『FIRST DANCE SCENE(9)』


「んじゃー訊くけど、その、トラブル?ってのは先輩が仕組んだものなの?」

「そんなこと!」


 というわけで持ち出した大元のそもそも論。そいつを訊き終える前にぶんぶんと首を振る先輩に、それ見ろと笑ってやった。


「マッチポンプなら大した悪人だけど、違うならその時の先輩はヒーローでしかない。時期を見計らってたんだ、大方そういう風に見える演出もしたっしょ?」


 最後の一言はちょっと余計だったか。言い終えてから若干しくじりに目を逸らす。

 意外だったのは先輩も同時に目線を外していた事だ。しかも合わせた歯の間からうぅ、と息を漏らすその顔にはちょっと赤みが戻っている。

 回転数を上げ過ぎたドリルは、若さゆえのなんとやらも掘り当ててしまったかもしれない。


「……でも、巡り合わせの一因にしたのは、事実です」


 ――で、今度は巡り合わせときたか。

 喉の奥で咳を払ってから、突然オカルティックな事を言い出した先輩。

 言葉のチョイスに思わず鼻から笑いが漏れてしまった。それを耳ざとく拾って鋭さを増す視線に、いやいやと手を振る。


「馬鹿にしてるでしょ」

「いや違う違うごめんごめん」


 謝りつつも緩んだまんまの面が気に入らなかったのか、先輩はその整った顔立ちにおよそ似合わないブッサイクな表情で口を尖らせた。

 突然出てきた先輩らしくもないスピリッチュアールなお言葉。こうした論理の飛躍は、往々にして相手の残弾言いたい事に底が見えた事を示すサインと言える。

 提出必須なレポートを忘れた場面を想像すると分かりやすい。こねくり回す言い訳をひとつひとつ論破されていくと、最終的にヤギに紙を食われたとか言い出しちゃうアレだ。

 事実一志はそれで教授に張っ倒されていた……のはどうでもいいとして、ともあれ本当に馬鹿にしていたわけじゃない。先が見えたことに対するちょっとした安心が顔に出てしまっただけだ。

 こんな事でこちら側に引き寄せた流れを断ち切られては敵わない。ただただ謝罪を重ね、その顔をなんとか仏頂面と言えなくもないレベルに戻してから、口調を改める。


「始めが仕込みじゃないなら、とどのつまりは偶然だ。タイミングだよ、単なる」

「タイミング、ですか」


 ――そ。

 軽い首肯で返しながら、皿に残った最後の漬物をかじる。   


「俺が一志が喫煙所で会ったのも、先輩と講堂で会ったのもタイミング。それがなかったらサボりトリオはなかったし、こうして酒も飲んでない」

「はぁ……まぁ」


 いまいち要領を得ていないのか、若干傾げた首を縦に振る先輩。

 身近な例を挙げてみたつもりだが、いつもの察しの良さはどこへ行ったのか……つい掴むものをなくした箸を向けてしまった。


「んでもきっかけ自体は言っちまえば些細な偶然でしょ?それと一緒。なんてめんどっちい言い回しするから、変なこだわり持っちゃうんだよ」


 さっきのハイボールと一緒で、取るに足らないことだという演出を加えながらの言葉。先輩はしばらくの間言い返す文句を見失い、沈黙のその間に閉じた薄い唇が小さく『タイミング』という単語を反芻はんすうする。

 そこに否定の色は伺えない。少し引いた顎に乗っかる静かな表情こそ、その5文字が先輩の心の中にストンと落ち着いてくれた証拠である……と思いたい。


「でも、それをあの子がどう思ってるかは」


 ――来たな。最後の牙城。

 話の主題をずらして、さりげなく棚上げにしておいた問題を再び持ち出される。


「そらわからんわ。誰にも」


 そこでも何かしらの言いくるめを期待していたのか、あっさりと諦める俺に先輩は失望の色を顔に浮かべる。

 仕方ないだろう。姿形も、色すらわからないその城塞に対して、先輩が抱き続けていた不安。それは誰にも――ともすればその友達本人にも――取り除けはしないものだ。

 ましてその主と会ったことも話したこともない俺が口八丁でその事実を変える事は出来ない。

 だが、は出来る。

 そのためにさっきからバカ丁寧に一問一答を重ね、少しずつ重石を砕いてきたのだ。

 話し始めた時はあまりの重さにうなだれたまま、自分の足下しか見えずに卑下し続けていた先輩。それが己のメンタルをどれだけ苛なんできたかは、あの荒げた声が物語っていた。

