第6話
「なに? 塩水の出る泉があるだと?」
昼食の後、風の精霊の持ってきた報告書にはそう書かれていた。
場所はこの領地の東にある山の中である。
「ふむ、一度視察に行くことにしようか」
「わー なんか楽しそう!」
「エディスはお留守番だ」
「えぇぇ!? なんでよぉ!!」
何故だと? それこそ自分のその薄っぺらい胸に聞け。
「苛性ソーダは劇薬だ。 お前がうっかり触ったりでもしたら、周囲に被害が及ぶからな。
その工場になりそうな場所など、知らないほうが幸せというものだ」
「ふーんだ。 そんなひどいことしないもぉん。
……って、なに、その手はぁ? ロープなんて何に使う気なのぉ!?」
不穏なものを感じたのか、エディスがジリジリと後ろに逃げようとする。
「俺は事を起こすに当たって、一切の妥協をしない性格なんだ」
「いやぁぁぁぁ! 痴漢! 変態! お嫁に行けない体にされちゃうぅぅぅぅぅ!!」
「心配しなくても、お前が嫁に行く未来は永遠に存在しない」
ロープで蓑虫を作った後、俺は精霊たちをつれて東の山へ向かうことにした。
小鳥の死体に土の精霊がフレッシュゴーレムの術式を施し、それに風の精霊が宿って空から案内を行う。
その後ろをロックゴーレムに宿った土の精霊が荷物を持ってついてゆき、たどり着いたのは、森の木々の途絶えた荒地のどまんなかであった。
そこには、赤茶けた岩と砂に囲まれて、泉というよりは小さな湖というべき水場がある。
その岸辺には、キラキラと塩の結晶が浮いていた。
筆談によって得られた情報によると、ここは昔、死の恐怖におびえた地の精霊が呪いをかけ、周囲の生き物をすべて塩の柱に変えた名残だという。
「なんとも痛ましい話だが、そろそろ安らかに眠ってもらおうか」
俺は楽器を取り出して、風の精霊たちとともに死んだ精霊の魂を慰める儀式を始めた。
このままでは塩に呪詛がこびりついていて、使い物にならないからである。
俺が鎮魂歌を奏でる横では、地の精霊たちが祠を作り、その精霊がいつかこの地で新たなる精霊として生まれ変わることを祈りはじめた。
周囲の空気が、目に見えて和らいでゆく。
そのまま、儀式は一時間ほど続いた。
「よし、呪いは消えたようだな。 次の作業に移ってくれ」
解析の魔術で呪詛が消えたことを確認すると、俺たちは地の魔術で簡易的な小屋を作る。
そしてエディスに対象を絞った結界を張った。
……奴だけは近づけてはいけないからな。
続いて泉の水を壷にくみ上げ、水の精霊がそこから魔術を使って苛性ソーダを取り出す。
俺の目の前で塩水がボコボコと大きな音を立て、白い粒状の物体が見えない精霊の指でつまみ出され、次々にガラス瓶の中に詰められていった。
先日話した限りでは、イオンだの電気分解だのといった話をされたが、おそらくまだ人類には伝わっていない技術なのだろう。
なお、その際に発生した有毒な煙は、風の精霊が集めてから水に溶かして塩酸にしていた。
これもまた何かの材料に使うことが出来るだろう。
そしていよいよ石鹸の作成だ。
火の精霊と水の精霊に指示を出し、人肌より少し暑いぐらいに加熱した油に苛性ソーダの水溶液を入れて混ぜる。
水溶液がもったりしてくると、俺はその壷の中身を半分に分けた。
片方には精油工房で抽出した聖油を入れて、美肌効果をもつ高級石鹸を作る。
そして残り片方は洗浄力を重視した工業用石鹸を作るため、壷の中身から水の精霊がグリセリンと呼ばれる物質を抽出する。
薬学に詳しい水の精霊によれば、グリセリンは肌の保湿を行う非常に優れた薬品なのだそうだが、同時にグリセリンや残留した油分が多く含まれている石鹸は洗浄力が弱くなってしまうのだ。
「うまく行けば、美肌用の石鹸と工業用石鹸、それにグリセリンという三つの商品が出来上がるな」
俺は将来的に、この地を中心に精油の精製工房と石鹸工房の関連施設を作ることを構想している。
やがて出来上がった石鹸には、三つ葉のクローバーの刻印がされていた。
これはこのケーユカイネン産の商品であることを示すロゴマークである。
「とりあえず、アンナに送って使い心地を確かめてもらおうか」
精霊たちの高度な技術を惜しげもなくつぎ込んだ商品ではるあが、まずは実際に使ってみないとその価値はわからない。
そして第二王女のお気に入りということにでもなれば、商品を高く売りやすくなるだろう。
「あとは……この商品を売りさばくための販売ルートがほしいな」
だが。小説を書くためにさまざまな分野の職業に手を出した俺ではあるが、商人の世界というのはあまり精通していない分野であった。
手は出したのだが、下手に成果を出しすぎて、習熟する前にいろんなところから目をつけられてしまったのである。
いまさら俺と組んで商売をしようという商人を見つけるのは、かなり難しいだろう。
それも信頼できる相手となると、絶望的だ。
だが俺が自宅である代官の屋敷に戻ってくると、そこにはまさに俺が待ち望んでいた来客やってきていたのである。
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