『FIRST DANCE SCENE(6)』


 投げかけた問いに対する俺の答えを待っているのだろう。それきり口を閉じた先輩を前に、座りのいい場所を求める視線が置かれた腕時計へと留まる。

 いくら週末といえど、駅から離れたこの立地で22時が見えてくれば空席が半数を占め、暖簾のれん越しの喧騒も控えめになっていた。

 ……そもそも閉店が早いからか。

 23時だっけ、そのせいかもしれない。

 ならばラストオーダーまでの時間を差っ引いてたかだか1時間弱。話題をこねくり回して、適当な慰めでお茶を濁せなくもない。

 こいつはある意味、さっきまでの駆け引きよりも正解の――彼女の表情を元に戻せる――導き出しづらい話題だ。普段なら一瞬よぎったそんな逃げの算段を妙案とし、躊躇ためらいなく舵を切っていただろう。


「その友達は、先輩のそんな計画を知らない?」


 だがこの場に限ってそいつがどうにも不義理に思えて、気付けば操舵輪からは手が離れていた。直進、はい突っ込め。

 視線を彼女へと戻し、酒で温められた吐息と共に吐き出す。さっきまでの決定打を避ける立ち回りとは打って変わった訊ね方、ともすれば与える傷すら厭わない切り込み方に、伏し目がちだった先輩の顔が跳ね上がる。

 こいつは先輩にとって長らく、そして相手が近くにいることで耐えずその重さに苛まれてきた、いわばなのだろう。いよいよ苦悶の色が伺えるその顔を見れば嫌でもわかる。

 おまけにそいつを打ち明けられるほど信頼の置ける唯一の相手が、イコール他でもない当事者という皮肉つきだ。そら口が裂けても言えんよな。

 そんな答えのわかりきった問い――と思っていたのだが、意外にも彼女は先輩は大きく首を振り、逃げ場を求めるように焼酎をあおる。

 

「卒業する前、全部話しました。逆にそれが一緒に暮らすきっかけになった」


 なんだ。俺が初めて吐露した相手というわけじゃない……というか、既に本丸へ攻め込んでいたわけか。

 多少勇み足ではあったが、そこに大した落胆は感じなかった。

 確かに、知り合って半年足らずの俺を初めての相手に――いや、それだとなんか別の意味に聞こえるけど――したわけではない。

 だが一定の信頼を置いてくれていることに変わりはなく、また打ち明けようとした決意に順番は関係ない。

 いくら面倒の嫌いな身といえど、その勇気とある種の栄誉を前にあっさり背を向けられる薄情さは持ち合わせていなかった。

 そして、直感に近い理由がもうひとつ。

 もしここで引き下がれば、彼女は俺に対して他の人間との間にあるものと同じ線を引いてしまうだろう。言い換えれば互いの間のが終わる。

 浮かぶのは時折見せるあの二面性。背を向けてしまえば、その裏面に覗く冷たさが容赦なくこちらを突き放す。

 根拠はないが、妙な確信はあった。


「それなら、悩むことなくね?」


 密かな緊張を隠すため、あえて軽い口調で挟んだ合いの手。救いといえばそれが、今度こそリアクションのわかりきったものであるという事だった。

 種を明かせば単純な話。張本人に話した今をもって俺にも相談するということは、すなわち問題が解決しちゃいないからに他ならなず、そこに思考も類推も必要ない。

 ……とはいえ酔いが回っているうえにずっとフル稼働状態の脳に、喉が渇きを訴えてくる。

 おかわりを頼もう。長丁場を見据えて度数の低い奴。同じようなことを考えていたのか、先輩も一旦顔を上げて俺のオーダーに続く。いい加減汁も蒸発していた鍋も一緒に下げられた。

  

「石井君と高柳君を見てるとね、羨ましくなるんです」


 そうして運ばれてきた2杯のハイボール。置かれるなり手前側のジョッキを引き寄せて口を湿らせた先輩が、改めて口を開く。


「え、何が?」


 世辞抜きの口調に対する照れと突然の話題転換に、若干の虚を突かれる形となって声が上ずる。


「ふたりの間には、遠慮がない、というか」

「まあ、わりと心置きなくののしり合うからね」


 言われて思い返してみると、確かに俺と一志はどんな話題でも頭か合間か、果てにはケツか。どこかに互いを弄り合うような話の運びをしている。

 ……え、それが羨ましいってのか?

