『FIRST DANCE SCENE(5)』

「それってやっぱり、気になってるんじゃないですか」


 ため息交じりで呟く先輩に、いやいやいやと慌てて手を振る。そんな俺に言を返さいまま、先輩は背を伸ばして身を引き、目線を外しながら氷を頬張った。

 ……どうです、逸らした目の冷めた感じ。こっちのだっせえ内情、やっぱり見透かされていますよね。

 なんか、別の意味で関係が終わりそうな気がしてきた。


「気になるなら、直接聞いてみたらどうですか」

「いや子供かっつの」

「どうせ、どうやっても無理でしょうけど」


 ……そら無理でしょ。まず連絡先わかんねえもん。

 吐き捨てるようなその言葉が終わる前に、さっきまでより手荒に呼び出しボタンを叩く先輩。

 うわぁ、なんか面倒くさいモード入って来たぞコレ。まあこっちの態度も我ながら大概だが、微妙なラインを攻めている以上多少は仕方ない……と自分に言い聞かせる。

 半分誤解なのは今をもって嘘じゃないし。


「その子の事だけじゃないって」


 剣呑な空気を察したのか、半身でオーダーを聞くなりそそくさと去っていく店員。とっさに彼女と同じものをとその背中へ向かって叫びながら、弁解を付け加えていく。

 

「仲良くなってきたら、他の事も知りたいって思うのは当然じゃん?」


 今までは先輩自身のことばっかだったけど、それももういい加減聞いた――っつうか、話してくれないことも多いし。

 を確かめる意図を差っ引いて残った理由としては、そんな消去法としての興味でしかなかった。

 これだけ嫌われることにビビりきっている以上、下手な火種は増やさない限る。別に知ったところで会いたいとか遊びたいとは思わないし。


「インターン、だっけ?そこでどんなことやってんのかなとか、俺達以外どんな奴と遊んでんのかなとかさ」


 遠くでグラスの割れる音と、全く心のこもっていない反省の文句が聞こえる。先輩はそれに一瞬目線を向けたものの、肝心の俺の話に対しては全く反応を示さない。

 変わったところと言えば、こちらに戻ったその目が大きく見開かれたままだったことくらい。そんなにでかい音じゃなかったはずだけどなぁ。


「……本当に、あの子の事が知りたいという意味じゃない?」


 で、お代わりが運ばれてきた後にやーっと返って来たのは、念押しに確かめるような口調の質問だった。

 

「うん。俺が聞きたいのは、あくまで美恵先輩の話。第一の詳細なんて――?」


 間を差し挟まないその一言に、先輩はなにがしか思うところがあったようだ。思い出したかのように染まり直す頬の前で、何やら照れ臭そうに立てた人差し指に髪を巻き付ける。

 そんな表情の変化に、言葉が途中で喉へと引っこんでしまった。少なくともさっき以上に不機嫌になってないことは伝わってくるが……。

 いや、これどっちよ?

 その子の事深く話さなくていいから安心してんの?

 それとも他の女の子に視線が行ってない言質をとれたから?


「え、何そのリアクション……」


 重ねた回し打ちは結局何の解決も運んでこず、こっちの精神をいたずらに削っただけに終わった。そんな自覚が再び口元を緩ませ、抱いた感想をそのまま素の声に乗せてしまう。


「あ、違、今のは――」

「乾杯。もう一回」

「へ?」


 取り繕いを突然遮った申し出に虚を突かれ、慌てた口が半開きに固定されてしまった。言いながらグラスを持ち上げた先輩の顔からはさっきまでの冷たさはどこへやらといった様子で、細めた瞳の上で薄い眉毛が緩やかにカーブを描いている。

 ……機嫌、すっかり直ってね?

 その理由を問う間もなく、促されるまま持ち上げるグラスへ彼女の方から飲み口を合わせてくる。その身にまとう空気も酔っ払いのそれに戻ってしまった。途端に取り除かれていく緊張に、ファイティングポーズを取り続ける気が失せてしまった。

 あるいはどこまでもヘタレなこの身、どこかでこういう展開を望んでいたのかもしれない。

 

「……じゃあ、3度目ですけど」

「えへへ」


 かくして試合終了のゴングは唐突に、そしてどこか間抜けに鳴らされた。勝敗はどっちつかず、消化不良さが残るドロー。

 無意味に終わったとはいえ機嫌も直って話も続いただけでもよし。関係も据え置きといったところだろう。

 一時はタオルが投げ入れられる寸前まで行ったんだ。これでも上出来。どっかでまた、もっといい潮目で決する時が来るさ。

 心はリングから伸びる花道を去りながら、見えない観客が罵声と共に投げる空き缶を都合のいい言い訳で避けていく。


「ゆっくりでもいいですか?……でしょうから」


 そのまま一口飲み下してから、先輩は思い出したように腕時計を外して、テーブルの脇に置いた。

 テンポとトーンを少し落としたその口調と、言葉尻の妙な間。首をかしげるもその正体は分からない。

 必要以上にその友達のプライバシーに踏み込ませない為、言葉を選ぶ時間を取るぞってこと、か?

