『辿り着くは熱の覚める音か?(2)』


「先輩は、出る感じ?」


 その様を少しだけ気の毒に思い、間を埋めるようにわかりきった問いかけを重ねる。


「興味ある分野ですし、ちゃんと聞くと面白いですよ?……っていうか、先輩呼ばわりはもういいですよう」

?」


 ――あ、しまった。

 とっさの事もあって、この呼び方が自販機でのやり取り同様、俺たちの間だけで通じるルーティンであることをすっかり忘れていた。

 俺のリアクションより先に、一志が対面から身を乗り出して来る。


「学年同じっしょ?浪人しているわけでもあるまいに」

「あー……うん、まぁ、そうなんだけど」


 言葉を濁してしまう。

 彼女が気を休められるようにと着けたラベリング。さすがにきっかけとなったあの一件を、種明かし含めてイチから語るのは面倒くさいし、何より恥ずかしい。

 かといって軽々に引っこめてしまえば、せっかく設けた枠組みが無駄に終わる。それじゃあこっちの格好がつかない。

 どうするか……こちらが続く言葉を編みあぐねていると、不意に隣からビニールを破る、控えめな音が聞こえた。長丁場になると見たのか、隣に座る三吾さんがいつのまにかサンドイッチをほおばり始めている。

 ――あるいは彼女自身、この話をさっさと畳むつもりがないのか。

 時折こちらの意図をうかがうように上目遣い気味に目線をよこしてくる。言外の意図を示してしまう口元を隠す理由としても自然だ。やるなあ。

 


「……あれだよ。お前らたまに俺を遠くに置いていくレベルの深いトークするじゃん」


 少し口を尖らせた俺の言葉に、一志と美恵先輩は揃って顔を見合わせた。否定しないあたりは両者ともに少なからず心当たりがあるのだろう。


「前のボーカルの現職とかー、ライブごとのMCの細かいネタとかー、普通覚えて無いもんよー」


 子供っぽく拗ねた口調の俺と、「えっ、そんなに?」と言いたげな一志の視線。それらを同時に受けた美恵先輩は激しくせき込んだ。

 その拍子にサンドイッチを喉に詰まらせでもしたのか、顔を赤くし涙目になりながら握るコーヒーを落としそうになっている。


「しかも美恵先輩、ヴァイナル出る前から追っかけてんでしょ?俺よりファン歴長くて詳しいから、先輩」

「じゃあ俺も先輩じゃん。おらおらパン買って来いよ」

「……そうですよ。高柳君にも同じ呼び方をしないと不公平です」


 片やにやけ面で顎を引き、片や含みのある笑いをコーヒーの飲み口で隠し、それぞれ上げてくる反論。

 美恵先輩の言う通り、一志も確かに条件的には当てはまる。彼女の繰り出すトークに俺よりもよっぽど食らいつけていいるのがその証拠だ。

 ――しかし。


「確かにそうだけど……お前は落ち着きがなさすぎるからダメ」


 別に美恵先輩が先輩っぽい振舞いをした事はないが、それでも一志にはぴしゃりと断る。

 そもそもこの枠組みはわざわざ彼女のために設えたのだ。それに他人を入れてしまえば唯一性が損なわれ、持つ意味が薄れてしまう。

 彼女をここでも特別にしないために、する。

 ……なんて、頭の中で仰々しいレトリックを編んではいるが、実際のところももっとシンプルに説明はつく。

 

 俺自身がそうしたいというだけ。


 そこにはさしたる道理もなく、大した根拠もない。単純な俺自身の意思だ。

 


「つーか一志さ……本当に先輩って呼んでほしいワケ?俺に」


 とはいえ、それをそのまま口に出せる度胸はない。そのあとの空気を考えるだけで薄ら寒いっての。

 というわけで大元のそもそも論を展開して軸をずらすと、途端に神妙な面持ちで考え込んだ一志が口をへの字に曲げた。


「……想像したら割とキモイ絵面になった。やっぱ謹んで遠慮しとく」

「だべ?」

「まぁその呼び方は2人のプレイの一環ということで納得しておこう」

「ぷ、プレイって……」


 先ほどとは異なる意味で美恵先輩の顔が紅潮する。

 案外と初々しい反応。性格はともかく、この見掛けならば引く手もあまたと考えていたが……箱入りは伊達じゃないってことなのかもしれない。


「っと、もうそろ時間ヤバくない?三吾さん」


 一志が腕に巻いた時計に目を落としたタイミングで、まるで話の収束に合わせたかのように遠くから予鈴が聞こえてきた。呑気なその音と対照的に、美恵先輩は慌てて最後のひとかけらを口に放り込み、残りのコーヒーを傾ける。


「んだね。そろそろ行こうか」


 それを横目に荷物を背負い直し、俺達は一足先に立ち上がった。

 急かすようだが、一志の言う通りあんまりのんびりはしていられないだろう。生物学の講義が行われる大講堂は、ふたつの校舎をまたいで経営学部棟の対角線上に位置している。ちんたら歩いていたら本鈴に間に合うか怪しい距離だった。


