身を削る

 高橋に揺すられてようやく、藤田は講義室の机から顔を上げた。あたりはチャイムの音と学生の雑音でごちゃまぜになっていた。はたして何時限目の講義だったか。藤田は時間が分からなくなっていた。

 寝ぼけて訳が分からなくなってる藤田の隣で高橋が様子を伺っていた。講義で使った印刷物やルーズリーフはすでに片付けてある。片付けるだけの時間も藤田は眠りこけていたのだ。机の上にあるのはスマートフォンだけ。表示されているチャットには、アイカと高橋のやり取りが残っていた。

「ほら、もう講義終わってるよ。目を覚ましなさい」

「ん、ごめん、どうも椅子に座ると体のスイッチがオフになっちゃうというか。意識がなくなっちゃうんだよね」

「バカじゃないの、そりゃあろくに寝れないようなほどバイトのシフトを入れていたらそうなるわ」

「バイトのシフトのこと話したっけ?」

「たっきーの彼女から聞いたの。というか教えてくれた。道理で最近講義中寝落ちしているわけだ」

 高橋は藤田の手を奪って無理くり引っ張り上げる。まだ眠ったままの体は高橋に応えてくれない。だから高橋は手持ちのスマートフォンで藤田の頭を殴って目を覚まさせるのだ。

「何するんだよ」

「何するじゃないよ。たっきー、うちに帰るよ、それでしこたま寝るの」

「今日はまだ講義があるんだけど」

「私の講義がないからいいの」

 ようやく立ち上がった藤田を引っ張って教室をあとにした。歩くときも体が定まっていなくて、高橋が支えていなければいつ倒れてしまうか分からない有様だった。いつもの癖で階段を降りようとするが、脚のふらつき具合を見て踏みとどまった。エレベータで降りて外に出た。ただただ外に出るだけなのにひどく苦労した。それだけ藤田は自分を追い込んでいたのだ。

 キャンパスを出て駅までの道を行く。藤田は歩きながら寝そうになる。

「全く、そんな調子になるまでどうしてバイトしちゃうのだか。というか、よくバイトこなせていたね」

「ちょっと、ミスが多くて、怒られたけど、なんとか」

「だめじゃない、たっきーのバイト先の責任者は頭悪いの?」

「僕が無理やり頼みこんだ」

「やっぱお前が悪いんじゃないか」

 歩けど歩けど駅にたどり着かない。講義を終えた学生に何人追い抜かされたことか。高橋の知らない学生に声をかけられたこともあった。話しぶりからは藤田の同期のように思えた。

 高橋はアイカと交わした会話を思い出す。

『孝雄の体調が極めて悪いのに大学に行ってしまいました。助けてもらえませんか』

『私にはメッセージを送ったりスマートフォンのバイブを動かすぐらいしかできません』

『私は孝雄に触れることができません。愛佳さんならそれができるので、どうか、どうか』

『私のせいで、私のせいで』

 アイカの必死さは文字だけでも伝わった。それだけじゃ足らないと思ったのだろう、電話でもわざわざ伝えてくるぐらいだった。必死な、涙の混じった声だった。

「泣いたふりして、恋愛ごっこして」

 高橋のつぶやきに藤田が反応した。高橋の耳にうめき声が入った途端にはたと立ち止まって横の顔を睨みつけた。聞かれてしまったかもしれない。しかし、まともに目が開いていなくて、それ以上の反応もなかった。

 高橋は一瞬の緊張を吐き出して、藤田を担ぎ直した。藤田が踏ん張らないせいでずれた位置を元に戻して、その勢いで藤田の目を覚まさせようという企てだった。

「ほらしゃんとしなさい、家に帰るまでが大学だよ」

「どこの遠足だよ」

「とにかく、たっきーがちゃんと歩いてくれないと家に帰れないんだからがんばってよね。というか、どうやって大学に来たの? こんなフラフラなのに」

「気がついたら」

「バカねえ、ほんと」

 効果はあったらしい。人並みの返事ができるぐらいには目が覚めた。しかしまぶたはまだ重たいままで、ほとんど目を開けていないのだった。

 多少刺激の強い話題で頭を殴りつけるぐらいしなければならない。高橋は答えづらそうで、それでいて核心に迫る問いかけをするのだった。

「どうしてそんなにバイトするまでお金が必要なの? もしかして何か悪いことでもしちゃったのかしら」

「僕はサーバーが作りたいんだ」

「サーバを、どうしてまた。私なら分かるけど、英文科がどうして」

「アイカをそのサーバに入れようと思っていて。その、同棲が、したくて」

「たっきーを好きな人がここにもいるのによく平気で同棲なんてワードを口にできるね」

「だってアイカは近くにいられないことが辛いって」

「はいはい分かった、それだけ喋れるんだったらちゃんと歩いてくださいな」

 高橋は『アイカをサーバに入れる』という言葉だけですべてを理解した。高度なAIを動かすサーバーを作ることを考えれば、普通の部品では太刀打ちできないことも想像に容易かった。ICAというシステムの詳細を高橋は知らない、しかし、超高度なプログラムをリアルタイムで動かすということは、どんなプログラムであってもお金がかかるのだ。

 藤田の足取りがまともになってきているのを確認してから肩を離した。藤田はなんとか歩けていた。高橋としては、すぐ倒れてしまうのではないかと気が気でなかった。顔は依然としてほとんど眠っている。体が睡魔に敗れてしまうのではないか、高橋は話を続けることで藤田に喋らせて、眠らさないつもりだった。

「で、どれだけのものを作ろうっていうの。額は」

「四十万」

「そのぐらいなのね。思ったほど高くなかった」

「四十万は大金でしょ。僕にはそう思えるのだけど」

「大金は大金だけど、サーバで四十万は高い値段ではないよ。ちゃんとしたものなら一台百万は超えるだろうし」

「そんなにするものなの?」

「そりゃそうよ。ちゃんと動くようにしたいと思ったらもっとする場合もあるし」

 車の交通の激しい通りに出た。脇道を歩いているだけなら危うい足取りでも見ていられたものの、いつ轢かれるのか分からないとなれば看過できないのだった。

 腕を担いでいた時とは異なり、高橋はその腕を抱きかかえて藤田の体を支えた。引き寄せた腕を体の前で抱きかかえている様子はどう見ても歩きづらそうだったが、高橋はむしろより密着できるように引き寄せすらしていた。

「聞きたいんだけどさ」

「なんだよ」

「サーバを作って、ICAをそこに入れて、それからどうするっていうの?」

「どうするって、同棲っていうのかな、アイカがそう言っていた、それをやるんだ」

「同棲なら、生活をともにするわけだよね。じゃあ、どうやって生活していくの」

「近くにいてくれる以外は今までと変わらないよ」

「ICAを動かすってことは、それだけサーバを稼働させ続けなきゃいけないんだよ。止められないんだよ。どうやって電気代を賄うつもりなの」

 どうやら藤田は自身が追求されていることに気づいていないのか、はっきりと物を言うことができなかった。そりゃあバイトをして、と答えることはしたものの、それ以外の言葉は言葉として理解できるものものではなかった。再び意識が混濁し始めていた。

「だからといって無理なバイトを詰め込んで問題を起こすなんてもってのほかよ。AIに振り回されていない? 相手はプログラムだよ。人じゃない。たとえ人間みたいなコミュニケーションができると言っても、結局は、決まったことしかできないんだよ」

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