Reservoir SAMURAI
翠瓜
"一"意孤行
Reservoir『掃き溜め』
掃き溜め、この場所にはその言葉がピッタリであった。
地下に漂うじめじめとした空気と嫌な暑さ。最悪な環境であったが、ここに住む者達では改善しようがない。
それもそのはず、ここを住処とする者は皆、堅くて暗い牢の中に閉じ込められているのだから。
そんな、どこか陰鬱としたこの地下も、今日は騒がしかった。
「『獣憑き』が脱走した! 追えっ!」
職員の怒号が辺り一面に響く。
その声で、牢の中に囚われている少女達は体をピクッと反応させ、隅の方で震えていた。
バタバタと、檻の外では男達が焦りを浮かべた表情で走り回っている。
「全職員に告ぐ! なんとしてでも探し出せ! 奴をここから出すな…っ!」
天井につけられたスピーカーからも怒号が響く。安いスピーカーなのか、音はひどく割れていて耳に嫌な不快感を残した。
しかし、職員達にそんなことを気にする余裕は無く、ただただひたすら走り回って何かを探しているようである。
「……彼女、無事に逃げられたかしら」
ぽつりと、囚われている少女達の一人が呟いた。
「私たちがここから外に出れたとしても行く宛なんてないくせに、人一倍出たがってたもんね」
その呟きに別の少女が言葉を返した。
他の者もみんな、脱走した彼女のことが心配なのだろう。普段は光の灯ってない目をして、ただただ長く続く苦痛を耐えている少女達も、この時はどこか不安げな顔をしている。
「あいつ、ここを出たらどこ行くって言ってた?」
「そうね……確か……『トウキョウ』、だったかしら?」
「ああ、あの第二都市トウキョウのこと?」
「この地下のことしか知らない彼女が唯一知ってる外の世界の名前ですもの。まぁ、きっと上手くやっていくでしょう……あの子なら、きっと」
それは、祈りに近いものであった。
ここで生まれた者が辿る末路から逃れようとした彼女に対し、自分達の願いを重ねて。
「あの子ならきっと、私達をここから逃がしてくれるはず」
~~~~~~
「四千円になります」
予想外の値段だった。
朝から何も食べてない分昼飯で取り返そうと考えていたのだが、思いの外食べすぎていたらしい。
財布を開け、ジャラジャラと小銭の音を立てながら男は所持金を数えていた。
ボサボサの髪の毛を手で掻きながら、男はこの状況をどうするか考えていた。
調べたところ、財布の中には五百円玉一枚と、十円玉が四枚、一円玉が七枚しか入っていない。
計算しなくても、絶対払えないということはわかる。
片耳につけている『鍵』の形をしたピアスを指で弾きながら、どうしたものかと考える。
店内を見渡すと、美味しそうに中華料理をつついている親子と齢七十ほどの年老いた男、ガラの悪そうな三人組が席についているのが見えた。
しめた。男はそう思い、三人組に向けて指を指しながら店員にこう言った。
「あいつらにツケといてくれ」
店員は一瞬、ぽかんと口を開けたまま唖然としていたが、気を取り直すように口を閉じた。
そして、男と三人組の方を交互に視線を動かした後、納得したように「わかりました」と言った。
恐らく、ピアスの男もガラの悪い連中と同じ仲間なのだと勘違いしてくれたのだろう。
クセ毛なのかあらゆる方向に跳ねまくってるボサボサの髪、片耳についた趣味の悪いピアス、濁ったような色をした瞳。
少なくともまともなタイプの人間には見えまい。
男は肩をすくめ、両側の腰に差した刀にひっかからないよう、深い紅色をしたジャケットを羽織って店の外に出る。
真夏の日の光が目に刺さるようで、思わず細めてしまう。
もわもわとした熱気が全身を包みこみ、今にも汗が吹き出しそうであった。
「トウキョウは今日、最高気温40℃を記録し――」
巨大なビルについた該当モニターから、衝撃的な事実が告げられる。
40℃ともなるとさすがに死者がでる気温であろう。徒歩という移動手段しか持たない男にとっては地獄以外の何物でもなかった。
さすがに日が落ちるまでどこかで休息をとらないと駄目か……そう考え、男はこの辺りで一番大きいビルへと歩き出した。
その中は確か巨大な百貨店となっていたはずだ。当然そういう店ならクーラーも効いているだろうし、金が無くても充分休むことができるだろう。
なんとも卑しい考えではあったが、男はそんなこと気にしなかった。
男にとって、卑しさなど道に転がっているタバコの捨てがらよりどうでもいいものなのだから。
その時――
「おらまてコラぁ! テメェ……そこのクソみてえなピアスつけたお前だよ!」
男が振り向くと、先ほど店内でみかけた三人組が不機嫌そうな顔で大声をあげていた。
「なんで俺達がテメェの代金払わないとならないんだ? あ? 俺達のこと舐めてると……斬るぞ!」
「おう、やっちゃおうぜあいつ」
「三対一だ。大人しく俺らに土下座して有り金置いてけば許してやるよ」
一人は腰に差した刀を抜いて男へと向け、後の二人は脅すように声をかける。
悪いのはどう考えても男の方なのだが、無関係な人がこの光景を見れば三人組の方が悪者に見えるだろう。
そんな様子を男はニヤついた笑みを浮かべながら眺め、煽るように両手を広げる。
「斬る? 斬るってことは……俺と剣で殺し合いをしたいわけか」
その言葉に向こうは肯定の頷きをする。
「ああ、だから刀……抜けよ。まさか知らないわけじゃないだろ? この国じゃ合意の上の決闘は認められてるぜ……ま、こっちは三人でいかせてもらうけどなぁ!」
