その人なりのイェスタデイ
アートはスムーズに共有されている電気信号の中に引っ掛かってる無用の邪魔者じゃない。決して共有されることのない独り言だ。それは「型」でしかない。しかしそれは人を、エラく刺激する。
そう考えれば、アートは確実に残る。100年後にビートルズが忘れ去られることも、とりあえずは無さそうだ。ポールやリンゴの感情、あるいはジョンやジョージの感情を残ってる毛髪のDNAとかから再生して、それをチョクで完全に共有・共感することは出来るだろうが、それとは別に、イェスタデイとかアイ・アム・ザ・ウォルラスとかの作品も、そのまま残るだろう。残って、各人に(「各人」も残るだろう)、その人なりのイェスタデイ、アイ・アム・ザ・ウォルラスを産むだろう。時にはそれが新たな作品となるかも知れない。「俺にはイェスタデイがこう聞こえたんだよ!」と逆ギレしながら発表される作品。それは共有されるものではないのだ。でも、だからこそ、他の人を触発するかも知れない。触発して、もしかしたら、またその別の人のイェスタデイを産み出すかもしれない。
そっちだな。そっち系が、おそらく、俺が今この世で愛して止まない、アート。それはイーロン・マスクがマイクロチップを体内に埋め込んで全人類とチャネリングする時代が来ても、残る。
アートは死滅する? @yus
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