『遮断が足りない』

 2人分のオーダーを取り終えた店員の女の子に向かって、一志がいかにも軽薄そうなノリで手を振った。俺に背中を見せるように捻っているその半身を真顔で眺めながら、コップの水を氷ごと喉へと流し込む。寝起きで乾いた喉は、まだ餃子も来てないってのに2敗目を空にしようとしていた。

 

「……んでどしたの、急に、今日は」


 まぁ、起きたばっかりだからってだけでもないんだけどさ。

 傍から見ても一目でわかる程上機嫌な一志とは対照的に、こっちはさっきから緊張と嫌な汗が止まらない。晩秋の宵口だってのに、脇の下が湿りっぱなしだ。


「いやー今日クッソ寒いじゃん?」

「まぁ、うん」


 眉根を潜める俺を全く意に介さないが如く、こっちに向き直った一志はどこかわざとらしくグローブを取った両手をこすり合わせる。


「バイトしながら『今日は味噌だな』って思い立ってさ。んでお前ん家の近くのここ、前食った時感動したからバイクすっ飛ばしてきたってわけ」

「いや、だからってわざわざここまで来るけ?」


 立て板に水……というより興奮気味な早口でまくし立てる一志。その全てがあからさまなフェイクであることを読み取ってしまったが故、言葉に詰まる。

 確かに俺のアパートから徒歩にして3分もない、国道に面したこの店は地元じゃ割と有名所と言って差支えない。だが一志の住んでいる街道沿いは都心に近いこともあり、ここら辺とは比較にならないくらいのラーメン激戦区。この店より手近でより美味い候補なんていくらでも思い浮かぶ。

 少なくともこのクソ寒い中片道30分近くを掛けてここに来る価値があるのかは大いに疑問だ。にもかかわらずこうして差し向っている……付け加えればぐーすか寝ていた俺を鬼電で叩き起こしてまで呼び出したという現状の裏に、何らかの意図を感じるなという方が無理だろう。


「なんだよー。たまにはサシで飯食いたいって思ったってええやんけ」


 疑惑の視線を向ける俺をへそを曲げているとでも誤解したのか、やや面倒くさいテンションに任せて机に身を投げ出す一志。その動きで外れた視線をこれ幸いに奥歯を噛む。

 たまにはって言っても、一志とはなんだかんだ月イチ以上のペースでどっか食べに行っている。それが本当の理由じゃないのは明白だ。付け加えれば明日、週明けの月曜日は美恵先輩が学校に来れないので必然的にそこでも2人飯――いや、それは一志は知らないか。

 奴の真意について差し挟む予断。そこにある程度の確信を得てしまっているからこそ、の名前がつい浮かんでしまう。


「……まぁ、理由はそれだけじゃないけどな」


 ――そら来た。

 急に佇まいを治した口調と共に姿勢を戻す一志を見て、椅子の脇にだらりと垂らしていた左手が無意識にギュッと拳を握る。学校以外先輩のいない所で1対1で話したいことなんて、あの喫煙所での続き以外にあり得ないだろう。

 年貢の納め時は、思っていたよりもずっと早く訪れたようだ……と思っていたのだが。

   

「俺、昨日新中野までライブ見に行ってたんだけどさ。インディーズの」


 ……ん?

 思ってもみなかった話の転換に、思わず奴を見返す俺の眉があべこべに上下する。


「そこにたまたま『NOTES』の編集の人が来てたわけよ。あのインタビューしてた人だから、顔覚えてて」

「はぁ」


 一転して全く見通しの立たなくなった展開の中では、何を言われようと生返事以外を返すことができない。

 編集がなんだって?

 てかNOTESってなんだっけ?

 あの、とか言われましてもどの?

 ぶっちゃけ話の半分も頭に入ってこないままおクチ半開きな俺を見て、一志は自身にブレーキを掛けるように前のめりになっていた身を引いて喉を湿らせた。


「あ、NOTESってのは音楽雑誌ね。前に美恵ちゃんと話したべ?」

「あ、あぁ……」


 今度は驚きで声が出なくなる。別に取り零しそうになった単語のリファレンスに感銘を受けた訳じゃない。奴が口にする「美恵ちゃん」というワード先輩を指す単語があまりにもさりげなく、軽く出てきたからだ。

