第32.6話 クイーン

 奈緒へのお土産にりんご飴を、噛む力のほとんどない伏見さんのためにはたこ焼きを、きっと冷めたぐらいがちょうどいいだろうなんて言いながらぶら下げて民宿に帰ったが、部屋に奈緒と伏見さんはいなかった。駐車場を見たがライトバンもなかった。奈緒はたった一人で伏見さんを連れてどこに行ったのか…… 

 しばらくしても帰ってこないので携帯にコールしたが応答はなかった。しばらくしてラインで

《だいじょうぶだよ。心配しなくて。》

《ちょっと二人でデートしてるの!》

 ふたつの短い文の後、へんてこな顔をしたよくわからないキャラが親指を立てて、OKサインをしたスタンプ。そしてさらにしばらく時間をおいてから

《道がすごい混んでいる!》

《運転するのしんどいからどっかで休む》

《今夜はそっちに帰らないと思うけど心配しないで!》

 と、続けざまに連絡が入った。

「ちょっとお、二人でどこまでいってんのよお。」

「心配するなって言ってるんだから大丈夫だろ。」

「そんなこと言っても……」

「だいじょうぶ。あいつら昼、車の中で散々寝てただろ? それに伏見さんだって少々ほっといたぐらいで死ぬわけじゃない。一晩中起きて看病するまでもないだろ。」

「それはそうだけど……」

「それより俺、もう一回風呂行ってくるわ。」

 崇さんはそれほどに心配している様子はない。神経が図太いのか、それとも奈緒たちを信頼しているのか。しばらく一人、部屋でぼうっと外を眺めていた。そこに卓ちゃんがよく冷えたビールとつまみとを持ってきた。

「え、どうしたのこれ?」

「あ、さっき加藤君が部屋に運んどいてくれって…… 今日はあの患者さんの世話をしなくてよくなったからゆっくり飲もうって……」

「んもうっ。っとに緊張感がない!」

「まあ、いいじゃない。せっかくだからゆっくりしたらいいじゃないか。」

「それにしても奈緒、一体どこに行ったんだろう?」

「まあ、どこでもよかったんじゃない? 少し顔を合わせるのがつらくなったんだろう?」

「……どういうこと?」

「……本当に憶えていないの?」

「そう言えば昼にもそんなことを言っていたけれど……」

「奈緒ちゃんはそれを思い出しちゃったから顔を合わせづらくなったんだよ。きっと。」

「ねえ、さっきから何を言っているの? わたしと奈緒、ここでむかし何があったの?」

「ききたい?」

「ききたい。もちろん。」

「ほんとうに?」

「本当に……」

「じゃあ、おしえてあげるよ。そのかわり……」

「そのかわり?」

「あしたになったらちゃんと忘れてね。」

「聴いても忘れなければならないことなの?」

「うん、どうだろう? でもきっとそうだと思う…… 昔奈緒ちゃんは……」



――奈緒は小さいころ、とても強気な女の子で、この施設にいるころ、男の子たちの間では密かに〝クイーン〟と呼ばれていた。

当時ここにいた女の子の中で最年長というわけでもなかったが、自意識が強く、女の子をまとめ上げるリーダー的な存在だった。男の子をまとめていた崇さんは〝キング〟と呼ばれ、二人で子供たちの管理を率先していた。やさしく包容力のあったキングとは対照的にクイーンの方はみんなを厳しく取り締まった。特に食べ物や毛布などの支給品が皆に平等にいきわたるように徹底した統制をしていた。それは子供にしてはできすぎるほどにできたしっかりした子供だったという。

 ある日、クイーンは施設の女の子が夜中、隠れておやつを食べているのを発見した。それを見つけたクイーンはその子の背中を木の枝で何度もぶった。女の子が泣くまで折檻し続けながら、どこからそのおやつを盗んだのかを問い詰めた。

 しかしいくら殴ってもその女の子はどこからおやつを盗んだのかを言わなかった。殴り疲れたクイーンは今度は女の子を中庭にある土蔵に閉じ込め、外からかんぬきを掛けた。それでも口を割らなかった女の子に対し、あからさまに冷たく当たるようになった。ことあるごとに折檻だと言って背中を木の枝で殴りつけ、事あるごとに土蔵に閉じ込めた。