「……やっぱり先輩って呼び方はむずがゆいです」


 が、俺達の中で唯一時間に追われる立場の美恵先輩はというと、手早くごみをまとめてお尻をはたきながらも、まだ口をもごつかせていた。

 とはいえ最後の一口は立ち上がりながらコーヒーで流し込んでいたので、単純に迎えた結論に納得がいっていないせいだろう。

 まぁ時間切れで勝ち逃げされたようなもんだし、無理もない。

 とはいえこちらも折れるつもりはないのだが。


「じゃ、その敬語が取れたら考えてあげますですよ。先輩」

「そっちまで敬語はやめてください!」

「うーん、達っちゃんSぅーい」


 わざとらしい俺のですます調に先輩の口調が一気に沸点へと達し、それを見て一志がまた茶々を入れる。

 傍から見れば紛れもなく、いかにもおバカな学生のノリだった。喫煙所を離れて階段を上るたびに近づく喧騒にも、さぞ馴染むものだろう。

 それこそ孤立してしまった一志が求めていたものだし、美恵先輩が年相応として望んでいたものでもある。

 からかいつつ、口を尖らせつつ。それでも両者まんざらでもない笑みを隠せていない。その表情こそ証明だと信じたい。

 自分なりに場を整えようと努力した結果が形に見えるのは、やはり嬉しいことだった。  


 ――あるいは俺自身も、どこかでこんな普通を望んでいたのかも。

 ふと手を当てた口の端は、いつのまにか持ち上がってえくぼを作っていた。






 ※     ※     ※






「っと、ETC差しとかないと」

「今月はちゃんと払ってるだろうな?」


 美恵先輩と別れて数分、駐輪場に着いたところで慌てて財布をまさぐる一志に半眼を寄越す。


「前みたいにゲートで足止めはごめんだぞ。あれくっそ恥ずかしいんだから」

「わかってるって」


 取り出したカードを2本の指で挟み、得意げにこちらへ掲げる奴へとため息を返しながら少しだけ首を上げる。

 気の早い西日がわずかに色味を変える空には雲一つなく、触れる風もからりと乾いて心地がいい。雨の心配は夜まで必要ないだろう。 


「しっかし、三吾さんにちょっと悪い事したかな」

「あー……最後の方、結構ガチで悔しがってたもんな」


 シートにまたがりながら頬を掻く一志に首肯を返し、別れ際の表情を思い出す。

 敬語云々の話に埒が明かないと見るや、美恵先輩は思い出したように俺達が講義をフけてツーリングに繰り出すことを羨み始めた。

 初めは半ば八つ当たりのようなものだったのだろう。だが元々タンデムをいたく気に入っていらしたこともあり、口に出した事で行きたいという意思に自ら火を付けてしまったらしく、講堂の前に着くころにはもう一押しで授業放っぽり出しそうな勢いまであった。


「こりゃいよいよ、社交辞令じゃ済まないかもなあ」


 夏休み前の会話まで記憶をさかのぼらせ、メットを被りながら息を吐く。

 そこから重ねた待ち合わせにはバイクで向かうことも多々あったが、終ぞ再び2人乗りはしなかった。理由としては単に、俺がタンデム用のメットを持っていなかったことに起因する。その時は口にこそ出されなかったものの、今日の勢いを見るにやはり乗りたいという思いを募らせてはいたのだろう。


「んだな」


 エンジンをかけたタイミングで、一志の声がインカムに届く。小さくつぶやいた独り言のつもりが、メットとメットを結ぶ無線はしっかりと届けてくれたようだ。

 さてどう返すべきかと悩んでいるうちに、一志のスポレプが前、俺のクラシックが後ろへと連なり、バスのロータリーを掠めて道路へと出る。


「次会う時一式持ってきそうだな、下手すりゃ」


 麓の駅へと続く下り坂に速度が乗ってくる頃、一志の冗談めかした声が沈黙を埋めた。だが続く軽い笑いにも、俺はうなり声を返しす事しかできない。

 ……なんか、その姿が容易に想像できるからだ。微妙に常人と異なる感性を持つ美恵先輩なら、やりかねない。

 ともあれ、それが望まない事態というわけでもなかった。結構な不満の吐き出しっぷりだったが、それだけ自分の意思をまっすぐ口に出してきたという事でもある。

 すなわち、この集まりが彼女にとって肩肘を張る必要のない場所になってきたということだ。


「……2輪ハウス寄っていい?」


 ならばそれに答えてあげるのが人の道……なんて、偉そうなことでもないか。

 単純に、彼女もツーリングに付いてこれた方が、この3人にとって楽しいに決まっている。


「おー、どうせ通るもんな。メットのサイズ、見当付くか?」


 一志も同じ気持ちだったのだろう。全く間を置かずにふたつ返事で了承してくれる。


「こないだ俺の被った時に顎紐の調整で何とかなったから、レディースのフリーで問題ないと思う」

「ジャケットは本人いた方がいいよな。ひとまず先にメット渡しとけば、ひとりで買いに行かれる事もねえべや」

「助かるよ」


 全てを口にしなくとも察してくれたことに礼を述べる……が、坂下の信号に引っかかって停まったところで、意味ありげな含み笑いがイヤホンから響いた。


「俺も、半分出してやる」

「えっ」


 続く予想外の提案に、思わず間抜けな声を返してしまう。

 彼女をツーリングに連れて行くのは、いわば俺の独断だ。一志に伺いを立てすらせずに決めた事に、申し訳なさはあれど払ってもらう義理はどこにもないはずだ。


「別にいいよ。俺のせいでこうなったようなもんだし」

「仲間が増えるのに誰のせいもねえだろ。それに――」


 信号が変わる。

 前を行く一志はそこで一度言葉を切り、一際大きくエンジンを嘶かせた。スポーツタイプ特有の立ち上がりで、奴の背中が急速に小さくなっていく。


「お、おい!」


 何事かと慌ててついていこうとした矢先、100㎞に届こうかというタイミングで今度は急減速。


「――少し早い、俺からのお祝いみたいなもんだ」

 

 一志のマフラーにほんの一瞬、爆炎が灯る。

 アフターファイヤのぱん、という小気味良い破裂音は、誰もない田舎の直線で礼砲のように響いた。

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