 仮にこの無関係な話はあくまで端緒であり、未だに俺を詰問しようとするならばそうホイホイ口には出せないだろう。


「んでこれまたたまたま話が聞こえちゃったんだけど……」

「何が……?」


 勿体ぶるようにそこで言葉を切る一志。もはや真意がまったく読み取れなくなった不安のあまり先を急かす俺に、一志は一拍置いて大きく息を吸った。


「……アルレディ、メジャー決まったっぽい」

「え、あ、えっ、あっマジで?」


 もたらされたニュースそのものの驚きと、自分が飛んだ見当はずれな身構えをしていた気恥ずかしさ、そして一縷だが確かに覚えた安堵。

 それらが一挙に押し寄せて頭がハングアップし、なんだか取ってつけたようなリアクションしか返せない俺に、一志は不満を前面に表した。


「んだよー反応薄いなぁ。大ニュースも大ニュースだろ?当然まだ雑誌にも乗ってねえぞ?」

「いやまぁ、確かに、すごい事だな……てかそれ、訊き間違いじゃないよね」


 押し流された不安と入れ替わる形で満たされていく朗報の実感に、だんだんと心が軽くなっていく。そのおかげで子細を訊ねる余裕すら生まれていた。そうやって俺が念を押す事を予期していたように、一志はちょっと食い気味に大きく頷く。


「どこのレーベルかまでばっちり聴いちゃったよ。デビューは来年明け、出すのは『赤とオレンジ』のリマスター含む4曲入りのミニアルバム。違ってたらお前と美恵ちゃんに銀座の寿司奢ったっていいぜ」


 長台詞を淀みなく並べ立てる一志の顔には、一切の迷いがない。よほどの確証があるのだろう。

 俺を担ぐ嘘にしては妙に情報が細かいし、第一そんなことをする理由が見当たらない。そして趣味に全振りしているせいで常に赤貧気味な奴が5桁確実の奢りを引き合いに出しているのが何よりのエビデンスだ。銀座の寿司なんざイメージでしか知らないだろうに。


「聴いたのは外の喫煙所だったんだけどさ。暗かったから影にいた俺に気付かなかったのかもな」

「にしても割と迂闊に話してたもんだね」

「ま、話してる相手がそこの店長だったし?アルレディの活動初期から面倒見てる相手にゃいち早く朗報を伝えたかったんだろ」


 続くディテールも完璧。これがもし全部嘘ならば一志の行く末は大作家か詐欺師だろう。すっかり真実と捉えた胸が、感嘆の息を吐き出す。


「はぁー……しかしまぁ、いよいよか」

「俺達からしたら遅すぎにも思うけどな」


 タイミング良く、というべきか。話の区切りで感慨に浸る俺達の間に、味噌と脂の香ばしさを頂く丼が置かれる。

 合わせる両手もそこそこに箸を割り、湯気を絡ませる熱々の麺を感慨の深さと一緒に喉奥へと飲み込めば、残っていた猜疑心の残りカスもトウガラシの利いたスープの風味に紛れて消えていった。


「デビューイベント、何やるかな」

「限定のミニライブやってほしいよな。チケットの倍率ヤバそうだけど」


 ひと口目を胃の奥に流し込んだことで遅れてやってきた空腹。そいつが加速させていく箸の勢いに負けず劣らず、デビューを飾った後の彼らを妄想する談議は盛り上がっていく。丼の中身を半分にする頃には武道館なんてワードすら飛び出していた。


「そいや、先輩には伝えたの?」

 

 その最中、今は仕事で追われているであろうその横顔を思い出して、何の気なしに訊ねた俺に、それまでせわしなく動いていた一志の箸が一瞬だけ止まった。


「……俺が?美恵ちゃんにか?」


 今日はあいにく席を共にしていない、自分よりもよほど強い志を持った仲間。

 俺がこれだけ嬉しいんだし、彼女が知ったらどれほど喜ぶことか。一志にしたってそれが想像つかないほど浅い付き合いではないし、連絡先だって知っている。

 にも拘わらず帰ってきた言葉はイエスでもノーでもなかった。


「いや他に誰がいんのよ」


 ただ今更過ぎる確認と共に眉根を潜める反応の意味が分からず、そしてそこに隠れている意図をロクに測りもしないまま軽口を返してしまう。

 それは先ほど耳にしたどこぞの編集者を笑えないほど迂闊な千鳥足が、思いっきり地雷を踏みぬいた瞬間だった。


「俺がそんな気軽に連絡できるわけねえじゃん――」


 笑いの消えた瞳で俺を見据える一志の口はまだ動いていたように見えたが、そこに鉄鍋の上を油が弾ける音が被さり、その続きが耳に届く前に掻き消されてしまった。

 やがて炒飯を炒めるその音が静まり、再び互いの声が通るようほど静かになっても、俺には麺の残りを掻き込んでいる一志に向かってもう一度同じことを言えと促す勇気が湧いてこない。

 代わりに頭の中で反芻する、奴の口の動き。数秒にも満たないその記憶が見間違えではないとしたら。



 




 ――

 一志は自嘲気味な笑いと一緒に、そう言っていたことになる。

 本当にそう口にしていたのか、だとしたらその言葉は何を指しているのか。再び訊ねれば、全て明らかになるだろう。

 そして同時にその行動は、奴が明言を避けているのに自分から藪へと突っ込む事を意味する。

 つまり、これ以上逃げ回る事が出来なくなる。

 俺にはまだ、その覚悟が出来なかった。

 

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