『それなりに むつまじく 絡み合う 二重らせん』
――とはいえ、それは俺と親父の問題だ。
じゃなかったらいくら気心知れた仲だとしても、いきなりこんな不躾なことをするような性格ではない。いうなれば和也も被害者ってことだ。
そう解っていたにも関わらず過剰となってしまった反応の裏には、自分でも意識していなかった、家族不和に対しての八つ当たりみたいなものが込められてしまったかもしれない。万一それが伝わってしまったとして、
だが。
「こっちこそごめんな、転ばせちゃって。カメラ大丈夫か?」
自責の念、みたいなものは残った。
立ち上がった和也の重心が安定した後、手を放さないまま目を伏せる。
「そんな、兄ちゃんが謝ることじゃ――」
それからゆっくりと離れた俺がよほど重たい面をしていたのか、慌てて首を振った和也の声が途中で止まった。
恐らくこのままだと意味のない謝罪の応酬を繰り返す事になると悟ったのだろう。この状況を打破する妙案を考えているのか、少し距離を取ったまま一度視線を横にやり、何やらうんうんとうなり始めた。
そんな弟になんと声をかけるべきかもわからず、俺は正面に向き合ったままその様子を見守っているだけ。ちょうど脇を通った主婦らしき子連れが、こいつら何やってんの?みたいな怪訝な目を向けてきていた。恥ずかしい。
「あ、じゃあさ」
「うん?」
似たような視線を数度やり過ごしたのち、和也はやっとのことで顎に当てていた手を放し顔を上げた。それからみぞおちの上で所在なく揺れていたカメラを持ち直し、こちらに白い歯を見せる。
「代わりに今度兄ちゃんの大学連れて行ってよ」
――なんだって?
代案として出てきたというにはいささか突飛とも思えるその発想に、思わず首をかしげてしまう。ここを撮らないことと大学にくっついていくことが、奴の中でどう繋がっているんだ?
「ホームページ見たことあるけど、都心から離れてるだけあって景色のいい所じゃない?」
ああ、そういうことか。カメラ自体は押し付けられたものじゃなく、本当に好きらしい。
こうして適度な落としどころを用意してくれる。こういう細かいところに気が利く性質こそ、和也が人好きされる所以だろう。多少兄貴びいきが入っているかもしれないけど。
「それに大学ってこんな感じなのかーってイメージ沸けば、勉強に力も入ると思うんだ……大学の名前はもう父さんも知っているし、これなら迷惑にはならないでしょ?」
俺としてはそんな関心を浮かべていただけだったのだが、和也は反応が返ってこない事に不安を覚えたのかもしれない。あーとかえー、とか言葉に詰まった後、慌てて練り上げたような
「まぁ、それくらいなら――」
苦笑を浮かべながら頷こうとして、落とした視線がふと開きっぱなし鞄の中に留まった。
ラテックスで出来たアレの入った包みが傾き始めた西日を反射してちらりと光る。
……ちょっと待て。
和也が大学に来るとなれば、当然案内するために俺がくっついていないといけない。これで案外人見知りする和也の事だし、しっかりしているとはいえまだ高校生半ばの子供だ。俺は講義受けてくるから勝手に撮って来いというのも無責任だし、何よりオラついている奴らのカツアゲやらちょっとアレな女の子からの逆ナンやら色々と心配だ。
講義は聴講生の振りして紛れ込ませるからいいとして……問題はむしろそれ以外の時間だ。講義の合間か昼飯時か、あるいは行きがけ帰りがけ。ここ最近の傾向では少なくとも1日1回、期せずとも喫煙所サボりトリオはどこかのタイミングで顔を合わせている。
それが一志だった場合はまだいい。3人同時でもいつも通りのバカ話でお茶を濁せるだろう。
問題は、美恵先輩とだけ鉢合わせした時だ。
まず間違いなく、和也は挨拶もそこそこに俺と彼女はどんな関係なのかを勘繰るだろう。
「兄ちゃん?」
「いや、ちょっと、ちょっとアレ、和也」
顔を伏して横に背け、しどろもどろの文句とともに開いた掌を向けて制止を掛ける。
それが昨日までならただの友達で通すことも出来たかもしれない。だが今日以降それはかならずどこかしらに不義理を立てる悪手となる。
美恵先輩の非難も食らいたくないし、それ以上に悲しい顔なぞされたらたまったものではない。何より自分でもただの友達と捉えたくない自覚があるのだ。ウソ、イクナイ。
だがいくら関係の良好な兄弟だとしても、家族に少なくとももう友達ではない女の子を紹介するというのも無視しきれない抵抗があるのも事実だった。
しかもそれが和也伝手に母親にでも知れ渡った日にゃ――
すでに悶絶しそうになっている俺の耳に、突然朗らかなクラシックが流れ混んできた。思わず音の源へ目を向けると、そこには取り出した端末の画面を見たまま硬直している和也の姿があった。
「やべ……」
小さく呟く和也の顔から血の気が引いていく。
それから俺を放置してたっぷり5分は続いた和也の弁解と問答。同時に端末から漏れ聞こえてくる懐かしい声のお説教から察するに、どうやら学校をサボったことが家へと伝わったらしく、母親が珍しく激怒しているご様子。
歴史は繰り返す、ってやつですね。
電話越しなのに何度も頭を下げる和也を見ながら、在りし日の自分を重ねてそんなノスタルジーに浸る……一方で、俺は降って湧いた時間の猶予に、これ幸いとこの場を切り抜ける上手い言い訳を考え始める。
「ごめん、せめて6時間目の授業くらいは戻れって言われちゃった」
「上がってお茶でもと思ったけど、残念だな」
電話を切ってすっかり意気消沈する和也へ早い別れを惜しむ言葉を投げかける一方、心の中は安堵でいっぱいだった。
あれこれ考える必要もなくなったってことか。このまま具体的な日取りも決まらず帰ってくれれば、この話も
「ま、ほとぼり冷めるまで大人しくしとけ。あんまり早いうちから担任に目ぇ付けられると、後々面倒だし」
「経験者は語る、だね」
それから2人していひひ、と笑い、そこでなんとなく、話が収まるべきところに丁度良く収まった気がした。
和也も同じように思っていたのか、改めて目を細めた後に半身を翻し、帰り道に目をやる。よし、いい感じに話が流れた――
「じゃーまた今度、楽しみにしてるね!」
「えっ」
というのは、甘い考えだったようだ。嬉々としながらの有無を言わさない口調に圧され、思わず提案事態を咎めるのを忘れてしまう。
「兄ちゃんも忙しいだろうし、学校付いたら連絡するから、暇なら案内してくれる感じでいいよ」
和也の中では既に決定事項らしい。俺のリアクションを待たずして完全に後ろを向いてしまった。しかも『学校付いたら連絡』ということは。
「おい待て、アポなしで来る気か?!」
「じゃーね!」
それだけ言い残した和也はもうこちらを振り返らず、それこそ風のような速さで走り去ってゆく。
うまく切り抜けるどころか、待ったをかけるタイミングすらも失ってしまった。これでは事前に一志や美恵先輩に根を回して鉢合わせしない様にする事もできない。
強引に却下しようにも、一応それらしい理屈付けを並べる努力を見せた和也の手前ではどうしても
「どーすんべか……」
すべての回避手段を奪われ、家の前に取り残された俺はただ立ち尽くす。
そんな光景の空しさを埋めるように、アパートから伸びる電線に止まっていたカラスが2度、間の抜けた声で鳴いた。
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