デンキジカケのユリカゴ

日望 夏市

第1話

第一話「イラム」


 彼は、デスクに設置されたコンピュータシステムの赤く光る丸い電源スイッチに指を乗せた。

「準備はいいかい? バトラー」

 バトラーは彼の唯一の友達、とはいっても、ボディーはクロムとモリブデンの硬くて冷たい金属の合金、つまりロボットだ。

「ピピ」

 旧式の機械型アナログロボットのバトラーは、左アームの先の細長い金属スティックをシステムモニターの左側にある鍵穴に刺したまま、オーケーの合図の信号音とともに頭の上の青いLEDランプを点滅させた。

「スイッチ、オン!」

 彼がシステムの電源スイッチを入れると同時に、バトラーは左アームのスティックに電流を流し、システムの内部回路に電気刺激を送った。すると、コンピューターシステムのモニターは一瞬ピカッと光り、白い光の帯のスクロール映像を二、三度上下に流したあと、また黒い画面で沈黙した。

「ダメか……」と彼はため息とともにつぶやき、がっくりと肩を落とした。

 壁やデスクには、モニターや電子キーボード、大小の様々なボタン、スイッチ、ツマミ、インジケーターなどがずらりと並んでいる。小型飛行機のコクピットのようなシステムデスクの前で、彼はキーボードを忙しなく叩きながら、壁の右端にあるインジケーターをじっと見つめていた。

 一瞬、彼の見ていたインジケーターの針が大きく振れた。次の瞬間、ブチン、という音とともに再びモニターが目覚めた。

「マリア!」

 砂嵐のような白黒のノイズにかき消されて、モニターに映る映像はほとんど何も見えないのだが、そこにうっすらと浮かんだ人の形の影に、彼は必死に呼びかけた。

「イメージプログラ……」と壁の両脇に埋め込まれたスピーカーから声が聞こえた。

「マリア! イメージプログラムがどうしたんだい?」

「イメージプログラムにつながる配線に……」

「わかった! 配線をなおしてみるよ」

 彼はデスクの下に潜り込んで、パネルを外した壁の枠の中に頭を突っ込み、仰向けに体をひねり、モニターにつながる配線を確認した。

「バトラー、プラグを持ってきてくれないか」、デスクの下で作業をしながら、彼はバトラーに命令した。

「ピピ」

 バトラーは頭のランプを青の点滅に変えた。そして金属製の足を体内に引っ込め、代わりにボディの底から出した車輪を回転させて、金属の体を左右に揺らしながらウィーンというモーター音を鳴らして部屋を出て行った。


 バトラーの発する言葉は「ピピ」と「ピ」の二語だけだが、彼にはバトラーの言っていることがわかる。赤ん坊の時からずっと(太陽年数換算だと十五年も)一緒に暮らしているので、バトラーの発する音と音との一秒にも満たない一瞬の間に、感情を読み取ることができるのだ。双子の兄弟が持つ特殊な以心伝心のようなものなのだろう。


 彼が暮らすシェルターでは、時間という古臭い概念は存在しない。太陽が昇り、明るくなったから起床し、沈んで暗くなったから就寝する、というような、太陽の回転に基づく時間尺度に従って暮らす生活はない。そもそもここには「本物」の太陽がないのだ。

「本物」とつけ加えたのは、つまり「偽物」の太陽があるからだ。偽物の太陽である人工太陽は、ガーデンルームとプラントルームの天井ドームを行き来しており、そこに植えられた地球の植物を栽培するためのエネルギーとして利用されている。

 彼は滅びた地球の植物をいまだに育てているのが不思議だった。しかし、ガーデンに咲いている地球のヒマワリやチューリップというフラワーはカラフルで美しく、プラントで実っているフルーツのイチゴやバナナは甘くておいしいので、自動栽培に頼らず自ら手をかけて栽培している。だが、トマトとピーマンというベジタブルはまずいにも関わらず、バトラーが食べろとうるさく言うので、絶滅させる計画を密かに企てている。


 彼とバトラーが生活する居住区では、人工太陽の光どころか、時計もない。しかし不思議なことに、彼の体内時計が刻む時間感覚は、ほぼ地球の太陽周期どおりで、彼は、地球で暮らす人間の平均的な生活時間に沿って、寝起きし、腹が減り、食する生活を送っている。

 彼は生まれたときから太陽と時間のないこの三次元空間で暮らしている。地球の情報はバトラーの体内の記録装置で知った。「三次元空間の隅にコスモと呼ばれる場所があり、その中の太陽系に地球がある。地球は太陽時速一七〇〇キロメートルで自転しながら太陽の周りを回っている」との記録があった。地球は円盤型で高速回転しており、そのせいで、地球の人間は集団的狂気行動を起こし、絶滅してしまったのではないか、と彼は考えていた。


 バトラーは信号音とモーター音を発しながら倉庫からプラグを持ってきた。彼はバトラーからプラグを受け取り、テーブルの下の配線を確認し、さびついたプラグのひとつをバトラーが持ってきた新しいものと交換した。そして、テーブルの下からはい出て大きく深呼吸をすると、再びシステムのスイッチに手を伸ばし、何かを願うようにぶつぶつとつぶやきながら電源ボタンを押した。


