第5話

「何者だ!? 俺の体に、いったい何をした!!」

 自分の口から放たれた声の甲高さに違和感を覚え、冒険者であった男は激しく恐怖する。

 そんな冒険者に、その気品をまとった冷酷な声はこたえた。


「知れたことです。

 ケーユカイネンに侵入しようと計画したため、罪人として拘束したまでのこと」

「説明になってない!」

 それは捕らえられた理由にたいした言葉であって、この体が女に変えられたことへの返答ではなかった。


「あぁ、その体のことですか。

 ケーユカイネンで作られた秘薬の力で性別を変えただけですが、なにか?」

 すると、その冷たい声は事も無げに恐ろしい言葉を口にする。

 法螺話でもあるまいし、そんな薬が実在するのか?

 いや、実在するからこそこんなことになっているのだろう。


「いったい何のためにこんなことを!?」

「聞きたいのですか? ……そうですね、少し長い話になりますが、私もただ時間が来るのを待つだけでは退屈なので、暇つぶしに聞かせてあげましょう」

 ほとんど独り言に近かった冒険者の言葉に、感情を失っているかと思われた女の声が愉悦の混じった声でこたえた。


「お聞きなさい。 不幸であった彼が、幸せになるまでの物語を」


 昔……とある家に一人の男の子が生まれました。

 その子供はその家にとっては二番目の男の子ですが、その母親にとっては最初の子供。

 潔癖であったその母は、妄執とでも呼ぶべき情熱を掲げ、その子に自分の理想だけを凝縮した教育ほどこしたのです。


 冗談を言うことも知らず、他人と遊ぶことも知らないその子は、それでも母の思うとおりに育ってゆきました。

 ですが、あるとき……気付いてしまったのです。

 その性癖が、取り返しのつかないレベルでゆがんでしまっていたことに。


 成人し、生まれて初めて女性に対して性的な誘惑を受けた彼は、その女性にまったく興味を持てず、ベッドの中に誘われたのに何をしていいのかわからないという状態に陥りました。

 それも仕方がありません。

 なぜならば、そのような知識を、彼の母親は際限なく遠ざけていたのだから。


 なぜ母はこんな大事なことを教えてくれないのか?

 いつも、自分の言うことを聞いていれば大丈夫だと、その言葉を少しでもたがえれば悪魔のごとく攻めたてるというのに。


 ですが、戸惑う男に対し、ベッドの上の女性は容赦なく罵声を浴びせます。

 すると、その言葉にカッとなった彼はとっさにその女性へと手を伸ばし、そのうるさい口を閉じろとばかりに首を絞めたのです。


 そのとき、彼の脳裏にはいつも自分を叱責する母の顔が浮かんでいました。

 同時に、とてつもなく甘美な感覚を覚えたのです。


 彼は悟りました。

 ――あぁ、自分は母を心の奥のどこかで憎んでいたのだろう。


 そして、思ったのです。

 母よ、自分こそがこの世の正義の全てであるような顔をしていた貴女は、出鱈目なルールで自分をずっと縛り付けていたというのか!?

 自分が彼女のために我慢をし、苦しんできた理由が、すべて彼女の妄想と欺瞞を満たすためだったというのか!?

 だとしたら……この、うそつきめ。 うそつきめ! うそつきめ!! 絶対に許さない!!


 気がつくと、彼の手の中で女性は息絶えておりました。

 同時に、自分の中の男としての本能と快楽が強く働き、女の死体に欲情していることに気付きます。

 時に、快楽はほかの快楽と強く結びついて同化してしまうことがあることをご存知ですか?

 そう。 彼のゆがんだ性欲は、憎むべき母への擬似的な復讐と結びついてしまったのです。

 この世多くの快楽的殺人者と同じように。


 そして、この一件は家の力によって封殺され、『ふしだらな女が男を誘惑し、無礼を働いたために殺された』という話になって決着を迎えました。

 幸いなことに、彼には自らの性癖をおぞましく思うだけの良識と優しさがあり、彼は一生女性には触れないでおこうと心に決めたのです。


 ですが、そんな男にもやがて縁談が持ち込まれます。

 名家の人間である彼の結婚に、彼の意志など入り込む隙間はありません。


 仕方なく結婚した彼ですが、妻を愛そうとして心が高ぶると、やはり首を絞めそうになってしまう。

 そんな自分に絶望する彼のことを、妻となった女は心から心配し、彼がその秘密を打ち明けてくれるときをじっと待ちました。


 そして彼から離縁の提案とともに真実の告白を受けたとき、彼女が選んだのは……。


 彼を受け入れるという選択肢だったのです。


 ですが、彼を受け入れるために、彼の妻もまたゆがんでゆきました。

 いえ、彼女は男のために自らゆがむことを選んだのです。


 ――興奮すると女の首を絞めてしまう性癖ならば、首を絞めても問題の無い女を用意すればいいじゃない。

 罪の無い女を手にかけることを、優しい彼はけっして受け入れないだろう。

 ならば、罪人である女を用意すればいい。

 そして自分は高ぶった彼の欲情だけを受け入れればいいのだ。

 そんなことを彼女は思いついてしまったのです。


 やがて、母と違ってありのままの自分を受け入れてくれた妻を、彼は心から愛せるようになりました。

 女の首をへし折ったあとのしばらくの時間ですが、彼は狂気から解放されて妻をあるべき方法で愛せるようになったのです。

 

 そして罪深い女たちの犠牲の下に、二人は平和な結婚生活を送り、三人の男子にも恵まれました。


 やがて幸せになった今の彼は、こう思うようになりました。

 ――女は嘘つきで汚れている。

 ただし、我が妻以外は。


「さぁ、ここまで語れば何がいいたいかわかるでしょう?」

 その言葉と同時に、闇の向こうから一切の衣服をまとわぬ壮年の男が現れた。


 とっさに逃げようとするものの、薬のせいで思うように逃げられない。

 男の逞しく鍛え上げられた体に抗う力は、今の自分には存在しない。


 それを理解し、冒険者の顔に絶望が張り付く。


「さぁ、罪深い者よ。

 我が夫、イッロ・ヘルマンニ・カリオコスキ公爵の心の平穏のためにその命をささげなさい」

 どこか恍惚とした女の声と共に、男の乾いてザラついた指がのどに触れる。


「う、うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 薬が冒険者であった者の全身の力を蝕む中、なぜか悲鳴だけは大きく響いた。



 やがて息絶えた冒険者を見下ろし、公爵は頬を上気させつつ涙を流しながらこう呟いたのである。

「あぁ、苦しかっただろう。

 だが、とても気持ちよかった。

 それに、お前はまだ幸せなほうだ。

 我妻の手から逃げ、あの門を潜ってしまった者の運命は、さらに過酷なのだから」


 公爵家は今日も平和であった。

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