残る二人も刀を抜き、男に向かって構えをとりはじめた。
ガラの悪い見た目をしているわりには、その構えは充分形になっており、不思議と『侍』の姿を連想させられる。
そう、このニホンでは侍は生きているのだ。
――ただし……
「お前ら相手に刀抜く必要もねえよ」
場に一時の静寂が訪れる。三人組は男の言葉が理解できないといった様子で、刀を抜いたまま硬直していた。
刀を抜く必要がないと言ったこともそうさせた原因でもあったが、問題なのはそこではない。
三人を相手に戦う意思を見せたことに驚いたのだ。
いかに優れた技術を持つ者でも、数の暴力の前では屈服せざるを得ない。
剣術だけの話ではない。戦闘においての基本である。
三対一、これは一般的に見ればかなり有利不利がわかれる状況であり、こちらが負ける道理など絶対にない。
三人組の考えはこうであった。
彼らはこれまで、こうした『数』で勝ってきたのだからこの思考に辿り着くのが正解である。
事実、まったく同じ戦闘力を持つ者同士が戦えば、当然数の多い方が勝つだろう。
しかし、それはあくまで戦闘力が同じ者同士の戦いにしか当てはまらないのだ。
「こいよ」
男は三人に向かって手招きし、挑発する。
「なめやがって……っ!」
あっさりと挑発にのってしまった一人が、刀を構えながら一気に距離を詰めようとする。
そして、男との距離が2メートルとなったところで、男が動き出した。
「馬鹿みたいに一直線に進んで大丈夫か?」
男はニヤけながら手をジャケットの中に入れる。
挑発にのった一人には、それが苛立ちを加速させる原因となった。「クソが!」
と悪態をつきつつ、男を斬るために刀を振り上げる。
その動作を確認し、男はポケットから手を出し、握り拳を相手に向け、勢いよく手の中にある物をぶちまけた。
「なっ! 小銭――」
近距離で小銭を投げつけられた場合、それらを回避するのは至難の技である。
小銭はそのまま相手の顔面に当たり、当たった方はどうするこもできず怯むしかなかった。
そして、刀で両手が塞がれていて、なおかつ怯んで目が閉じられている敵に向かい、男は渾身の右ストレートを放つ。
見事に相手の鼻柱にヒットし、相手は鼻から血を噴き出しながら倒れる。
無駄のないスムーズな動きであった。
「ハッ、せっかくの三対一なのに一人で突っ込んでくるとは……雑魚だな。そっちお前らは二人がかりで突っ込めばいいんだぜ? まとめてぶちのめしてやるからよ」
残りの二人に向かって男はさらなる挑発をかけ始める。
しかし、先ほどの男の戦いを見た彼らは挑発に対し、怒りよりも恐れを感じていた。
なにせ、男がぶちのめし、道に鼻血をたらしながら倒れている者は、三人組の中で最も腕が立つ者であったからだ。
しばらく待ってもなかなか動き出さない二人に痺れを切らしたのか、男はゆらゆらとした動作で近づいてゆく。
その姿はまるで、地獄からの使者の様であった。二人の顔はみるみる恐れで真っ青になっていき、少しずつ後ずさりしてゆく。
そして、とうとう耐えきれなくなったのか、男との距離があと数メートルとなったところで突然走り去ってしまった。
「あ、おいまて! せめてこいつ連れていけよ……逃げやがった」
最初に倒した奴を見捨てて逃げ出した二人に声をかけるも、すでに二人は姿が見えないところへ逃げてしまっていた。
仲間を見捨てるなんてずいぶんと薄情だ、なんて男は思わない。もし自分も同じ状況に立っていたら仲間なんて見捨てて逃げるのが一番賢い選択だろう。
それ以前に、自分に仲間なんていないし、そもそも自分が追い詰められる状況なんてない。
考えるだけ無駄な時間だった。
とにかく、昼飯代も払わずにすんだし、いつまでもこの猛暑の中、外にいるわけにもいかない。
二人が逃げた先に向けていた視線を反対側に向け、百貨店へと歩を進めようとする。
もう男が進む道を邪魔する者はいない……はずだった。
「ま、待ってください!」
突然、目の前に小さな何かが立ち塞がる。男は急に現れたソレに対応できず、ぶつかりそうになってしまった。
ソレは全身亜麻色の布に包まれており、真夏だというのにフードを深く被っている。
ジィっと目を男に向けるも、身長差のせいで上目遣いをしているように見えた。
「誰だ、お前」
男にはソレに見覚えがなかった。
この街に知り合いなんていないし、恨まれるようなことは星の数ほどしてきたので、仮にこのフードがさっきの奴らの仲間だったとしても、自分がそれに付き合ってやるつもりはない。
だというのに、ソレに誰なのか訪ねたのは一体どうしてか。
怯えた小動物の如く体を震えさせ、それでもなおこちらに顔を向けてくるソレに対し、何か因縁めいたものでも感じとったのだろうか。
心というものが形のある容器でできていたとしたら、その内側にはべったりと湿ったものがへばりついてるであろう。
男は妙な気持ちになりながらも、ソレの次の言葉を待った。
「……っ。わ、わたっ、私を」
ソレは小さな手でギュッと服の裾を握りしめ、暑さのせいか緊張のせいか、額に汗を浮かべている。
そして、張り裂けそうになる勢いで叫んだのだ。
「私の
そう、このニホンでは侍は生きているのだ。
――ただし……
騎士がいるだなんて男にとって初耳であった。
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