第8話

「ふぅ、到着したでしゅ。 いいでしゅかね言われなくても判っているだろうが、パパ上を絶対に怒らせるで無いでしゅよ!」

 俺に向かって怒鳴りつけるブタ伯爵の顔はいつに無く硬い。

 まぁ、怒らせると恐ろしいからな、あの人は。

 ちなみに、ブタ伯爵は父親が恐ろしいのでココから先はついてこないつもりらしい。


 現国王の弟にして国の宰相であるイッロ・ヘルマンニ・カリオコスキ公爵の屋敷は、当然ながら貴族の屋敷の立ち並ぶエリアの中でも一番奥を占めている。

 その三男であるこのブタ公爵は別の場所に屋敷を構えているため、俺もここにくるのはまだ三回目だ。


 わざと鮮やかさを抑えた色合いの内装の壁は、よく見ると細やかな唐草模様が施されており、華美と気品を兼ね備えたこのセンスは長く続いた貴族ならではのものである。

 ぜひ今後の作品の参考にさせていただきたいものだ。


「では、この先に公爵閣下がいらっしゃいます。 失礼の無いように」

 侍従に促されてドアをくぐると、そこにはブタ伯爵とは似ても似つかない、ほっそりとした四十台半ばほどの男が書類にペンを走らせている。


「ケーユカイネン領の代官、クラエス・レフティネンにございます。

 本日は、お目どおりをお許しいただき……」

「挨拶は不要だ。 用件を述べよ」

 俺が形式どおりに挨拶を口にすると、予想通りに話を急かされた。


「その前に、人払いを……」

 公爵と面会しているのは、応接室ではなく執務室だ。

 周囲には秘書官や執事もいるし、すぐドアの向こうには護衛も立っている。


「かまわん。 皆信頼できる者ばかりだ」

 つまり、俺の持ち込むような話は機密に値しないと?

 

「では、国王陛下のご冥福をお祈りつつこれにて失礼いたします」

「……おい!」

「貴様、国王陛下と公爵閣下に向かってなんと言う無礼を!!」

 さすがにこの発言は無視できなかったらしい。

 俺が一礼して引き下がろうとすると、周囲の者たちからとがめるような声がいくつも響いた。


 悪いが、公爵が信用していても俺が信用してないんだよ。


「くくく……相変わらずぶれないやつだな、クラエス・レフティネン」

「お褒めに預かり恐縮でございます閣下。 でも、この話は他を当たることにしましたので」

 別に正攻法にこだわらなければ、それこそハンネーレ王女の手柄にしてしまうなり、精霊に頼めばよいだけである。

 わざわざ公爵に話を持ってきたのは、伯爵への義理立てに過ぎない。


 あぁ、いっそハンネーレ王女を介して第二王子を王位につけて、ケーユカイネンを褒美に貰ってしまうというのも魅力的だ。

 どうせどちらの王子が後を継いでも、この国に未来は無い。

 ならば、メリットのあるほうを選ぶのは当然である。


「待て。 貴様の話を聞きたい。

 ほかのものは全員下がらせよう」

 部屋を出るために入り口をふさぐ騎士共を始末しようとした俺だが、その後ろから公爵の声がかかる。


「しかし、閣下!」

「では、兄上が死んでも良いと申すか? この男はこんな冗談を言う人間ではない。

 奴が死ぬといったら、本当に死ぬぞ」

 ほぅ、少しはわかっているようだな。

 もっとも、俺を自分のダメ息子の補佐役にするぐらいだから、俺がどういう人間かを調べていないほうがおかしいか。


「では、改めて聞こう。 何の話を持ってきた」

 やがて執事や秘書がこの部屋からいなくなると、公爵はニヤニヤと笑みを浮かべながら話を促した。

 こいつ……さては、わざとそっけないふりをして俺を試したな?


