23『さよならはとつぜんに』
「……随分とお早い御着きで。三吾
首筋を抑えたまま、震えた声を絞る鏑木。口調だけは何時ものオフィスで聞くそれだった。しかし三吾はあくまで冷徹に続ける。
「襟元に仕掛けておいたものが役に立ちましたよ」
バイザーの端を指さす三吾、そこに光るオレンジ色の光が一度明滅し、もう必要ないとばかりに彼女はヘルメットを脱ぎ捨てた。
「っ!」
どうにか立ち上がろうとしていた鏑木がジャケットの襟裏を乱暴に揺する。僅かな間を以って小指の爪程の小さな塊がころりと落ちて、地面に軽い音を立てた。
(そういえば、朝彼女が、鏑木の襟を……)
「これ以上余計な事を吹き込まれては、困ります」
「どの道始末する気でしょうが。どうせならこのまま見逃してくれないか?」
始末という単語を聞いて改めて、三吾が鏑木を殺すためにここに来た事を思い起こし、胃がせりあがる感覚を覚えた。なんとか声を絞ろうとした俺を置いてけぼりにするように、三吾が言葉を返す。
「私たちの関知しないところで死なれては困るので」
「あんたら……人を何だと思ってるんだ!」
あの男のように。そう続ける三吾に鏑木は激昂した。
「誰彼構わず遠からずくたばるような薬飲ませやがって!」
「なるほど、唐津課長もよく調べたものです」
「……知ってやがったのか」
一人得心する三吾と歯ぎしりする鏑木を見て、俺だけが状況を飲み込めずにいた。
「私には目的がある。それに、その見返りとして高い報酬を得ていたのはどこのどなたです?治験方針に関する同意書にもサインをいただいていたはずですが」
「方針……?」
どうにかそれだけ口にすると、三吾は存在を思い出したように俺を一瞥した。
「被験者は投薬量及び治験行為に付随する一切について拒否権をもたないものとする」
「限度ってものがあるだろうが!」
「それを決めるのは貴方ではありませんし、サインを強制した事実もありません」
――本当、男って馬鹿。
吐き捨てた台詞で舌戦を完全に制した三吾は、
「あぁ、あなたは知らないのも無理はありません。契約、交わしてませんから」
「イレギュラーだってのか?」
俺が声を上げる前に、鏑木が再び睨みを利かせる。
「貴方が知る必要はないでしょう」
その言葉が合図であったかのように、再び鏑木の体がぐらりと揺れる。もはや立っているのも精いっぱいなほどに体の自由を奪われているのか、彼は膝に手を付きながら息を荒げだした。
「ぐ……何、打ちやがった」
「高濃度のテュエですよ」
(テュエだって?)
その名前を耳にしたとき、脳裏にあの緑色の瓶が浮かんだ。
「あれはただの栄養剤じゃあ……」
再び口を挟んだ俺を、害虫でも見るような嫌悪の眼差しで三吾は睨んできた。苛立ちを込めたその眼に射抜かれ、体は再び強張る。
「あれには極僅かですが、試製薬と同じ成分が含まれています。それでも常人ならば苦くて飲めたものじゃありません」
それきり彼女は鏑木の方へ向き直ってしまった。しかし、俺にもその意味が解る、依存性のテストを兼ねていたって訳か。そしてその事実は、一般の小売店を巻き込んでいることを意味する。いくら国の名の元情報統制が敷けるとはいえ……
(どれだけの規模で実験が行われているんだ)
次々と明らかになる、想像を超えた事実にもはや放心に近い心地を覚えていると、三吾が横を通り抜け、つかつかと鏑木の元へと歩み寄った。
「!」
抵抗の意志か、鏑木がどうにか背を伸ばし対峙しようとするが、その足はおぼつかない。対して三吾は急ぐ様子もなく懐に手を伸ばし、何かを握りしめ鏑木の方に向けた。
「てめぇ……」
あらん限りの恨みを込めて、鏑木が呻く。そこで俺は初めて、三吾が握りしめているものに見覚えがあることを思い出した。
――形は歪だが、あれは。
「私を恨むのは筋違いですよ。恨むなら勝手に倍の投与を施した唐津課長と、迂闊なあなた自身をどうぞ」
それはまぎれもない、死の宣告だった。慣れた手つきで安全装置を外す三吾に、立つのも精いっぱいの鏑木。やがて訪れる結末が嫌でも目に浮かぶ。
「待ってくれ!」
気づけば俺は、そう叫んでいた。あまりの声の大きさに三吾だけでなく、鏑木まで目を丸くしてこちらを向いている。
一斉に四つの光を向けられてすぐに、勢いだけで声を出した自分の無計画さに後悔が襲って来ていた。
(でも、ここで何かしないと鏑木が死んじゃう)
「……三吾さん、本当に鏑木はもう助からないのか?」
あえて彼女が殺すことを念頭に置かずに聞く。その質問の真意を先に察したのは、鏑木だった。
「ああ、さっき言った通り、この薬は服用すればするほど死に近づく。さっき三吾が言った通り、俺はこないだ規定を無視した量を飲まされたからな」
「じゃあ、服用をやめれば……」
「その仮定に意味がないこと、わかるだろ?」
そういって三吾を顎で指す。彼女はこちらのやり取りを伺うように、銃を構えたまま微動だにせず瞳だけ口を動かしている方へと向けている。
「なら……せめて白石さんに逢わせてからでも……」
言葉を切り、二人を見やる。鏑木もそれを望んでいるのか、黙りこくったまま三吾の返答を待っているようだ。
「それは、できません」
「どうして!」
