聖剣が人間に転生してみたら、勇者に偏愛されて困っています。
富樫聖夜/ビーズログ文庫
プロローグ
勇者の愛は偏っていて重たいです
幼い頃のルティアの夢は、可愛いお嫁さんになって旦那さんと仲良く畑を耕し、穏やかな一生を送ることだった。
十歳で両親と死に別れた後は、養父のように頼もしく誠実な人と一緒になって、夫の手助けをし、平凡でもいいから幸せな一生を送ることに変わった。
五年前に訳あって、当座の目標は別のことになったものの、それでもルティアの最終的な夢は変わらない。
平凡で穏やかな一生を送ること、それだけはいつだって同じだ。たとえ出生と前世がきわめて非凡であっても、ルティアの夢は人並みの容姿に相応しいありふれた幸せだった。……それなのに。
――どうしてこうなったのかしら?
***
頼まれていた薬を届け、表に出たルティアは店先で待っていたはずの連れの姿がいないことに気づいた。視線をさまよわせ、少し離れた道の向こう側で何人もの女性に囲まれている「彼」の姿を見つける。
――またか。
ルティアは深いため息をついた。
「彼」がこの街に移り住んでから一週間が経つが、二人で外に出るたびに同じ光景に出くわしている。少し離れただけですぐ女性に囲まれてしまう彼の状況に、ルティアはいい加減うんざりしていた。
もっとも、彼女たちの気持ちも分からなくはないのだ。筋肉隆々で粗野に見られがちな冒険者たちの中にあって、彼ほど若くて端正な顔立ちの男は他にいない。その上、誰よりも強いとあっては、目立つなという方が無理なことだった。
――だからよけいに困るんだけど……。
取り囲んでいる女性たちより頭一つ分背が高いため、少し離れた場所にいるルティアからも「彼」の表情がよく見えた。ほとんど無表情で、何か言われても無視しているようだ。ただ、ぎゅっと引き結ばれた口元が唯一苛立たしさを表している。
あんなふうに囲まれるのも、騒がれるのも本意ではないのだ。
――何しろ、女性に興味などない人だもの。彼の気を引けるのは、ただ一つ……。
その時、視線に気づいたように「彼」の視線が動いた。
「ルティア」
とたんに、「彼」の顔に明るい笑みが浮かぶ。今までの無表情がなんだったのかと目を疑うほどの変わりようだった。
女性たちはその笑顔を見て一瞬だけ頬を染め、次に彼の笑顔が向けられた方に視線を向ける。すなわちルティアに。
――ヒッ。
嫉妬のこもったいくつもの視線に射抜かれて、ルティアは顔を引きつらせる。視線で人を殺すことができるなら、きっとルティアはこの場で即死していただろう。それほど鋭い視線だった。
そんな殺気を余所に「彼」は女性たちの間をすり抜けると、足早に近づいてごく自然にルティアの髪に触れ、優しく尋ねた。
「ルティア、薬の納品は終わった?」
さらに不穏になっていく空気を感じながら、ルティアは頷く。
「あ、う、うん。終わったわ。待たせてごめんなさい」
「ルティアのためなら、いつまでだって待つよ」
優しいのは口調だけではなく、ルティアを見おろす水色の瞳にも甘い光が浮かんでいた。
――近い、近いってば!
ルティアは頭に置かれた温かくて大きな手を意識してドキドキした。
しっかり者と言われていても、うら若き乙女なのだ。異性に触れられてドキドキしないわけがない。
――もっとも、相手はそんなつもりを抱いてるわけじゃないのだけど。
ただ、はたから見れば彼のルティアに対する態度は完全に恋人に対するもので、それが大問題なのだった。
「あとは買い物だけだな。行こうか」
「え、う、うん」
今日外出したのは食料の買い出しのためだ。市場に行くついでに頼まれていた薬を納品するために寄り道してもらったのだった。
髪から離れていく手に安堵と寂しさを覚えながらルティアが歩き出そうとしたその時、反対側から来た男性が急いでいる様子でルティアの横を通り抜けようとした。ところが狭かったせいで、男の腕と肩がぶつかってしまい、不意を打たれたルティアの身体がバランスを崩して転びそうになる。
ふらついたルティアの身体をとっさに抱きとめたのは「彼」だった。
「おっとすまん」
ぶつかった男性はそう言いながらさっさと行ってしまう。「彼」はその男の背中を睨みつけたが、すぐにルティアの肩に手をまわしてぎゅっと自分の胸に抱き寄せた。
「怪我はない?」
「だ、大丈夫だから!」
――だから近いって……!
それより問題なのは、先ほどから密着するたびに女性たちからのすさまじい殺気が増幅することだ。
慌ててルティアは彼の腕から抜け出し身を引き離すと、声をかけた。
「さ、さぁ、行きましょうか」
ところが今度こそ行きかけた二人を、鋭い声が押しとどめた。
「アルド様! お待ちください! その女――いえ、その方とアルド様はいったいどんな関係なのです?」
振り返ると、意を決したように女性の一人が前に出てくる。このところ「彼」に付きまとっている女性たちの中心人物で、このヴォルドの街で一、二を争う豪商の娘だった。
「関係?」
「彼」はルティアを見おろすと、ふっと微笑んだ。
「ルティアは俺にとってとても大切な存在だ。とても、とても大切な――」
噛みしめるように呟くその声には心がこもっていた。何も知らなければ、ルティアに熱烈な愛を捧げているのだと思うところだろう。
だがルティアには分かっている。ルティアを大切だと言いながら「彼」が、腰に差した剣に触れていたことを……!