 

「とはいっても、どう話せばいいのか……こういうの、慣れてなくて」

「どゆこと?」


 こちらも一口付けたグラスを置き、少し困ったように笑う先輩へとその意味を訊ねる。


「自分の事を話す機会、あんまりないんですよ。どちらかというと話されてばっかりで」

「その友達も?」


 今度は対決ではなく、協力作業の様相を呈していた。

 酔いのせいも多分にあるだろうが、演技ではなく本気で話しあぐねている先輩に助け舟を出していく。


「最初はそうでした。でもそれからいろいろあって、私の事をちゃんと話したのは、その子が初めてだし、その子だけ」

「……いろいろ?」

「ちょっとしたことです。彼女の困りごとに手を貸しただけ」


 む、ここはこれ以上踏み込むなってことか。

 間髪入れないその即答具合で意図を察し。俺は分かった風に鼻を鳴らす。

 とはいえ完全なポーズというわけでもない。俺から少し視線を外し、どこか遠くを見るようなその横顔から伺えるのは、紛れもない慈しみのそれ。

 美恵先輩がその友達の事をどれだけ特別なものと思っているかが伝わってきた。

 少しばかり、うらやましく思う。


「ルームシェアするってのも頷けるやね。親友ってやつだ」

「……親友というより、理解者とたとえた方がいいかな。どちらにせよただひとりであることには変わりませんけど」


 少し自嘲気味に息を吐きながら、先輩は空にしたグラスを置く。いやここにきてペース上がってないかオイ。

 次のとっかかりを考えながら、ちょっと急かされた心地を覚えながら飲み下す。ぶれ始める焦点でどうにかテーブルに浮かぶ水環へグラスを戻したタイミングで、美恵先輩は意識をこちらに戻してきた。


「ゆーて断言するのは意外かも。先輩人好きされそうだし、友達も多そうだし」 

「そんな……交友関係、広くないですよ?こうして外で誰かとお酒飲むのも初めてで」

「え、マジで?」


 俺達、もう21だけど。

 いくら忙しいっても、大学生ってそんな呑む機会ないか?

 進む酒が表情を口以上に饒舌じょうぜつにしていたようで、俺が促すまでもなく先輩が続ける。


「大学じゃ、ゼミもサークルも入ってないですし」

「それは知ってる」

「意地悪」


 食い気味の俺に、先輩が口を尖らせ、2人してにへらと笑ってみる。ちょっと不躾な疑問をぶつけるには丁度いいインターバルになった。 


「でも高校からの友達、ガチでその子しかいないの?」

「……石井君は何人知ってます?高校で一緒に遊んでた友達が、今どうしてるか」

「そりゃあ――」


 言いかけて、口をつぐんでしまう。

 確か、大学入ったばっかりのころは何人かと遊んでいた。解禁された酒と煙草を無理して――中には随分前からたしなんでいる奴もいたが――飲んで浮かれて、くだらない話をして朝方解散。みたいな益体もない集まりを数度開いた記憶はある。

 でも、それからは?

 1年ちょっとが過ぎ、一志と知り合う前後あたりから、そいつらとは徐々に疎遠になっていった。連絡先が変わった事を知らせても、半分近くは宛先不明で戻ってきたりもした。

 その中には卒業するまで縁が切れるなんて想像も出来なかった奴もいる。だがいざそうなってみるとショックよりも『まぁ、そんなもんか』という諦めに近い感情のほうが大きくて、こうして改めて問われるまで忘れてすらいた。


「ね?」


 見透かされたような念押しに、俺はただ頷くしかない。


「そういうの、皆一様に神聖視しますけど、結局――」


 一度言葉を切って、先輩は再び呼び出しのボタンへ手を伸ばす。


「互いにとって本当に必要な関係以外は、どこかで切れるように出来てるんだと思います。そうでなければ、初めからどちらかが一方的にものに過ぎなかったか」


 遅れて響く呑気なコール音。それと対照的に鋭くつづられる言葉。

 淀みのなさは恐らく、その考えを常日頃から頭に置いているせいなのだろう。気だるさとやるせなさをない混ぜにしたようなその口調は、それが数多の実体験の果てに辿り着いたその結論であることも表していた。

 俺や一志に見せる、聡明ながらちょっと抜けた印象とはどうにもそぐわないその信条。意味を反芻はんすうするたび彼女が抱く別の側面の影を濃くし、その存在を引き立たせていく。


「そう言われればそうかもなあ……でも、その友達とはそうでなかったと」

 

 ――互いを尊敬リスペクトし合える仲だった。

 そう続けて意味合いを確かめる俺に、先輩は頷こうとする……が、その首が前に倒れるまで、僅かに時間を要した。

 それが躊躇ためらいなく肯定することへの戸惑いだということを、同時に曇った顔が物語っている。


「私が、そうさせたから。先に必要と思ったのはこっちで」

「……だから彼女を『ちょっとしたトラブル』から助けた?」


 変わる潮目を察するのは、往々にして当事者よりも第三者の方が早かったりする。

 水割りをふたつ運んできた店員が、さっきまで喧嘩寸前だったのに何この空気?と問わんばかりに、一瞬俺達の顔を見比べた。

 そんな視線にも先輩は必死に表情を作って、折り目正しく一礼を返し、俺の分まで空っぽのグラス手元に引き寄せ、トレイに乗せていく。


「そんな打算から始まったものが、になれるでしょうか」


 だがそこで虚勢は限界に達したようだった。踵を返した店員が暖簾をくぐる前に、先輩がぽつりと。

 こちらに合わせる顔は変えないままだったが、口調の弱々しさが隠しきれていない。

 さらにその両手は輪をかけて雄弁で、運ばれてきたグラスを組んだ指で握りしめている。

 その構えは何かすがるものを求めるような、いわば祈りにも似ていた。

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