、今日に限ってはそれがない。

 ……もしかして先輩、なんか怒ってます?

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