――大切なのは「ルティア」じゃなくて、その剣だものね。
やれやれと思いながらルティアは前に出て豪商の娘に言った。
「違いますからね。アルドさんと私は恋人同士でもなんでもなくて、単に居候と家主の娘という関係ですから!」
間違った話がヴォルド中に広まっても困るのだ。
――だって、私は普通の人と結ばれて、平凡で平穏な人生を送るのだから!
「いいですか? アルドさんが大切だと言っているのは私ではなくて、この剣のことですからね!?」
ルティアがびしっと指を突きつけたのは「彼」が腰に差している二振りの剣のうち、変わった流線型の柄をした剣の方だった。
「アルドさんはこの剣のことを大切にしているんです。ええ、そりゃあ、もう、恋人のように!」
数少ないS級冒険者で、行く先々で女性を惹きつけてやまない「彼」だが、ルティアに言わせれば剣に異常に執着する変態だ。
彼はこよなく剣を愛する。あの剣だけを。その目に女性は映っていない。彼が心に留めるのは剣だけなのだ。
――確かに私には甘いけれど、それは私が……。
その時、ガチャンと何か金属がぶつかるような音と共に、ルティアでも豪商の娘でも、ましてや彼でもない第三者の声が割り込んだ。
「おいおい、剣がぶつかったじゃないか。どうしてくれるんだよ、色男さんよぉ」
驚いて振り向くと、体格のいい二人の男が立っていた。細身の「彼」の倍近くありそうだ。
男たちはニヤニヤ笑いながら「彼」を見おろしている。ルティアは彼らに見覚えがあった。昼間から酒を飲んではあちこちで喧嘩を売っているという乱暴者のチュロス兄弟だ。どうやらチュロス兄弟は若い女性たちが「彼」を巡って争っていることが気に入らず、わざとぶつかったようだ。
「この落とし前どうつけてくれるんだ、ああ?」
チュロス兄弟の恫喝に、女性たちは怯えたように後ろに下がった。いつの間にかルティアと「彼」の傍にはチュロス兄弟しかおらず、みんな遠巻きにして不安そうにこちらを眺めている。
ルティアも青ざめたが、「彼」を心配してのことではない。「彼」にかなう相手など、この世界に一人いるかいないかだろう。
――だって彼は、十八年前この世界を魔王の脅威から救った「水の勇者」その人なのだから。
青ざめたのは、チュロス兄弟がぶつかったのが、あの剣だということに「彼」の表情で気づいたからだ。
「彼」は無表情だった。背後から自分より大きな相手が今にも殴りかかろうとしているのに、焦りもなくただその場で黙って立っている。けれど、その水色の目には剣呑な光が浮かんでいた。
「何とか言えよ、色男さんよぉ!」
チュロス兄弟が「彼」に襲いかかる。
「アルドさん、殺しちゃダメですからね!」
ルティアの言葉と「きゃああ」という周囲の悲鳴が同時に響き渡った。
次の瞬間、地面に倒れ込んだのは「彼」ではなく、チュロス兄弟の方だった。ドサッと音を立てて地面に臥したまま、二人はピクリとも動かない。
「え?」
誰もが唖然としてしまうほどあっという間の出来事だった。「彼」は一瞬のうちに、それも二人同時に叩きのめしたのだ。剣を使うことなく、体術で。
兄弟を冷ややかに見下ろすと、「彼」は言った。
「俺の剣に触れるな」
その言葉は周囲から湧き上がった感嘆の声にかき消され、人々の耳には届かなかったが、ルティアはしっかり聞いていた。
「……はぁ……」
歓声の中、一人空を仰いでルティアは深い深いため息をついた。
ルティアは知っている。「彼」が二人を叩きのめしたのは彼らが乱暴者だからでも、自分に難癖をつけてきたからでもなく、あの剣――聖剣に触れたからだということを。
――私に人がぶつかっても何もしないのに、剣にぶつかっただけでこの反応とか……。
「彼」の中では明らかに剣が一番、ルティアは二番手だ。けれど、それだけだったらこんなにもやもやしない。
――あの剣も「ルティア」も、もとは同じ
聖剣は折れてしまい、人間として生まれ変わったのが、何を隠そうルティアなのだ。
だからこそ「彼」はルティアを大切にする。かなり偏った愛だし、完全に剣に負けているが。
かといってあの重い愛を一身に受けるのもご免だ。人間としては平凡なルティアには荷が重すぎる。
――私の夢は可愛いお嫁さんになって平穏な一生を送ることなのに。
だが残念ながら今のルティアは、平穏とはほど遠い位置にいる。これからますます遠ざかっていくことだろう。「彼」とルティアがそろっているのだから。
「ああ、どうしてこんなことになったのかしら?」
ルティアは呟くと、青い空に向かって再び深いため息をついた。
――半月前に起こったことがすべての始まり……?
――ううん。きっと十八年前のあの日から始まっていたことだったのだ。
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