 そもそもシステムが壊れたのは七年前のこと。太陽年齢で彼が八歳のとき、バトラーと鬼ごっこをしていて壁にぶつかった拍子に、当たりどころが悪かったのか、システムの一部が壊れてしまったのだ。幸い、生命維持装置につながる副交感プログラムは無事で、空調設備や食料と飲料水供給などの環境システムは動いていた。壊れたのはメインコンピュータシステムの人工知能であるマリアとの通信システムだった。マリアは不測の事態に備え、あらかじめバトラーの体にバックアップシステムを残していた。


 バックアップシステムといっても、ドライブにディスクを挿入して再起動すれば、ちょちょいのちょいと元通りに復元できる類のデジタリックなものではなく、非常にアナロジックなシステムで、数学や物理学の習学プログラム、コンピュータ機器の工学的な組み立て方法、プログラミングの基礎から応用までの総合学習システム、といったものである。つまり、彼にゼロからコンピュータを修理させるための教育プログラムなのだ。

 八歳の彼は、バトラーの学習システムによって、ハイスクールやカレッジで学習するマスマテクスやサイエンスをたたき込まれ、五太陽年でドクトルの称号並みの知識と技術を取得し、その後二太陽年かかってシステム機器の組み立てとシステムプログラムを完成させ、ようやく今日、再起動にこぎつけたのだ。


 マリアとは七年ぶりに再会する。システムのモニターが起動し、画面に鮮明なマリアの顔が浮かび上がった。


 人工知能のマリアにはバトラーのようなリアルなボディーは存在しない。モニターの中に仮の姿を映すだけなのだが、彼はそのことに違和感もなく、地球の人間どうしのように会話し、ごく普通に接している。もっとも、彼女に直接触れることは不可能だが、金属のバトラーに触れるのと、マリアが映るモニターに触れるのでは、それほど変わらないという認識を持っている。なぜなら、彼は自分以外の人間に会うどころか、見たことさえないのだから。マリアは彼の母親のようなものなのだが、当然、彼は母親というものがどういうものかを知らない。


「ちょっとあなたたち、そこに座りなさい!」、マリアは感情を抑えきれずに言い放った。

 彼はマリアに会えてうれしくてたまらなかったのだが、彼女の表情を見て、唇を噛んであふれてくる喜びをおしころした。七年ぶりの再会なのに、彼女はずいぶんお怒りのようだ。なにしろ、おしゃべりの彼女を七年間も黙らせてしまったのだから、怒りが爆発するのは仕方がない。彼はバトラーと相談して、ここは素直に謝ろう、ということにしていた。

 彼は黙ってマリアの顔が映るモニターの前に正座した。バトラーも彼の真似をして座ろうとしたのだが、合金製のロボットなので金属の短い脚がなかなか正座の姿勢にならず、四苦八苦の末、ついには前のめりに転倒してしまった。彼はそれを見て、思わず吹き出してしまった。

「何やってんだ。バト、早く座るんだよ!」

 そんな彼に、「ちょっと、あなた! 何を笑ってるの! 反省していないのね」と彼女はさらに怒りを爆発させた。

「だってバトが。ちゃんと座らないんだもん」と彼は笑いをこらえながら言い訳をした。

「バト! いつまでやってるの! あなたは立ってなさい!」

 マリアが一喝すると、バトラーはしゃんと直立不動の姿勢になった。

「まぁいいわ。あなたたちがシステムを壊して、自分の責任で修理したのだから、そのことは許してあげましょう」とマリアは諦めたように言った。「バト、私がいなかった七年間のデータをちょうだい」

「ピピ」

 バトラーは胸のボックスからプラグを伸ばし、メインコンピュータにつながる壁のジャックに差し込み、ピコピコという電子音とともにプログラムへデータを送信した。

「あら? 何かおかしいわね」、マリアは気がついた。「あなた、アナログプログラムに書き換えたの?」

「うん、デジタルプログラムは消滅の危険性が高いから、マイクロアナログプログラムにしたのさ。これならデータ容量も確保できるでしょ」と、彼は腕を組んで自慢気にマリアに言った。

「あなた、すごいわね。これだけの量のデータを全て書き換えたの?」

「アナログ変換アプリケーションを作ったんだよ。バトからのデータもそいつで変換すればいい」、彼はモニターの中の机を指差して言った。「そこのデスクの一番上の引き出しにアナログ変換キーが入ってるよ」

「あら、私の部屋も模様替えされてるわ。アンティーク調で素敵だわ」とマリアは周りを見渡して言った。

 マリアの部屋は、もちろんコンピュータシステムの中にあるのだが、七年前は真っ白い殺風景な何もない空間だった。これがマイクロアナログシステムの導入により、机や椅子など、たくさんの色や形のデザインオブジェクトを取り入れることができるようになった。彼はバトラーの持っている資料から、地球のジャパンという地域のショーワ時代のデザインを採用し、マリアの部屋を彩った。


 マリアはふと正面に向き直り、優しい表情を浮かべた。

 彼は気づいた。マリアがモニターの中からじっと自分を見つめていることを。そして、照れくさそうに下を向いた。

「大きくなったわね」

 マリアは、我が子を見つめる本当の母親のように、やわらかな眼差しで彼を見ていた。

「マリア、おかえり」

 母親の愛情に迷惑がる思春期の少年のように、はずかしさをごまかそうと、彼は頭をかきむしった。


 彼の名はイラム、十五歳。隔離されたシェルターの中で、コンピュータの人工知能であるマリアに守られ、ロボットのバトラーと一緒に暮らしている。

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