「なぜ彼をここで始末すると思います?実験に従わなくとも勝手に死ぬのならば、わざわざこんなことはしませんよ……勝手に死ぬのなら」
――どういうことだ。
聞き分けのない子供に言い聞かせるような三吾の口調。結びに改めて繰り返された文句から漂う、たっぷりとした含みに疑問を覚えたのは俺だけではないようだった。説明を求める声を俺と鏑木が重ねる。
しかし、次に彼女が起こした行動は、説明などではなかった。
「こちら三吾、間もなく018を回収します!」
「なっ――!」
インカムに指を当て、突然叫ぶ三吾。突然のことに、銃を向けられているのにもかかわらず鏑木は立ち上がり、その勢いで彼女の胸ぐらを掴む。
「お前には情ってもんが――!」
「よせ!」
間に割って入り、二人を引きはがした俺の頬を覆う、生暖かい何かの感触。
「うわっ!」
同時に視界の左半分だけが赤く染まった。反射的に顔を拭った掌から立ち上る、むせ返るような鉄錆の香り――
「なんだ、これ……」
「こういうことです」
三吾は襟元を直しながらあくまで冷静に、鏑木の顔を見て呟く。それに倣い俺も鏑木の方へと目を向けると。
そこには、眼窩、鼻孔、そして大きく開けた口からどす黒い血を流す鏑木の姿があった。突然三吾を離し、こちらにゆらりと濁った瞳を向ける。
「かぶら」
俺が口を開いた瞬間、喉元を急激な圧迫が襲った。
踵、ついで爪先が地面から離れていく。それは自分の体が鏑木の右腕によって宙に浮き上がったせいだと理解するのに数秒を要した。
「が、あ、あ」
やめてくれ、離してくれ。どうしてしまったんだ。どうにか声に出そうとしても、締め上げられている喉は息を吸うことも吐くことも出来ずにいた。
それどころかどんどんと強くなる力によって、首の骨が軋みを上げ始めた。締め上げるその腕を両手で掴み、全力で離そうとしてもびくともしない。
「これが末路。彼の場合はオーバードーズによってそれが早まった」
冷静な声が鏑木の体の裏から響く。いつのまにか三吾が彼の背後へと回り込んでいた。
「か、ぶら、ぎ……」
絞り出した声はほとんど掻き消えていたが、ほんの僅かな間だけ、鏑木が指先に込める力が緩んだ。だくだくと流れ続ける血に染まった眼球の焦点が、ピタリと俺を捉える。
「いし、い。たす、け――」
そのすぐ後に、ばしんという音が響き、鏑木の体が僅かに震えた。それを合図としたように締め付ける腕の力が抜けて、解放された俺の体が地面に落ちる。
「何を……」
息を整えながら二人の方へと向き直った俺が見たものは――、
側頭部に無数の穴を開けて倒れ伏す鏑木の体と、それを見下ろす三吾だった。
「鏑木……」
事態を飲み込んだ頭が虚ろに彼の名を口から零させ、次いで目の前の惨景に込み上げた吐き気が、地面に吐瀉物をぶちまける。
そんな俺を三吾は意に介さず、公園の入り口から歩いてくる影に向かい目礼をしていた。
「終わったようだな」
(この声は……!)
意識がはっきりしている今ならば、その落ち着き払った声の持ち主がすぐに浮かんだ。
「藤沢……院長……」
「中途覚醒か、本当に君は様々な現象を引き起こしてくれるね」
藤沢院長はそこで一度視線を鏑木の遺体に戻す。
「一定量及び期間以上の継続服用に、極度の興奮が合わさった結果だ。三吾君に感謝するといい。彼女が止めを刺さなければ、君は見境を失った018によって首を折られていただろう」
普段俺が受けるカウンセリングそのままの口調で俺に告げ、それを黙って訊いている三吾へとその目を向けた。
「さて、三吾君」
「はい」
院長が声を掛けると、その続きを察したように手早く返事を返した三吾がその細腕で鏑木の遺体を担ぎ上げた。同時に院長が投げて寄越した車のキーを開いた片腕で器用に受け取る。
「裏口に停めてある。事後の処理は忘れるなよ」
「はい」
もう一度短く目礼を返し歩き出す彼女の背中を、俺はただ見送る。目の前で友人が知り合いに殺されたという出来事のインパクトに、怒声の一つすら上げることが出来ない。それを仕組んでいるのが自分の主治医となればなおのことだった。
「さて、どうするかね?」
そんな俺を暫く静かに眺めていた藤沢院長だったが、やがて何のきっかけがある訳でもなく訊ねてきた。
突然の呼び掛けに思わず振り返ったが、肝心の質問の意図がわからない。返答を探しあぐねている俺に、彼はさらに続ける。
「自分の置かれている状況をもっと知りたいのなら、明日私を訪ねるといい。変わらず実験に協力してくれるなら帰ってくれても構わんがね。それとも、彼の敵に私を殺すか?」
次々と俺に選択肢を提示しながら入口へと向かっていく院長。その口ぶりは昼飯をどこで取るかを選ばせるような他愛なさで、こちらを意に介さず歩くその背中は今にも殴りかかれそうなほど隙だらけだった。
自分でも気づかないうちに、拳は音を立てる程握り込まれている。
(でも……)
ようやく動くようになった足が、既に見えなくなった背中を追いかけてとぼとぼと歩き出す。
大通りに出るとちょうど彼がタクシーへと乗り込むところだった。ドアが閉まる間際こちらに気付いた彼が、僅かに口角を上げたのが見えた。
握った拳は、すぐに戦慄いて解けていた。
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