25『巧ミナ話術ノ糸ヲ切レ』

「随分と早い到着だな。まだ美恵君は来ていないぞ」

「あぁ、彼女は優秀な営業だからねぇ。同僚が死んだ日くらい、定時で上がればいいのにさ」

「まぁ、公開はまだだからな」


 肩をすくめる社長に、さもありなんといった表情で頷く院長。そんなまるで他人事のような二人のやり取りに、俺は忘れていた怒りを思い出していた。


「なんだよ……それ」


 絞り出した声に、俺を放って談笑していた2人がこちらを見る。


「鏑木を殺したのはあんたたちだろ!」


 喉が痛むまで声を張り上げたのは久々だった。ガラス製のテーブルが震えるほどの声量だったにもかかわらず、2人は動じた様子もなく、ただ静かな視線をこちらに向けた。


「まだ説明してないの?」


 やや呆れたように確認を取る社長に、院長は軽く息を吐いて俺を睨む視線を細める。


「睨んだって――」

「石井君」


 息まく俺を制するように院長が突如放った、温度を感じさせない呼び声を水を差されて思わず声を引込めてしまう。怒りに任せて怒鳴りつけるまでは無視できたが、一度沈黙が支配する中この男と相対すると、その怖気すらはらんだ迫力に足を後ろへ引きそうになる。


「……三吾君も言っていた通り、彼は望んでこの実験に参加したんだ。実験の方針には異を唱えずに従うことも再三再四確認を取った。書面も見るかね?」


 じっと目を合わせてゆっくりと、そして噛み砕くように話してくる院長。彼にとっては恐らくそんなつもりは微塵もなかったのだろうが、まるで小学校の先生が聞き分けのない生徒を諭すような口調を挑発と捉えた頭が、萎みかけていた怒りに再び火を点ける。


「だけど普通、殺されるなんて考えないだろ!人殺しの片棒を担ぐのも――」

「見通しが甘かったってだけでしょ」


 だがいきり立ったのも束の間。またも入れられた横槍に、俺の気勢は削がれてしまう。半眼を向けて横から声を発したのは、三吾社長だった。


「大体さぁ、いくら治験の報酬相場が高いっつったって、うちの夏ボの倍以上の報酬がなんのリスクもなしに出ると思う?あ、ちなみにこれも説明したけどね」

「それは……あいつだって事情があって」


 言を返す俺の頭に、結婚の話をしていた鏑木のはにかんだ笑顔が浮かび、鼻の奥につんとした痛みが走った。あいつは私利私欲の為じゃなく、白石さんという彼女と自身の母親の為を思って、自分に出来ることを成そうとしただけだ。なのになんであんな最期を迎えなきゃならない。


「そんなの僕たちの知ったことじゃないよ」


 俺を襲う悲しみを知ってか知らずか、あざ笑うように吐き捨てた社長はが、ソファに体を沈ませながら続ける。


「知っての通りうちは別に副業を禁止してなんかない。金が月給以上に必要だっていうのなら他のバイトを探すなり、融資を受けるなり他にやりようはいくらでもあった筈だ。それを手っ取り早く、楽に稼げるって理由だけでホイホイ飛びついたのは、彼自身の甘さ故だろ?」

「そんなの一時的な――」

「治験だってずっと続くわけじゃないよ?それくらい君でもわかるだろ」


 俺の反論をぴしゃりと遮って、彼はさらに続ける。


「この際だから言っておこうか。いくら君がここでキャンキャン喚いたところで、この実験は止まらないし、止めるつもりもないよ。政府が絡んでいる以上、事が公にならない限り僕たちが裁かれることもない。そして何も知らない人間にとっては、こんな話与太話以下の妄想としか捉えようがない。ゴシップ紙だって食いつかないさ。まぁ公になりようがないよね」


 ――君が国と僕達以上に力を持ってて、止めようとするなら別だけど。

 端から有り得ない可能性だといわんばかりにを半笑いで言葉を切った彼に、ただ黙りこむしかなかった。院長も笑いこそ浮かべていなかったものの、その表情からは俺がどうにか出来るなどとは微塵も考えてないことが伺える。気付けば俺はぎり、と奥歯を噛み締めていた。

 悔しいが紛れもない事実だ。国はおろか、今の俺には目の前の男2人にすら対抗する権力も財力も持っていない。目の前で友人を殺され、また自身も利用されているというのに、俺は悔しさに震える以外何も出来ない。