「はい。 実はわが領地で画期的な薬が出来まして。

 陛下の病を癒す可能性があるのではないかと」

「なんだと!? それはまことか!!」

「はい、効果のほどはご自身の目でお確かめください」


 俺はネズミの入ったかごとチョコレートを取り出し、王女が見たものと同じものを公爵に見せた。

 さすがにこれは予想外だったのか、公爵の顔にびっしりと汗が浮かぶ。


「なんとも……恐ろしいものを作り出したものよな」

 俺の用意したチョコレートの粉末を手にし、公爵は震える声で呟いた。


「はい。 ですので、材料となる植物はすべて引き抜いてしまいました」

 嘘である。 本当はすべて山に行けば腐るほど生えている植物だ。

 チョコレートの材料は、エディスが山から拾ってきた花の種を絞った油と、カカオのみである。


「す、すべてだと!? 残しておればどれほどの富を有無かも知れぬものを」

「ですが、未来に禍根を残すよりはマシでしょう」

「……少しは躊躇ためらえ。 貴様、本当に人間か?

 考え方が合理的過ぎて人の皮をかぶった物の怪としかおもえぬわ!」

「それはそれは恐悦至極でございます」

「半分しか褒めておらぬわ」

 まぁ、ならば半分だけ褒められたと思っておこう。


「それで、この薬を兄上に飲ませろという話だな。

 是非も無いが、その前にひとつ条件を出そう」

「条件ですか?」

 この男、まだ試すつもりか。

 まぁ、疑い深いことは悪いことではないがな。


「そのとおり。 お前に尋ねる。

 王とはどうあるべきだ? それに答えることが協力の条件だ」

「……正解の無いものを私に尋ねてどうなさるのですか?

 そんなもの、思うようにやればいい。

 結果がついてくればそれが正解だと民衆が勝手にそう思い込むだけのことです」

 何かと思えば、実にくだらない質問だった。

 だが、公爵の顔にはニヤァと粘着質な笑みが浮かぶ。


「そう、それだ。 理想を語る奴らは、どいつもこいつもそれがわかっていない」

「それを認めると、自分に絶望したくないからじゃないですか?」

 誰だって、自分のやっていることは正しくて有意義であると思いたいだろう。

 この公爵は本当にくだらないことを聞く。


「その程度で折れるようなら、所詮は王の器ではない」

「左様ですか。 それで……私めの答えに満足していただけましたでしょうか、閣下」

 これ以上この手の問答に興味は無い。

 俺はやや苛立ちを含んだ声で返答を求めた。


「満足だ……いや、ひとつだけ不満がある」

 すると、何を思ったのか公爵は俺の顔を両手でしっかりと挟みこんで、不気味な笑みを近づけてきた。


「貴様、なぜわしの子として生まれてこなかった? いや、兄の子でもいい。

 貴様が王族であれば、今すぐ兄を殺してでも王位に据えるものを」

「それは不敬のきわみでございましょう」

 あぁ、こいつ……本当に化け物だ。

 人の事をさんざんに言っておいて、自分が人間やめてやがる。


「なぁに、兄も同じことを言うさ」

「とても正気とは思えませんね」

 ――なんという純粋で美しいまでの闇。

 これが生粋の王族か。


 この男の恐ろしいところは、これだけ権力の中枢にいながらも、権力の腐敗に支配されていないことに尽きるだろう。

 まるで、王政という制度に仕える狂信者のようだ。


 背にわずかな汗を感じた俺を解放し、公爵閣下は夢の国を見つめるかのような目をしたまま、楽しげに語る。


「ただの人の身で国という巨獣を飼いならそうと思えば、おのずと手に余る。

 ゆえに、真なる政治とは限りなく狂気に近いと知れ」

「ご教授、いたみいります」

 あぁ、ようやく話が終わったようだ。


「よい。 下がれ。 お主の望み、確かに聞き入れた」

「どうぞ良しなに」

 俺は公爵の前を辞し、部屋のドアを閉めると、大きく息を吐いた。


 さて、この体験はいかな物語とすべきだろうか?

 思いついたのは怪談話だったが、俺は迷わずそれをボツにする。


 恐怖をかたるには、まだ時期が早すぎたがゆえに。

 そう、これは公爵が死んだ頃に語るべき物語であろう……と。

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