『FIRST DANCE SCENE(8)』

「そういう時は都合よく考えていいんじゃない?案外恩義の方がまだまだデカいかもしんねーよ?」

「……私が何をさせているか知らないから、そんな簡単に言えるんです」

「だって言ってくれないんだもん。だったら見えてる範囲の話するしかねーし」


 ハイボール傾けついで……という軽々薄々な俺の態度に、先輩は納得の出来なさを顔全体に広げていく。我ながらまぁ小狡い言い回しに思うが、元を辿れば向こうが手札を伏せているせいだ。

 その点は本人にも自覚があるらしい。屁理屈なのは明らかだが、しかし自分の落ち度故反論はできない。そのもどかしさに喉を詰まらせる渋面を肴に、こっちは優雅にもう一口。

 とはいえ、別にサディスティックな趣味というわけじゃない。加害妄想が加速し、自己嫌悪に加熱しきった先輩の頭。こっちの用意したフォローをまともに聞いてもらうには、そいつをクールダウンさせる時間が必要だった。

 

「つうか本物とか偽物とか、先輩こそずいぶん神聖視してるみたいに聞こえる。そんなの誰がジャッジすんのさ」


 炭酸の刺激が抜けきったところでゆっくりと喉奥に流し込み、少し声のトーンを落とす。 


「自分、です。さっき石井君が言っていたじゃないですか。私のしたことは洗脳だって」


 そうして返って来た先輩の口調は少し速度を落とし、声色も少し大人しいものへと戻っていた。その上でさっき俺が言った言葉をきっちり引用しているあたり、今は過去の自分との睨み合いだけではなく、対話相手としてしっかりこちらを認識する向く事が出来ている。

 そこに備わるネガティブさこそ相変わらずだが、ノンストップだった思考に休符を置いたことはある程度の効果が見込めたようだ。

 ならばここから肝要になるのは、受け答えのテンポとコントロール。もたれていた壁から身を離し、しっかりと彼女の言葉を聞き入る態勢を取る。

 

「本当に正しい人なら、自分の価値を釣り上げるためにタイミングを見たりなんかしない。それ以前に見返りを求めて動いた事が、きっかけとして不純である証拠です」

「だから自分たちは本物ではない。だから本物が持つ価値には及ばない、それが今になって辛い、と」

 

 頷く首を戻さないまま、先輩は泡立ちも控えめになり始めたジョッキの水面に目を落とす。そこに反論はおろか補足すら差し挟まないあたり、俺の指摘は限りなく真芯を捉えていたということだろう。

 ここにきてやっと、先輩の抱く重石の核を見つけられたってところか。


「先輩は、に囚われ過ぎてんだね」

 

 自分にとっての報酬ありきの人助け。先輩が初めて手に取した動機という名の原石は、確かに歪な形をしていた。それは第三者である俺の視点からも否定のできない事実だ。

 だが。


「そんなもん何の意味もないのに」

「え」


 肩をすくめる俺に、先輩は弾かれたかの如く顔を上げる。

 そんなことを全く意図してなかったといわんばかりのそのリアクションに、確かな手ごたえを覚えた口は更に軽くなる。


「大事なのは『どう始まったか』じゃなくて『どう落ち着いたか』じゃない?少なくともその友達の中ではさ」


 動機が実際に行動として表に出て、結果として相手の中に残るまで。時間と場所の移り変わりの中、その意味と在り様はそれこそ石が川を流れゆくように、絶えず自らの形を変えていく。

 そして過去となり完全にその動きを止めた時、原石は果たしてどんな姿形になっているか。それは終着点である相手以外にはどうやったって知り得ない。


「でも、ギリギリじゃなくてもっと早く動いていれば、あの子だって余計な苦しさを味わわずに済んだはず。そのずるさが――」

「確かに時期は見ただろうさ。じゃあそのギリギリとやらで誰も動かなかったら、その子はどうなってたよ?」


 さえぎる俺の問いに一瞬視線を彷徨わせた先輩は、口元に手を当ててギュッと眉間に皺を寄せる。さっきまで酒で赤み掛かっていたその顔も一瞬で青ざめていた。少なくともその頭の中に明るい光景が広がってはいないだろう。

 行為と厚意。最終的に定まったその形に価値を付けるのはあくまで受け取り手だと言う事を、先輩は理解していないように見えた。


「俺には先輩の言う『正しい人』ってのがいまいちピンとこないし、なんでそいつを自分より上に置くのかがわかんない。実際先輩が解決するまで、その子の前にそんな奴現れなかったって事でしょ?」

「それは……」


 これは質問じゃなく、単なる昔の振り返りだ。明確な返答を待つ必要はない。始まりすらしなかった『本物とやら』と、不細工に生まれながらも立派に形を成した『偽物』。その差は口に出すまでもなく、歴然としている。

 

「じゃあいくら正しかろうとその子の中じゃ無価値じゃん。ゼロと比べてまだ負い目感じる?」


 殆ど間を開けずに質問攻めにできるのは。口に出す言葉全てが1だけを機軸に置いているため、頭をほとんど使っていないおかげだ。

 そこを中心として回すドリルで、先輩の重石を少しずつ穿っていく。


「……トラブルをダシに使いました」


 とはいえ長年質量を増し続け、心の中心に居座っていたものだ。たとえ核を捉えていてもそうそう簡単に砕け散ってくれるもんじゃない。それどころか先輩は意固地さすら感じさせる態度で、自分を正しくない側に立たせ続けようとする。

 ……その物差し自体、存在すら疑わしい『正しい人』とやらとの比較なんだから、意味ないと思うんだけど。

 3歩進んで2歩下がるといった展開の中、ちらりと目の端に映した先輩の時計が、刻々と閉店時間が迫っていることを告げてくる。タイムオーバーでこの話題を中途半端なまま打ち切られるのは、俺としても避けたかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る