「実際、僕は会社を含めたツテの中で金に困っている人間を見繕って声を掛けるように指示している。いくら危険を説いたところで飛びついてくるんだから、そっから先は自己責任でしょ?いい大人なんだからさ」

「あんたは、人をなんだと思ってるんだ……」


 彼の悔恨を込めて鏑木の口調そのままに、もう一度ぶつけてやる。


「僕には目的がある。その為なら周りのすべては駒にしか見えないんだよね」


 その言葉に一瞬、記憶に引っかかるものを覚えた俺は即座に論を返すことが出来なかった。同じような台詞をつい最近、どこかで聞いたことがある、ような……。


「それに、あの産業スパイを殺せって命令だって、僕らが下したわけじゃない。唐津課長が自らの失態を隠すためにオーバードーズまでさせて命令を上書きしてたんだよ」

「唐津課長……?」


 唐突に出てきた上司の名前をうろんげに鸚鵡返しにしてから、思わずはっと口に手を当てた。段々と目の前の男のペースに乗せられてきている。


「管理していた極秘の資料を、彼自身の不手際で被験者の1人に盗まれたのさ。まぁ、それを逆手にとって協力者を装い、逃走の手引きをするふりをしておびき出した上で、鏑木君を使ってしたみたいだけどね」


 ――しかし、彼に事件を揉み消すほどの力はなく、また隠蔽する程の権力を持っている三吾社長には言えずに黙って事を運んだため、遺体を処理できずに明るみに出た。考えの至った俺は頭の片隅で、あの週刊誌のバカげた見出しを思い出していた。


「おかげでこちらも表立って彼を消すことはできなくなってしまった。支社に飛ばして封殺するのが精いっぱいさ」


(そうか、あの居酒屋の時の鏑木の反応は――)

 2人で事件のニュースを見ていた時のことを思い出す。今思えば彼は話題になっている事件の結末が早く訪れた、というにはあまりにもオーバーなリアクションを取っていた。恐らく鏑木はそこで初めて、自身がやらされたことが治験と関係ない、唯の口封じであったことを悟ったのだろう。


「彼は唐津と違って有能だ。更に資料を盗み見たかして、自分の体がどうなっているかを知った。そして、あらゆる意味で自分がもう戻れないところまで来ている事も」


 そして俺に話す決意をした、のだろうか……。


「持ち出された資料には君の名前もあったからね。彼の性格を考えれば不思議な事じゃない」


 懐かしむような口調で喋る社長の言葉を聴いて思い返すのは、どんな奴にも――そう、俺みたいな奴にも分け隔てなく親身に接していた学級委員の姿だった。

 人がいくら余計な世話だと煙たがっても、決して俺を孤立させるようなことはしなかった鏑木。そのうち追い払うのも面倒になって飯や酒を付き合うようになって、あいつが打算や周囲への点数稼ぎなどではなく、ただただ俺との接触に価値を見出して接してくれていていたことを実感した。

 俺の何が奴を魅き付けたのか。一度くらい訊いてみればよかった。

 ……そんなものがなくても手を差し伸べる性分ってだけだったのかもしれない。本人だけが知るその答えは、もう誰も知る事は出来ない。

 だが、この二人の口から出た言葉でこれだけは確信が持てた。鏑木が最後に気にかけていたのは自分の母親と婚約者の白石さんだけじゃなかった。むしろ、俺の為にリスクを背負ってまであんなことをしたのだ。俺を連れ出さずに逃げ出していたのなら、俺に情報を与える時間を惜しんだならば、あるいは家族に最後の言葉を交わす時間くらい稼げたかもしれないのに。

 こんな、俺みたいな生きてても死んでても、何もなさなそうなやつに。


『なんも目的無い人生送ってたら、死人と大差ないぜぇ?』


 ――お前が死人になっちゃってるじゃないか。

 ぐっ、と、何かが喉からせりあがる、息苦しさに似た感覚が湧き上がってきていた。


「で、これからどうするの?君」


 例えばここが誰もいない自分の部屋だったなら、涙のひとつでも流して、膝を抱えているだけだったかもしれない。


「ねェ、聴いてるの?」


 だが、俺は今、鏑木を殺した張本人達を前にしているのだ。

 ――ならば。状況を改めて自覚した途端、締め付けるように襲う悲しみが怒りへと変わっていく。組んでいた両の指を解いていく。


「おーい」


 そうして別れた両手は、目の前まで近づいて声を掛ける三吾の首を掴んでいた。


「啓示!」


 院長の鋭い声に構うことなく手の甲に筋が浮く程力を込める。しかしそれでもなお、三吾の顔はあくまで平静そのものだった。そればかりか、あらん限りの憤怒を込めて睨みつけるこちらを無視するように、院長へと視線を送っている。


