第15話 助っ人新人


新人助っ人現る



 ある日を境に伏見さんはすっかり優しくなってきた。いったいなぜ彼がそれほどまでに変わってきたのかはわからなかったが、ある日、伏見さんが衝撃的な発言をした。


「実はボクね。セックスしたことがあるんだよ。童貞じゃないんだよ。あ、でもね、これは向井には秘密だよ。あいつ、ボクに先を越されていると知ったらきっとショックだろうからね。」


 いきなりの告白にどう対応していいのかわからない。その時はまるで自慢したくしたくてたまらないように思えた。後でベテランヘルパーの白岩さんに話すと、白岩さんも当然のように知っていた。おそらくみんなに言ってまわっていたのだろう。あの様子だと向井さんにまで自分で言っていたかもしれない。

 白岩さんは呆れたようにこんな話をしてくれた。


「男ってホントいつまでたってもHなことだけ考えている生き物だから。ウチがね、伏見さんの前に担当していた、ほとんど寝たきりに近い老人なんだけどね。九十歳でもう体中どこもかしこも悪くなっていていつお迎えが来てもおかしくないくらいの人だったの。そのひとはずっと独身で身寄りもなく、ウチがいかない日はずっと一人で暮らしていたの。ある日、その老人の家にうかがった時、抽斗の一番上の段を開けてくれって言うの。言われた通りのそこを開けて言われた通りの場所には封筒があって、その中には一万円の札束が入っていたわ。その老人は、『頼む。その金、全部やるからお願いだ…… お願いだからおっぱい揉ませてくれ!』

っていうのよ。ウチが『大切なお金なんでしょう?』と聞くと、『大切でなんかあるもんか。どうせ金はあの世には持っていけん。だから冥途の土産におっぱいの感触の思い出を持っていきたいんじゃ』って言ったのよ。」

「それで、色岩さんはどうしたんですか?」

「もちろんお金を受け取って揉ませてあげたわよ。しかも生でね。あ、この話、くれぐれも主人には内緒よ。」

「いえるわけありません。」

「そう、それなら良かった。でね、その老人はその後しばらくして亡くなったのだけど、その老人をみとった看護婦さんが変な話をしてくれたの。その老人、死の間際にすごく穏やかな顔をしながら、ほとんど動きもしないその両手を天井に向けて何かを必死につかもうとしていたらしいの。あれはなんだっただろうって看護婦さんは言っていたのだけど、たぶんそれはウチが思うに〝エアおっぱい〟していたんじゃないかって思うの。その話を聞いてなんか嬉しくなっちゃって。」

「うれしかった?」

「だってそうでしょう? 人間ってその人生がどうだったかっていうよりも、死を迎えるその瞬間の笑うことができればその人生は成功だったと言えると思うの。結婚もしてなければ子供もいないさびしい老人ではあったかもしれないけれど、死の間際にウチのおっぱいを思い出しながら幸せそうに死んでいったのよ。それってやっぱりウチのおかげでしょう?

 男は女の最初の男になりたがり、女は男の最後の女になりたがると言ったのは確かオスカーワイルドだったかしら? 少なくともうちはその老人の最後の女になれたわけよね。」

「そう言えば死ぬときは腹上死が理想だとか言ってる男、結構いるわね。死の直前までセックスしたいなんてどうなんだろう。」

「あら、でもそれは男に限らないかもしれないわ。たしかアウシュビッツに移送されているユダヤ人たちの多くはこれで生きては帰れないかもしれないと考えた時、多くの者は祈り、多くの者は自殺を選んだけれど、それに負けないくらい多くの人間が選んだのはセックスすることだったらしいわ。たしかに男が死の間際に自分の身代わりとしての子孫を残そうという考えはわかるけれど、女はどうかしら? 今から死ぬと思っているのなら子供をつくる意味なんてないのよ。それなのに望んでセックスするというのは何かそれなりの意思があるんじゃないかしら?」

「そうね、そういえば戦争に行った女性兵士の多くが帰還した時、妊娠をしていたという話は多いらしいわ。もしかしたらセックス自体が命を育む行為そのものであるように、セックスをしたいという意思は同時に〝生きたい〟という意思の具現化した行為なのかもしれない。」

「たしかにそれを考えれば伏見さんが普通の人以上にセックスしたいと考えてるのはわからい話ではない気がするわ……」


しかしそれはそれにしても、あの伏見さんの童貞じゃない宣言。この崇さんの手記を読むまでわたしはそれがごく最近のことだとは思わず、ずっと若いころ、まだ体が動いていたころの話だとばかり思っていた。


 そしてまさかその相手が彼女だったなんて思いもよらなかった。


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