第四章 移住者たち、来たる
第1話
「なに? 新しい洗剤の開発をしたい?」
「うん、女の子の精霊たちからの提案なんだけどねぇー」
俺の質問に答えながら、エディスは退屈そうにあくびを漏らした。
「意欲的なのは好ましいが、先日開発した石鹸とどう違うのだ?」
「なんでも、今の石鹸じゃ髪を傷めてしまうから、別に開発する必要があるんだってさー」
そこで俺は、ふと疑問を抱く。
「精霊には肉体が無いはずだが?」
「なんかほら、あたしとかアーロンさんとか最近は人形やフレッシュゴーレムの体を使って色々とやってる精霊増えているでしょー?
同じように肉体を持って暮らすのが、最近はあたしたちの中で流行なのよねぇ」
「……あぁ、なるほど。 つまり自分の体となるフレッシュゴーレムの手入れ用に欲しいというわけか」
「まぁ、私は可愛いからそんなお手入れ必要……」
まて、その発言には異議がある。
俺は近くにいたエディスの髪に手を伸ばすと、その先端をつまんで見せた。
「エディス。 前々から思っているんだが、お前、けっこう枝毛でてるぞ」
その瞬間、横で秘書の仕事をしていた風の精霊の手からバサバサと資料の紙が零れ落ち、エディスの顔がこの世の終わりでも見たかのように強張った。
「う……うそ」
だが、現実は非常である。
「精霊が同化して、その人形が半ば生き物のようになっているといっても、手入れもなしに汚れがついたまま放置しておけば侵食されて劣化するのは当たり前だ」
俺の言葉に、エディスはすさまじい悲鳴を上げながら自分の部屋へと逃げていった。
「あぁぁぁ、これも、この人形も髪がきしんでる! 保存状態に問題が!? ううん、お手入れが必要なのです!!」
エディスは特にお気に入りの人形を別途保存してあり、それぞれの場面によって使い分けている。
最近は学習したのか、お気に入りの人形に入った状態で俺の前に現れることは無い。
だが、その使い捨て覚悟の人形ですら枝毛が出ていたのだから、長く遥かに長く使っているお気に入りの人形の髪がどうなっているかなど、確認するまでも無い。
そして数分後。
ドアが乱暴に開いてエディスが戻ってきた。
「クラエス! 早急に新しい毛髪用洗剤を開発するです! これは死活問題なのですよぉ!!」
同時に、新しい洗剤の開発を許可するための書類がバンと音を立てて机の上に叩きつけられる。
これは秘書役の風の精霊の仕業だ。
そういえば、こいつも女性型の精霊だったか。
……って、おい。
動員する精霊の数が半端なく多いな。
「まぁ、そこまで望むなら俺も許可するが、報酬はあまり多くは出せないかもしれんぞ?」
精霊を雇う上で、問題となるのがこの報酬というやつである。
当初は音楽を奏でればそれでいいと思っていたが、どうも対象となる精霊が増えると一人当たりの受け取る魔力量が少なくなってしまうらしい。
翌日、早速新しい洗剤の開発部署が出来たというので見学に行くことにした。
場所は現在聖油の精製と石鹸の製造を行っている場所の近くである。
「思ったより建物の量が多いな。 大丈夫なのか?」
人間から見ればでたらめな力を使う精霊たちとはいえ、魔力を消費すれば衰弱する。
しかも、精霊たちにとっての魔力とは、人間で言えば血液のようなものだ。
……無理をして倒れていなければよいのだが。
そんなことを考えつつ小屋に入ると、無数の小さな皿が棚に並んでいる。
「こ、これは……」
「洗剤の材料となるL-グルタミン酸を作るための微生物を研究しているんだってー」
俺の横で、エディスが聞きなれない言葉を口にする。
何のことかさっぱりわからないが、あとで解説書があれば見せてもらうことにしよう。
さて、微生物といったか?
この皿の中には何が……
「うっ?!」
皿を手に取ろうとしたところ、見えない何かによって手がはじかれた。
よく見ると、その皿の一つ一つに結界が張られており、誰も触ることが出来ないようになっている。
「なんとも厳重な管理だな」
「なんか気合が違うからねー」
少しヒリヒリとする指先をさすりながら呟くと、俺は隣の建物を見学することにした。
「ふむ、この建物は……グルタミン酸と脂肪酸を合成してココイルグルタミン酸というものを作る場所か」
表に書かれたプレートを読み上げては見たものの、さっぱり意味がわからない。
学問においてここまで無力さを感じるのは久方ぶりだ。
「あ、仕上げに苛性ソーダを使うから優先的に回してほしいらしいよ?」
「善処しよう。 苛性ソーダを造る担当者は増やしたほうがよさそうだな」
その時である。
バサバサっと音がして、いくつもの書類が風に乗って持ち込まれた。
中身を見れば、新しい人員の雇用の書類だ。
「なに? まだ建物が必要なのか?」
抗議するようにバンバンと壁を叩く音が響く。
……なんだろう。 目に見えるわけでもないのに、どうも逆らいにくい気迫を感じる。
俺が許可を出して、やってきた精霊たちに名前と職を与えると、おそらく彼女たちであろう精霊たちはすぐさま地の魔術によって小屋が作り、大量の植物が持ち込んだ。
いったい何を作るつもりなのだろうか?
一通り見学を終えた俺は、昼食をとるために屋敷に戻ることにした。
すると、屋敷の前で何か黒い物体が鎮座している。
「トゥーリ・ムスタキッサか。 久しぶりだな」
それは、前に石鹸と聖油の販売を頼んだランペール族の行商人だった。
はて、商品の補充にでも来たのだろうか?
俺も色々と買い付けたいものがあったからちょうどいい。
「く、クラエス様ぁぁぁぁぁぁ! 助けてくださいニャ 殺されてしまいますニャ!!」
だが、ムスタキッサは俺を見つけると、目から涙を流しつつ飛びついてきた。
くっ……もふもふの魅力には負けんぞ!
……ではなくて、いったい何があった?
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