「……『001、止まれ』」

「薬もないのに!」


 止まるか。そう思っていた俺の指先の力が、一瞬だけ確かに力を失った。その隙を見逃さず三吾社長はするりと拘束から逃れ、素早く体を入れ替えて俺の体をテーブルへと叩きつける。


「ありゃあっさり。拳法やってたって聞いたけど?」


 背中へと曲げられた俺の腕を極めながら、三吾社長は拍子抜けした声を出す。


「これがあと半日後の事だったら、お前は死んでたかもしれんぞ」


 俺の視界の外で、呆れたような院長の声がした。


「知ってる。薬が残ってる時に呼んで正解だった」


 さて、と声に区切りを入れて、しかし極める腕の力抜かずに三吾は続ける。


「僕達を殺す。そんな選択肢は君にはないんだよ。気持ちはわからんでもないけど……2人も殺しちゃったら、2度と塀の外には出れないよ?彼の葬儀にも顔を出せなくなる」


 明らかにこちらを煽る口調。腕から抜け出そうとする体に一層の力が籠るが、それでも身じろぎするのが精一杯だった。


「話を前に進めよう。君は図らずも、実験の真意を知ってしまったわけだ。僕たちとしては、このまんま実験に協力してくれると嬉しいんだけど――」

「誰が人殺しの加担なんか」


 呻く俺に、真逆なんだけどなぁと苦笑する三吾。そこにさらに院長の声が被さった。


「どちらにしろ、知ってしまった以上君をこのまま何もなく解放する、というわけには――」

「いいよ、じゃ帰って」

「は?!」


 あっけらかんと言い放つ三吾に、初めて明らかに動揺した院長の声が響いた。


「会社も辞めてもらって構わない。好きにするといいさ」


 そんな院長を気にも留めずに、三吾はあっさりと俺の腕を解放する。鈍く痛みを訴える上腕を抑えながら、ソファにおいていた鞄を持ち上げた。


「そんな直ぐ帰るの?そろそろ美恵来るよ?」


 まるで遊びに来た子供を引き止めるかのような口調が、俺の苛立ちを加速させた。そもそもそんな事実に何の価値を見出せというんだ。


「こんなとこ一秒たりとも居てやるか」


 鏑木の無念を晴らすこともできない、俺の体をどうにかする術も浮かんだわけではない。それでも、俺はあの2人と同じ建物に自分がいること自体がはなはだしく不快に感じていた。


「あっそ。まあ、気が変わったらまたおいで」


 癇に障る三吾の声にはもう聴く耳を持たない。後のことは後で考える。乱暴にドアを開け放ち、廊下へと歩いて行った。






 ※      ※      ※






「いいのかあれで。いくら一般的には話に信憑性がないとはいえ、振れ回られて国側に漏洩を疑われると面倒だぞ」


 正門へと向かっていく石井の背中を、院長室の窓にかかるサッシの間から眺めながら、院長は三吾に呟く。


「大丈夫さ。彼はそこまで根気強い方じゃない。それに、一度薬の恩恵にあずかっている以上、どうあっても僕達から離れられやしないさ」

「それは……そうだが」


 口ごもる院長に、三吾は振り返って笑いかける。


「それに、ああいう手合いには口でどうこう言うよりも、実際に味わって貰った方が理解は早いだろうからね」

「薬を断ったらどうなるか、をか」


 その答えを知る院長の口ぶりは重い。しかし三吾はいや、と振り返らないままの姿勢で否定する。


「その前に『あの欲求』が満たされないことによる苦しみに音を上げると思うね。訳だし」

「とすると、2週間以上が経つか。しかしそれで騒ぎを起こされたらもっと厄介だぞ」

「その辺は彼女にフォローを頼むさ。まぁ、僕個人としては彼がどう行動するのかを見たくもあるけどね」


 既に石井の影すら見えなくなった正門を見続けるその顔は、どこまでも無邪気で、同時に無機質な怖気に彩られていた。



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