『奸知術数』

「それでは、手続きが終わるまで少しの間お待ちいただけますか?」


 丁寧な職員の対応に愛想笑いを返し、半分ほど埋まったベンチの列の中ほどに腰を下ろす。膝の上に置いたバッグから書店のレジ袋を取り出し中を探る。

 始めに手が当たったのはプラスチックのケース。指先が別の手ごたえを探ろうとしてふと思い立ち、気まぐれに取り出して眺めてみる。

 これは美恵に受け取りを頼まれていたCDだ。彼女が贔屓にしている……アルカライン何とかのもので、ジャケットには星空を背景に曲名らしき『幸福な死者に』という文字が控えめに書かれている。ここに来るついでと頼まれた割にやたら念を押されたあたり、リリースを相当心待ちにしていたのだろう。

 封を開ける瞬間の喜びを奪うつもりはない。そもそもプレイヤーも持ち合わせていない今の私には無用の長物だ。CDを戻して一緒に買った本を一冊を取り出す。

 今思えば美恵の頼み事を受けて正解だった。少し待てと言われても周りに時間の潰せる商業施設のひとつも見当たりしない。もしここに直行してしまっていたら、今頃時間の潰し方に苦心していたことだろう。

 椅子に深く座り直し、真新しいカバーの手触りを堪能しながらタイトルのページを捲る。いくらお役所仕事とはいえ、まさか読み終わるまで待たされることはないと信じたい。

 卒業の2文字が見えてくれば、既に所用単位を満たしているの授業は減る。

 同時にそれは学校に姿を見せなくてもいいという事でもある。だが当の美恵は研究がひとつの山を迎え、ここのところは研究所に入り浸りだ。となれば私がこうして大手を振って外に出られる機会も相応に増えていった。

 気分転換の機会が増えるのは喜ばしい……とはいえ、今日の遠出は全く望んでものではないのだが。

 なんにせよ、さっさと済ませて帰りたいものだ。イヤホンで雑音を遮断し、私は文字の海へと意識を落としていった。






 ※     ※     ※






「パスポートぉ?」


 昨日の夕食時、美恵は私に向かって旅券を取りたいと切り出した。うなづいた美恵は一瞬私から視線を外し、胸元に下がっているリングを指で弄った。


「うん。高校の頃持ってたんだけど、こないだ見たら期限が切れててさ……美影は今研究がどの段階まで進んでいるか知ってる?」

「それは……こないだ射撃場で院長に聞いたよ。あのアンブロシア?だっけ?それと組み合わせる成分をいろいろ試してるって言ってたかな」


 返しながら欠伸をかみ殺す。

 2人で夕食をつついている……と言っても、時間はとうに零時を回っていた。実験をいくつものラインに分けて並行して走らせているおかげで、ここの所美恵は昼と夜となく実験室に籠りきり。こうして顔を突き合わせて会話すること自体がずいぶんと久々の事に思えるほどだった。


「そう。どうもアンブロシア単体だと蘇った細胞が長生きしないのよ。でもそこで少し問題が起きちゃって」

「問題?」

「うん。植物防疫法、って知ってる?」


 耳慣れない単語に首をひねると、美影は人差し指を立てて教師然としたポーズを取る。


「簡単に言うと、海外からの植物の輸入を規制する法律の事。魚のブラックバスとかが有名だけど、生態系の異なる場所からいきなり国内へ持ち込むとどんな影響が出るか分からないでしょ?植物も同じで、輸入できないものって結構多いんだ」

「けど、研究で海外の植物も取り扱ってるんでしょ?」


 アンブロシアとやらはギアナの高地で発見された化石のはずだ。私がそう返すと彼女は笑いながら少し困ったような表情を浮かべた。


「そうなんだけどね。あれは洗浄済みだったし、そもそも化石を取り寄せただけだから。今目をつけているのはそうもいかなくってさ」

「どういう事?」

「その植物は洗浄さえすれば届け出だけで普通に持ち込めるんだけど……生憎それが自生している国は途上国で、そう言った施設の伝手がなくて。支社もないし」


 未だにインターネットもろくに普及してないようなところだしね。と続ける美恵に私は眉根を潜めた。


「それじゃ実際に現地に行ってもあまり意味ないんじゃないの?」


 それとパスポートと取得するという話を繋げるならば、美恵がそこに赴くという事を指すのだろう。だがいくら製薬会社の秘蔵っ子とはいえ、個人で法律まで歪められるとは思えない。学校のクラス分けとは訳が違うことくらいは分かる。

