私とアナタの15センチ
絢野悠
第1話
彼の背中はいつ見ても大きかった。
小学校、中学校、高校と同じ学校。そして家は隣同士だった。誰がどうみても幼馴染みで、私が一番近くにいるという自覚もあった。近くにいたし、今でも近くにいる。
でもきっと、私は彼の特別じゃないんだと、そう思わされる。
彼、
「おーい、かえろー」
ノートをカバンにしまっている最中に一縷が声を掛けてきた。わざわざ私のクラスまで来てくれるのは嬉しいのだが、周りのクラスメイトからの視線が突き刺さるようだ。
それもそのはず。一縷は私の一個下で、つまりそれは下級生が上級生の教室に来ているということ。当然周囲はひそひそ話をする。
「部活はいいの?」
教科書、筆箱、ウォークマンをカバンに詰めていく。
「見てないのによく俺だったわかったね」
わかるよ、一縷のことなら。と、そう言えたら良かったのに。
一縷からは見えないように自嘲気味に笑った。そんなことを言ってもなにも変わらないって知ってるから。
垂れてくる髪の毛を耳にかけ、眼鏡の位置を直した。
腰元まである長い髪の毛は、昔一縷が「長い髪の女性が好き」と言っていたから伸ばした。煩わしいと思うこともあるが、今はもう慣れてしまった。
「で、部活は?」
「今日は休み。ほら、テスト前だし」
「そうね。そうだったわね」
立ち上がってカバンを肩に掛けた。一縷の方を見ると、彼は歯を見せて爽やかな笑顔を見せてくれた。
私と彼の身長差は三十センチ以上もある。私が百五十前半で、彼が百八十後半。昔はここまでの差はなかったが、それでも小学校の頃からずっと彼の方が身長が高かった。
宮前一縷は学校内でも人気が高い。男女問わず声を掛けられている。部活では先輩に一目置かれ、当然のように黄色い声援も上がる。部活以外でも、先輩後輩に関わらず友達が多い。友達という存在がいない私にとって、羨ましくもあり、素直に尊敬していた。
廊下を歩き、昇降口を抜け、校門を出た。学校から家までは徒歩五分。この五分間だけは、一縷は私の物になる。とても瑣末で、とても些細で、とても心地が良い。
彼のことをステータスにしているつもりはない。羨望の眼差しを背中に受けることが目的ではない。私はただただ一縷と一緒にいたいのだ。彼に、私を見て欲しいのだ。
私だけを見ていて欲しい。それだけが願いだ。それなのに、彼は私を見てはくれない。私だけではなく、誰かを特別視するということをしない人だった。これは中学の途中くらいからだと思う。
たわいない話をしながら歩き続けた。帰宅部の私とは違い、一縷は陸上部に所属している。中学校のときには全国大会までいった、校内きってのホープだ。
小学生の頃は短距離走の選手だった。だがタイムに伸び悩み、高学年のときに幅跳びに転向した。それから記録を伸ばした。高校に入っても優秀な記録を収め、一年生だった去年も全国までいった。
今でも思い出される。あの真剣な眼差しはなにを見ているのだろう、どこを見ているのだろう。たくましい体つきは日頃から努力している証拠だ。太陽の光を弾いて輝く汗は、一縷の魅力をより一層引き立てていた。
「そういえばさ、なにか趣味とか作らないの?」
「私? 私は、そうね。読書とピアノだけでいいわ。それ以上趣味があっても手が回らない」
「スポーツとかはやらないの?」
「今更始めたって遅いわ。もうちょっと身長があったら考えてもよかったかも」
「うーん、楽しめればそれでいいと思うけどね」
「楽しめないわよ、私は元々インドア派だから」
「まあまあ、やってみたら案外ハマるかもしれないじゃん?」
「じゃあ一縷はどんなスポーツを勧めてくれるの?」
「水泳とか? ちょうどこれから季節だよ?」
「そんなに私の水着が見たいの? それならそうと言ってくれればいつでも見せるのに」
「べ、別にそういうつもりじゃないから! 水泳って全身運動だし、ダイエットとかにもいいかなって」
「私が太ってるって言いたいの?」
「違う! 断じて違うからね!」
「わかってるわよ。アナタは昔から、口を開くたびにどツボにハマってくタイプだわ」
「そういうの、上手く立ち回れないんだよなあ……」
「それなら私が教えてあげるわよ」
「そりゃありがたい」
そんな当たり障りのない会話だ。この時間が永遠に続いたらいいのにと毎回思う。
「あー!」
家の前で、一縷が大きな声を出した。急にしゃがみこんで、自分のカバンの中をあさり始めた。
「どうしたの?」
「いやー、忘れ物しちった……」
「今日必要なの?」
「先生から借りたストレッチのDVDなんだよね。今日からやりなさいって言われた」
「それは必要かもしれないわね」
陸上にかける情熱がわかるからこそ、今必要なのだと私にもわかる。
「仕方ない、俺これから学校戻るわ」
「気をつけてね。気合い入れすぎて事故に遭わないように」
「おっけー! じゃあねー!」
「ええ、行ってらっしゃい」
大きな背中が遠くなっていく。走り幅跳びの選手ではあるが、元々短距離の選手だけあって足が速い。
彼の姿が見えなくなって妙な不安にかられた。このまま帰ってこなかったらどうしよう。このまま私から離れてしまったらどうしよう。
そんなこと、あるわけないのに。
「カバン、忘れていっちゃった」
一縷のカバンを持ち上げ、肩にかけた。いつも一縷が持っているのだと想像すると、なんだか恥ずかしくなってきた。
家に入った。なぜだか急に涙が出てきて、私は急いで部屋に向かった。
部屋に入ってベッドに飛び込む。枕に顔を押し当てて無理矢理涙を拭った。
一縷が私のことを特別だと思ってないのは事実だ。それを知っているから、私のことを見て欲しいと思っても、それを口にはしないようにと努めてきた。この先もきっと、私と彼の関係性は変わらない。変わらないから切なくなる。切なくなるけど、彼の幸せを望んでいる。望んでいるから、言い出せない。
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