陰キャに堕ちた幼なじみの扱い方

かごめごめ

第1話 陰キャな那子の自己紹介

 桜庭さくらば那子なこは俺の、小学校からの幼なじみだ。


 俺と那子は男女だけど親友みたいな間柄で、思春期になってもそれが変わることはなくて、なんなら周りの連中が引くくらいに仲が良かった。

 一年前――那子が遠く離れた地へ引っ越していった、中学三年の夏までは。


「はーい、みーんな静かにーっ! 今から転校生を紹介するねーっ!」


 ゆきなちゃん(担任、たしか今年で社会人三年目)はパンパンと手を叩きながら言って、扉が開いたままの教室入口に目を向けた。


「桜庭さーん、入ってきてーっ!」


 桜庭さん。

 ――桜庭さん!?

 桜庭さんって、まさか、え?

 え!?


 ……いや、そんなはずはない。

 那子は一年前の夏休み、二学期が始まる前に、親の仕事の都合で北海道に引っ越したのだ。二学期が始まって十日くらい経ったころに突然音信不通になって、それきり、連絡を取る手段がないまま時が過ぎた。


 一年後の今、その那子が、あの那子が帰ってきた??

 ありえなくはないが、どうにも現実味に欠けるというか。願望が前面に出すぎだろって感じで。


「おーい、桜庭さーん? どうしたのーっ、緊張しちゃったのかなーっ?」


 なぜか一向に入ってこない桜庭さんとやらに、ゆきなちゃんが呼びかける。

 これは、違うな。那子じゃない。確信した。

 あいつならソッコー入ってきて、乗らなくていい教壇の上にまで乗って、元気な挨拶をぶちかます。


 太陽のように明るい女の子。“陰”と“陽”なら間違いなく“陽”に属する。

 俺の知ってる桜庭那子は、そういう人間だ。


「桜庭さーん! 那子ちゃーん!」


 那子ちゃん!?

 ゆきなちゃん今、那子ちゃんって!!


 いや違う。冷静になれ。きっと聞き間違いだ。

 たぶんニコちゃん、あるいはヌコちゃんと言ったのだろう。そうに違いない。

 ……それにしても、マジで全然入ってこないな。


 業を煮やしたゆきなちゃんが呼びかけるのをやめて、教室の外に出て行った。

 にわかに教室が騒がしくなる。

 ややあって、ゆきなちゃんが戻ってきた。その背中に、一人の女の子を引き連れて。


「はーい! それじゃあ改めましてーっ、転校生の桜庭那子ヌコちゃんでーす!」


 ゆきなちゃんは桜庭ヌコさん(?)を教卓の前に立たせた。


 髪の長い女の子だった。

 胸の下あたりまでまっすぐに伸びた黒髪。那子も同じような髪型だったが、もう少し短かった。

 着ているセーラー服は、うちの高校の夏服だ。


 背は高くも低くもなく、女子の平均くらい。那子も平均的な身長だったが、この女の子よりは低かったと思う。

 華奢な身体つきをしていて、剥き出しの脚はすらりと細い。


 表情こそどこか暗いが、顔立ちは非常に整っている。とても可愛い。左目の下にある小さなホクロが、自然な色気を醸し出している。そういえば、那子も同じ箇所にホクロがあった。

 よく見れば、顔も那子にそっくりだ。

 …………って、いうか。

 ていうか!?


「那子!!!!」


 那子だ!!

 背と髪がちょっと伸びた、那子だ!!

 誰だよ、ヌコとか言ったやつ!!


 大声をあげて椅子から立ちあがった俺に、那子はちらりと、目を向けて。

 すぐに、逸らした。


「急にどうしたの、けーくん!? ゆきな先生びっくりしておしっこもらしちゃったんだけどーっ!?」

「いやいや、なんで目ぇ逸らすんだよ! なんか反応してくれよ!!」

「まっ、おしっこもらしたは嘘だけどねーっ! 本当はちょっとちびっちゃっただけーっ!」

「おーい、那子って!! 俺のことわかるだろ!? 啓人けいとだぞ、御代みしろ啓人!! もちろん気づいてるよな!?」

「それでそれでーっ? けーくんと那子ちゃんって、もしかして知り合いだったりするのかなーっ!?」

「なんで無視するんだよっ、那子――――っ!!!」

「なんで無視するのーっ、けーく――――ん!!!」


 ん? なんかノイズが聞こえると思ったら、ゆきなちゃんか。


「なんですか、ゆきなちゃん。ていうかいい加減、けーくんって呼ぶのやめてくださいよ」

「えーっ? だけどけーくんだって、ゆきな先生のことゆきなちゃんって呼んでるでしょーっ? おあいこだよ、おあいこ!」

「それはあなたがそう呼ばせてるんでしょ」

「だってーっ、友達なら名前で呼びあうのが普通だしーっ!」

「いい加減に学生気分は卒業してください。そういうところですからね、ほんと」


 ……いや、ゆきなちゃんにかまってる場合じゃない。

 俺はひとまず着席して、那子の様子を窺った。


 俺とゆきなちゃんの馬鹿なやり取りにも、那子は特段反応を見せず、俯きがちにじっと視線を床に落としている。

 無関心を貫いているというよりも、萎縮して殻に閉じこもっている――そんな印象を受けた。

 ……本当にどうしちゃったんだ、那子?