 美恵は僅かに目線を落とした。向いた先は左手首だが、そこには外から帰ってきてすぐに外した腕時計の跡しかない。


「そうなんだけどもうひとつネックがあって、実際にその植物が手に入るかどうか、なの。一般的には価値のないものだから過去に輸入しようとした会社もなくて、現地の流通量も不明。果たして研究に必要なだけの分量を滞りなく手に入れられるのか、それを調べに行きたいんだ」

「でも結局、それが分かったところで輸入する手立てがないんでしょ?」


 そんな私の問いが浅慮だと言わんばかりに美恵は口角を上げ、わざとらしく声を潜めた。


「確実に必要な分が手に入ると分かれば、あとはまぁ蛇の道は蛇ってね。会社にはないけどお父さんには『そういう伝手』があるみたい」


 その言葉の指す所が真っ当な人物、あるいは団体でないことは容易に想像がついた。研究のためには手段を選ばないという事か。それをいとも簡単に利用しようとする美恵の姿が、紛れもなくあの社長の血を引いていることを教えてくる。


「じゃあその伝手とやらに輸入そのものを頼めば早いじゃない」

「私もそう思って頼んでみたんだけど。現地で手に入れて輸入するところまで一切合切お願いするには結構なお金がかかるって断られちゃった。手に入らなくても前金は発生するし、保障のないものに軽々と動かすわけにもいかないって」


 なるほど、美恵はその『保障』を得るために行くわけか。ようやく得心して思わず首が縦に動く。

 ……同時にまた別の引っ掛かりが生まれたが、あえて口には出さず続きを促す。


「だから私が行って、入手のルートを調べて、確保しようってわけ」


 一度言葉を切り、また美恵が視線を外す。その仕草が決め手となった。


「なるほど、ね」


 とある確信を得て頷く様子を一通り事情を理解したように見えたのか、美恵はぱんと勢いよく手を合わせて頭を下げた。


「だからお願い!烏山の出張所まで行って発行手続きをしてほしいの」


 今の美恵のスケジュールはまさに分刻みで進んでいる。そのことを考慮すれば彼女が私に代行を頼んでくる事は至極自然な事だ。


「いいよ。いつまでに取りに行けばいい?」


 そして対照的に時間の余裕が増えてきている私にも断る理由はない。箸を置き、湯呑を傾けながら答える。


「本当?!じゃあ、必要な書類は揃っているから明日にでも――」

「でも、本当にそんな理由だけ?」


 が、真意を打ち明けられないまま動かされるのも癪というもの。

 実験という大義名分のもと、美恵は何かを隠している。


「え」

「さっきから目線が忙しすぎ。まぁちょっと考えてみれば不自然だよね」


 空になった湯飲みを置き、静かに視線の中央に捉える。そのまましばらく待ってみても押し黙ったままの美恵に、軽く息が漏れた。


「材料の入手ルートを調べるだけなら他の人でも出来るでしょ?まさか現地で実験やる訳でもあるまいに」


 テーブルから乗り出した美恵の体小さくなって戻っていく。

 ああ、この感じ。半年前に美恵を問い詰めた時と同じだ。私の見立てが正しければ、原因も同じだから当然と言えば当然なのだが。


「それに、今日切り出して明日行けって随分急な話だよね。もう渡航の予定まで決まってるんじゃない?」

「それは」

「そのアクセサリー。随分気に入っているみたいね?暇さえあれば眺めていじってさ」


 二の句を許さず、暗に同行者の存在を示唆する。それが誰であるかはもはや改めて告げる必要もないだろう。わたしがじっと見つめると、美恵はやがて観念したように俯きながら小さくその名を口にした。


 ――石井達也。

 この名前はいったい、何度私の神経を逆撫ですれば気が済むのだろう。

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