 ―――それは必要悪だったのだろう。

 混乱の中、皆が皆、涙をこらえて共同生活をする中、徹底した統制をするためには〝罰〟と〝見せしめ〟は必要だった。だが、それさえもやがてエスカレートし過ぎていた。しかし誰もそれを止めることはできなかった。きっと止めようとしてその矛先が自分に向くのを恐れたのだ。皆は皆、そろってみて見ぬふりをすることで施設の平穏は保たれ続けた。しかし神様は見ているものだ。その子に救いの手を差し伸べたのだ。その女の子は誰よりも早く里親が見つかり、早々にこの施設を離れることになった。


「……思い出した」

「おれは知ってたんだよ。あの時あの女の子は胃を悪くしていてずっと配られていたおやつを手を付けずにしまっていただけなんだ。それを夜中に食べていただけ…… あの時おれがちゃんとクイーンにそのことを言ってさえいればあんなことにはならなかったはずなんだ……

 ごめん…… あきちゃん……」

「ううん、気にしないで。もうとっくに終わったことなんだから。あの時は仕方がなかったんだよ。

そうか…… だから奈緒はきっとその時の事を思い出して罪の意識から顔を合わせづらくなって、どこかへ出て行ってしまったんだ…… 奈緒になんて言えばいんだろうでも…… 何でわたしも、それに奈緒もその時の事を忘れてしまっていたのかしら……」

「それは……」

 不意に後ろから聞こえた声に振り返ると、いつの間にかお風呂から上がってきた浴衣姿の崇さんがいた。

「それは……それはきっと忘れていた方が都合がよかったからだろうな。あの頃は他にも嫌で嫌で思い出したくないようなことがたくさんあった。だからなるべく憶えておかなくていいことは憶えていないようにと、わざと忘れていたんだよ……」言いながら崇さんは濡れた頭をごしごしとタオルで拭きながらあぐらをかいて座った。良く冷えたビール瓶を掴み、用意されていた二つのグラスいっぱいにビールを注ぐと一つをわたしに、そしてもう一つを卓ちゃんに渡した。「いいだろ? ちょっとぐらい付き合えよ」

 ふたつのグラスと崇さんの持ったビール瓶とで乾杯をするなり、崇さんはビール瓶についた水滴を浴衣の袖で拭いて瓶の中腹を力強く掴み、そのままラッパ飲みでビールを煽った。

「で…… ああ、そうだ。忘れてもいい記憶を忘れたことにして、適当な嘘の記憶で補完することでどうにか精神を保っていたってことさ。でも、こうしてそれを思い出し、向き合い、ちゃんと乗り越えることで俺たちの気持ち自体を復興させていくべきなんじゃないのかな」

「ねえ、崇さんはずっと憶えていたんでしょう? 憶えていてずっと黙っていてくれたのね」

「どうだったかな? もう昔のことだから憶えていないよ」

「うん、そうね。もう昔のことだから……」

「なあ、卓ちゃん、今日はもういいんだろ? せっかくだからお前も付き合えよ」

「仕方ないな…… キングの言うことじゃあ逆らえないよ。……グラス、もう一個持ってくるよ」

 卓ちゃんがグラスを取に部屋を出て行ったとき、そっと崇さんが教えてくれた。

「お前を引き取った里親いるだろ…… あの人たち、本当は初め、卓ちゃんをひきとりたいって言ってたんだぜ。でも卓ちゃんはそれだったら自分よりもぜひともお前をって言って断ったんだ。あいつ、昔からお前のこと好きで、それでどうにかお前を救ってやりたかったんだと思うぜ……」

 それを聞かされて胸がいっぱいになった。もしあの時素直に卓ちゃんが引き取られていれば、最後までここに居続けたのはわたしだったのかもしれない。もう、それは過去の話だけれど…… そしてわたしは未来のために奈緒にメールをした。それは長い長い長文になり、そのメールで思い出した過去と向き合い、これからもずっと友達でいたいということをおくった。奈緒からは

《また、明日。早朝にはそっちに帰るから、その時にはちゃんとあたしからも謝らせて》

 というラインが届いた。

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