第2話

「一体何があった、ムスタキッサ」

「うぅぅ……実は……」

 泣きじゃくるムスタキッサを屋敷の中に連れこむと、俺はまず事情を聞くことにした。

 そして彼は、震える手を茶のぬくもりで温めながらぽつりぽつりと語り始める。


「持ち帰った石鹸と聖油をこの国で競売にかけたところ、すさまじい値段がついたんですニャ。

 ここまでは特に問題がなかったのですが……後年、その効果の高さが知れ渡るにつれて購入できなかった貴婦人たちがなんとか自分も手に入れようと手段を選ばず問い合わせるようになりましてニャ」

「そ、そうか……」

 美容にかける女性の執念というものは、およそ男には理解できないものがある。

 俺もその片鱗を先ほど味わったばかりだ。


「私もよその国まで行商に行っていたので、そんなことになっているとはつゆしらず、こちらにやってきたらとんでもない事態になっておりましたのですニャ」

「とんでもない事態?」

「はぁ……この国の王都にある店舗を任せていた従業員が人質にとられ、聖油と石鹸の製造元の開示と、その製作方法を要求されましたですニャ」

「それで拒否したというわけか。 なんとも物騒な話だな」

 そもそも製造方法については知らないのだから、対応のしようもない話である。

 しかし、こんな話を聞いていると、つくづくカ・カーオの件で顧客との間に王女を挟んでおいたのは正解だったな。


「まぁ、色々な方の尽力もあってその時はにゃんとかなったのですが……そのあとも似たようなことが続きましたのですニャ。

 毎日のように脅迫文が送りつけられ、このような状況では危なっかしくてケーユカイネンまで仕入れに来ることも出来ず……」

 たしかにムスタキッサは裕福な商人ではあり、優秀な護衛を抱えてはいるが、戦闘の専門家ではない。

 盗賊程度ならばいざしらず、貴族たちが私兵を使って襲撃すればひとたまりも無いだろう。


「それで身の危険を感じてアンナ様に相談したところ、護衛をつけるからしばらくケーユカイネンに身を隠すように言われましたのですニャ」

 そう言って差し出された書状には、たしかにアンナの名前がサインされていた。


 そんな話をしていると、ドスドスと重い音を立ててアーロンさんがレッドオーガに憑依したままやってくる。

 今日は領地の入り口である南の谷間で警備をしていたはずだが、何かあったのだろうか?


「え、なにぃ? 怪しげな一団がこの領地に入り込もうとしたからぁ、全員始末した?」

 アーロンさんの言葉を通訳したエディスの台詞に、思わずムスタキッサが全身の毛を逆立てる。


「くっ、もう追っ手がここまでくるニャんて……」

「どうやら後をつけられたようだな。 まぁ、時間の問題ではあったのだろうが」


 陰鬱な気持ちで会話していると、さらにエディスが話しかけてくる。

「えっと、倒した奴らの体でフレッシュゴーレムを作りたいから許可が欲しいんだってさー」

 罪人でもないムスタキッサを襲撃したとなると、これはもはや罪人である。

 ましてやここはカリオコスキ公爵の勢力かであり、同時にハンネーレ第二王女の庇護を受けるという複雑な場所だ。

 それこそ国王陛下か王子が相手でもない限りは、返り討ちにしたところで問題は無い。

 ただ、その死体の取り扱いについては遺族から異議の申し立てがある可能性は高いが……


「……とりあえず現場を確認したいな。 騎士階級の奴らでも混じっていると面倒なことになる」

 とりあえずムスタキッサを屋敷に残し、屋敷を管理する精霊たちに世話と監視をたのもうとすると、意外なことにムスタキッサも付いてくるという。


「大丈夫か? おそらくエグい代物を見ることになるぞ」

「これでもそれなりの修羅場をくぐってますニャ。 それこそ、戦場の死体漁りをしていた頃と比べれば、ニャにほどのこともありますまい」

 だが、その余裕も現場に到着するまでだった。


 石畳で舗装された谷間の道の上では、白濁した目の男たちが苦悶の表情を浮かべたまま息絶えている。

 よほど苦しかったのか、何人かの死体には自分の顔を掻き毟った後や、ナイフで自害したあとすら残っていた。

 そして、周囲には戦闘を行った形跡すらない。

 一方的になぶり殺しにしたとしか言いようの無い有様だ。


「い、いったい何をすればこんなエグい殺し方になるニャ!?」

 思わずムスタキッサが叫んだのも無理は無い。

 眺めていても、戦闘や蹂躙といった言葉が頭浮かばない。

 ただ、呪い殺されたというフレーズだけがぐるぐると頭の中を回り続ける。


「えっとねー 軽く魔力をつかって体温を四十五度に暖めただけだってさ」

 あぁ、それは死ぬな。

 人の体はたった五度上がっただけでも命にかかわる重大な疾患を引き起こす。

 四十二度を超えれば卵は生卵に戻れなくなるといえば、その恐ろしさが理解できるだろうか。


 しかし、なんという残酷な効率性。

 おそらくフレッシュゴーレムを作るために出来るだけ肉体に損傷が無いようにしたのだろうが、結果はあまりにも残酷だった。


「……恐ろしいよ、アーロンさん」

 火を支配する精霊の恐ろしさを改めて思い知りながら呟いた声に、アーロンさんは泣きそうな顔でしょんぼりとうなだれる。

 まずい、アーロンさんは意外と面倒な性格をしているのを忘れていた!


「いや……責めるつもりはないんだ。 ただ、ちょっと人間にとっては見るのが辛い状態だったというだけで」

 だが、俺がアーロンさんを慰めようとしたときである。


「ムスタキッサだな。 おとなしく捕まってもらおうか」

 空気を読まない連中の声が街道の向こうから響き渡る。

 見れば、それは傭兵団らしきゴブリンの集団であった。

 ――まだ残っていたのか。


「断ると言ったら?」

 俺の言葉とともに、お仕事モードに切り替わったアーロンさんがムスタキッサをかばう位置に動く。


「是非もない。 力ずくで奪うまでよ!」

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