 目で問いかけてみると、先輩はそうじゃなくって、と苦笑を返してきた。


「ふたりのあいだには貸し借りとか、恩とか。そういうのが見えなくて。それでもあそこまで砕けられるのが、私には」

「いや俺達も割と打算よ?」


 どうも俺達の間柄を随分と偏った見方をしていらっしゃるご様子。

 口に含んだ炭酸を慌てて飲み下し、ゲップを堪えながら口を挟む。そんな綺麗なもんじゃないっての。


「あいつはゼミでぼっちになってた。俺は何もしなくてもぼっちだった。たまたまあそこで知り合って、話が合った。友達はいるに越したことはない」


 時間差で襲ってくる炭酸の痺れで喉が痛い。

 たまらず一度言葉を切ると、先輩はそれのどこが打算?とでも言いたげに眉根を潜めていた。そう慌てるでないっての。

 

「いや、これだって立派な利害関係だと思うけど?授業のうまい取り方とか共有できるし」


 ――先輩たちみたいに美談めいてはいないけどさ。

 軽く笑いながら交えたその付け足しが、思わぬタイミングで火をつけてしまった。


「だから羨ましいんです!」


 聞きながら傾けていたジョッキを、音が立つほど荒く置く先輩。今更ながら完ッ全に余計だったその一言は、彼女のスロットルを一気に開けてしまったようだ。


「どうして、その程度でそこまで」

「いやその程度ってあーた……」


 いくらひとりを謳歌おうかできる性分でも、不意に疎外感を自覚するになる瞬間というのは必ず訪れる。

 楽しそうに騒ぐ周りにとって自分は無価値……どころか、もしかしたら見えてすら無いんじゃないかという、言いようのないだ。

 晴れがましい壇上の演者がいきなり消えれば大問題だが、薄暗闇の中観客が一人席を立ったところで、問題なく舞台は回る。それを性分として納得できることと、痛みを感じないこととはまた別の話だから。

 それに比べればどんな竹馬の友でも、いないより全然マシ。

 隣に座ってくれていればしてくれる。中座を引き止めたり、あるいは一緒に席を立ったりしてくれる。

 無理して明るい舞台に立たないお互いを笑わない、むしろ暗がりから共に冷やかしの目で見る。そんな生産性ゼロのペアでも、自分たちにとっては確かな価値がある。

 その上で、一志がアクはあれど良い奴だったのは望外の幸運でしかなかった。

 それを『その程度』とは流石にどうよ?と抗弁を挟もうとして……やっぱりやめる。


「明確な問題を解決し合ってるほうが、強固な結びつきになると思うけど」


 代わりに呟いたのは上っ面の一般論。間を持たせる以外の何も期待できない。

 話を聞かされてばっかりだった、さっきそう先輩は言っていた。たとえそれを友達とは認められなくとも、その周りには絶えず周りに人がいたことは想像に難くない。

 同時にその事実は俺達に持ち得ない『誰かにとっての主役を演じられる』器量の証明でもある……とくれば、孤立のもたらす苦痛というのがあんまりピンと来ないのも無理のない話かもしれない。そこに悪気はないだろう。

 第一、今話題の中心になっているのは俺じゃなく先輩だ。そこを履き違えれば話が逸れる。


「トラブルそのものは本当に些細な、それこそ10日足らずで解決できるものでした」

「うん」


 それはさっき聴いた。敢えての繰り返しはその先への意味を込めるためのものだろう。黙って続きを待つ俺を一度じっと見てから、先輩はジョッキを一気に空にする。

 さっきの俺同様、その顔は痺れに歪んでいる。無理をしたことは明白だった。

 とくれば次に向けられるのは、そうやって勢いをつけでもしなければ吐き出せない、重りの重り足る理由そのものだろう。

 受け止めきれるか。

 思わず顎を引く。


「でも彼女は、日を追うごとに悩みを深くしていった。それもに。その機会を待った上で、利用してしまったんですよ。あの時の私は」


 途切れ途切れに漏れ出る言葉は順序も文法もむちゃくちゃで、その乱れこそが先輩の内側を如実に表しているように思えた。

 

 

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