 だが今は初めて他人に吐き出し、そしてさとされ続けたことで多少なりとも軽くなった。ならば少しだけ前も周りも見えているはず。


「だから、都合よく考えていいんだよ。シンプルに見えているもんだけを見ればいい」


 だからこそ、今繰り返すこのことばには違う論旨ろんしが宿る。

 同じフレーズだって曲の頭とケツでは、持つ意味や抱く感情は全く異なる。それとおんなじだ。


「先輩はその子を苦境から救った。でその子は今も付いてきてくれてる……始まりの形はどうであれ、その結果に変わりはない」


 そして『目に見える結果』。それこそが俺の回すドリルの機軸だった。

 見えないものを見ようとする千里眼気取りを捨て、後は都合良く捉える。要は敢えて近視眼的バカになれってことだ。

 それを賢い言葉に言い換えれば、相手への信頼、といふ。

 ……まぁ、言っている俺本人にはとてもじゃないができないことですけどね。一見よく似たスタンスだけど、俺は他人に期待をしていないってのが前提にあるから、その裏がどうなってようと気にしないってだけだし。

 だが先輩は俺と違って主役が似合う。ひのき舞台を自分のものとする度胸と胆力をもってすれば、見えないものを卑屈抜きに信じた上で動くなど、難しくはないはず。

 

「だからそこに堂々と胡坐あぐらかいときゃいいの。先輩がしたことは誰にでも出来ることじゃないし、誰にも言わないままよく耐えてたのも偉い。少なくとも俺はそう思うよ」


 んで、そいつを称賛するのが脇役の仕事だ。

 それが自分の成した事の価値を信じる補強になればと思って放った一言だったが、どうにも変な所に刺さったらしい。


「アンタはよくやってる……先輩?」


 一瞬呆けたような表情を浮かべた後、真っ赤になって目尻を拭う先輩に思わず狼狽える。

 え、まさか今、泣き入りました?


「すみません。まっすぐに褒められたのが、久しぶりな気がして。ずっと出来て当たり前みたいに見られていたから、変な感じになっちゃって」


 ああ、そういうことか。思わぬ地雷を踏みぬいたわけではないと分かってほっと胸を撫で下ろす……とはいえ、そこに新しい闇が垣間見えたことも事実だった。

 才女にも色々あるということか。気にならなくもないけど、そこを改めて聞き出すには時間が足りなさすぎる。  


「……まぁ、なんですか。あるかもわかんねー不安を先取りするより、今見えるもんに対して感謝忘れない方がよっぽど大切だと思うってこと」


 ――もっと気楽に気楽に。

 話題を戻しながら海藻を模して力なく体を左右に揺らし、緩ーい口調で続ける。いきなりのおどけたムーブに軽く噴き出した先輩は、取り繕うように慌てて顔に渋面を貼り付ける。


「そうは言いますが、やっぱり不安は、まだ」

「……アンタも頑固ね」


 とはいえ、その口調からは明らかに重苦しさが抜けてきていた。もう一押しといったところか。


「あー、あと俺達は抱えたことに我慢はしないし無理して溜め込んだりもしない……っつーか、そういう変な遠慮があるとそもそも長続きしないって言った方がいいか」


 あくび交じりの息継ぎの合間、暖簾の向こうから店員が顔を出した。

 なぜか必要以上に意を決した様子で訊ねてくるラストオーダーを適当な文句で辞退しながら、凝り固まった腰を伸ばす。 

 ラスト30分。話の着地点も見えてきたし、こいつも丁度いいってやつか。


「その友達、引っ込み思案で口下手だったりする?」

「いえ、どちらかというと真逆というか、ある意味怖いもの知らずというか」


 そこで宙を睨み、先輩は何故か口調をもごつかせる。よほどインパクトのあることでも思い出しているんだろうか。しばらく続きを待ってみたものの、結局そのネタ晴らしは来なかった。


「なら大丈夫……ホントに信頼あるなら、我慢できなくなったところでぶつけてくれるさ。凹むのはその時でも遅くないでしょ?」

「刹那主義ですか」

「先の事考えてないだけよ。んでもたまにゃそういう馬鹿になるのも悪くないですよってお話でしたってことで」


 ざっくりと纏めながら脇に置かれた伝票に手を伸ばすが、指の先が届くかというところで先輩がさっと収めてしまった。

 今日はおごってくれるって約束だったんだっけ。似合わないくらい真面目なトーンを続けたおかげですっかり頭から抜け落ちていた。

  

「それでも不安で寝れないってんなら、そん時はまぁ、話し相手くらいにはなりますよ」


 尻ポケットから出しかけた財布もそのままに、手持ち無沙汰からかつい余計な一言をまた付け足してしまう。

 そして先輩が、不安になるのはって言った事を、上着を羽織りながら思い出した。

 寝る前に話聞くってそれ、お前。


「……そっか」


 セルフ突っ込みに忙しい俺を尻目に、先輩はひとりで得心した様子で軽く握った手を口元に当てていた。

 一拍遅れて現実に戻った俺は、そのしぐさを前に再び首をかしげてしまう。


「その子と石井君、どこか似ているところがあるのかもしれません。私が欲しいものを持ってて、持ってほしいものを持ってくれる」



 ――だから、気になっているのかも。



 席から立ち上がるついで。そんな気軽さで不意に放たれたストレートをがっつり頬っぺたにくらい、天井が回り始める。

 熱論に忘れていた酔いが一気に襲ってきていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る