 まっすぐに垂れ下がる長い黒髪が、彼女の雰囲気を余計に重く暗いものにしている。

 ちょっと髪が伸びただけで、人の印象はこうも変わるものなのか?

 たかが一年、たかが15cm程度の違いで。


 そういえば、人の髪は一年でだいたい15cmくらい伸びるのだと、どこかで聞いたことがある。

 ということはおそらく、那子はこの一年間で一度も髪を切っていないのだろう。

 あの髪をバッサリと切ってしまえば、那子は元の那子に戻るのだろうか。

 きっと、事はそう単純ではないのだろう。

 そんな予感がしている。


「それでは那子ちゃん、改めて自己紹介をお願いしまーす!」

「……………………」


 案の定、というべきか。

 那子は一言も発さない。時間だけが無為に過ぎていく。

 教室のざわめきが増していく。


 俺はどうにも落ち着かない気持ちになって、なんでもいいから発言しようと腰を浮かせて――そのとき。

 見た。

 那子がかすかに口を開いて、そしてまた閉じる瞬間を。

 …………。

 そして、気づく。

 那子の脚が、小刻みに震えていることに。


「えーっとぉ……たしか那子ちゃんは、一年前までこっちに住んでたんだっけ? あっそっか、それでけーくんと知り合いなんだーっ! もしかして、けーくんのほかにも知り合いがいたりして!? というわけで、知り合いの子もはじめましての子も、みーんなで仲良くしようねーっ!」


 腐っても教師というべきか、ゆきなちゃんはそれっぽく話をまとめると、まっすぐに俺を見た。


「けーくんけーくん、せっかく再会したんだから、やっぱり隣の席がいいよねーっ?」

「そうですね、できれば」

「はーい決まり! そういうわけだから、くーちゃん! 悪いんだけど席替わってもらえるーっ?」


 俺の隣の女子――くーちゃんは無言で立ちあがると、机の中から教科書類を取り出し始めた。


「悪いな、くーちゃん。助かるよ」

「別にいいけど」


 と言うわりには、どことなく不機嫌に見える。

 今度スイーツでも奢ってやるか。


「じゃあ那子ちゃん、なにかわからないことがあったら、けーくんになんでも聞いてねーっ! もちろんゆきな先生でも、クラスのみんなでもいいからねーっ! あっそれと、ゆきな先生のことは親しみをこめてゆきなちゃんと呼ぶように!」


 さしずめ俺は、転校生の世話係といったところだろう。

 俺としても異存はない。


 くーちゃんが荷物を抱えて那子のために用意されていた席へ向かい、入れ替わるように那子がやってくる。

 俯きながら歩く那子に、周囲の席から好奇の視線が降り注ぐ。


 俺の席は廊下側――いちばん右の列の後ろから二番目。那子の席は、その左隣だ。

 那子は席にたどり着くと、俺と目を合わせようともせず、引かれたままになっている椅子にそそくさと腰を下ろした。


「はーい! じゃあ朝のホームルーム終わりーっ! みんなーっ、一時間目の授業がんばろうねーっ!」


 ゆきなちゃんが教室を出て行くと、ざわめきのボリュームが一段と大きくなった。

 だけどみんな、遠巻きに様子を窺うだけで、席を取り囲んで質問攻めにするまでには至っていない。

 普通に無難な自己紹介をしていればそういう未来もあったかもしれないが、少なくとも那子の場合は、そうはならなかった。


「久しぶりだな、那子」


 俺はチャンスとばかりに声をかけた。今なら那子を独占できる。

 だがやはり、那子はこちらを見ようともしない。


 この一年間、俺の知らない場所で、那子はなにを考え、どう過ごしてきたのか。那子の身になにが起きたのか。いったいなにが、那子をこうまで変えてしまったのか――

 それはもちろん、気になるが。だけどその答えは、実はそれほど重要ではないのかもしれない。俺はそんなふうに思う。


 本当に大事なのは、今、那子が隣にいるということ。それだけなんじゃないか?


「なあ、那子。こうやって話しかけるのは、迷惑か?」


 訊くと、那子は。

 やはりこちらを見ることはせず。

 俯いて、口を閉ざしたまま。

 ふるふる、と――小さく、本当に小さく、首を横に振ってみせた。


 胸のうちに、熱いものがこみあげる。

 ……よかった。ちゃんと伝わっている。

 手応えを感じた俺は、畳みかけるように訊いた。


「じゃあ、休み時間のたびに話しかけてもいいか?」


 すると今度は。

 コクリ、と。

 はっきりとうなずいてくれた。


「了解。それじゃ今日から毎日、おまえが反応しようがしまいが関係なく、勝手に話しかけ続けるからそのつもりで」


 今はまだ、それでいい。

 今はただ、那子が帰ってきた喜びを噛みしめよう。

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