ジョン・レノンは救世主 (メシア)だったのか
スポンタ中村
第1話 思いもしない恐ろしいこと
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秘密とは、みんなが知っているということなんだよ。
アルバス・ダンブルドア(フォグワーツ魔法学校・校長)
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初夏の強い日差しがアスファルトを熱し、陽炎が立っていた。前日の雨が表面の埃を洗い流しているので、風景には透明感がある。
人の死に立ち会うとは〈メメント・モリ〉。「汝の死を忘れるな」である。ただし、私は世紀末のヨーロッパの金持ちのように、「死」という宿命を逃れるために日々を過ごしてきたのではない。否、貧乏という選択肢のない生活をしているから、「死の恐怖」から無縁でいられる。デカダンスとは、金持ちだけが持っている「選択肢に溢れた自由な日々」である。それよりも、絶望的に規則正しい生活の方が、「自分が必ず死ぬ」のだという絶望的であり、それでいて、至極当然のことを忘れるために、きわめて効果的である。
小市民である私にとって、「死」を思い出すことは悲観や絶望を伴わない。
ターミナルケアのエリザベス・キューブラロスの「死の受容プロセス」でいれば、私はすでに〈受容〉の段階にいる。ちなみに、アメリカの精神科医が定義した5段階とは、以下である。
否認:隔離 自分が死ぬということは嘘ではないのかと疑う段階である。
怒り:なぜ自分が死ななければならないのかという怒りを周囲に向ける段階である。
取引:なんとか死なずにすむように取引をしようと試みる段階である。何かにすがろうという心理状態である。
抑うつ:なにもできなくなる段階である。
受容:最終的に自分が死に行くことを受け入れる段階である。
※ 彼女のWikipediaより引用
死の専門家であるキューブラロスが、1995年に脳梗塞を患い、2004年に亡くなっているが、彼女が、その苦悩をインタビューで明らかにしているのは、まるで戯画である。そのことは、彼女は、「他人の死の専門家」だったが、「自分の死」の素人に過ぎなかったことを素直に表現している。
こんな清々しい土曜日の午前中だからこそ、豊かな思索の時間を過ごすことができる。そのことは、これから逢いに行く相手との精神的な距離を表現していた。勿論、私はシャーマンではないから、相手が何かを話すことはないし、私が何かを喋ることもない。
シャーマンとは、異界のスピリットとコミュニケーションができる人のこと。つまり、「相手のいうことが分かり、こちらの言いたいことを伝えることができる」。
一方、僧侶や牧師などの宗教者は、prayer 祈る人。「こちらの言いたいことを伝えることができる(ただし、それを確かめる術はない)」が、「相手が、何を言っている」のかは分からない。彼らが「神や超越について何かを語る」にしても、それは「(賢者の)解釈」でしかない。
宗教者には「霊能力がない」と劣等感を持つ人もいるから、なかには「シャーマンの能力がある」かのように振る舞う人が出てくる。だが、シャーマンの霊能力は利己的な情動を嫌うので、宗教者として活動している現世の人間が、シャーマンである可能性は低い。せいぜいが「かつてはシャーマンとしての能力があった」人でしかない。
高級霊として有名なシルバーバーチは、「自分は釈迦である。自分はイエス・キリストであると名乗るようなスピリットは、たいがいの場合、高級霊をかたる低級霊である」と指摘する。
異界(彼岸)も、この世界(此岸)と基本的には同じ。スピリットたちは、胸に名札をつけて日々を過ごしているのではない。
この世の中(此岸)でも、気高い魂の人は、人を助けても名を明かさない。
憑依体質とは、異界のスピリットの思うがままに操られてしまう人のこと。そこには、一切のコミュニケーションは存在しない。言わば、マイナスの霊能力である。
ターミナル駅で地下鉄に乗り換え、最寄りの駅で降りる。
ほどよい距離を、よく整備された街並みを歩くと、すでに100名を越える列ができていた。沢山の人がいるというのに、驚くほど静か。そのことはこれが葬列であることを表現していた。否、死の知らせから、この日まで、十日ほどが経っている。時間が人々の心を落ち着かせているのかもしれない。時の鎮静作用は絶大である。
私は遺族の一人だった。祖父の告別式を仕切るのは、大学関係者たち。親族は一切関与していないようだ。
死の直後、親族は遺体を荼毘にふし、密葬はすでに終わっていた。告別式では、献花は骨壺に向かって手向けられる。
「祖父は密葬が行われるような著名人だった」と、私はあらためて祖父の偉大さを思う。その偉大さは、私にとって、尊大さであり、そのことで、生前の祖父と私の交流の少なさに反映していた。今、こうして無くなってみると、祖父を持ったことを誇らしく思う。
もし、私が死んだとしても、(否、必ず死ぬのだが・・・)葬儀は密葬に等しい。参列者が十人を越えれば大盛況。お通夜の寿司桶も、大がふたつあればよい。
密葬に参列できなかった私は、この日の告別式にやってきたのだが、どうやら場違いのようである。コンクリート打ちっ放しの現代建築が、私の遺族としての感情をはねつける。
満100歳の老人が亡くなったのだから、大方の人は「天寿を全うした」と思うだろうし、号泣するような関係者は見当たらないだろう。だが、それ以上に、無機的な、形式的な雰囲気が辺り一帯に溢れていた。
建築家のル・コルビジェは、「住宅とは、住むための工場である」と言った。つまり、教会の権威や王室の栄華を表現するために過度の装飾をこらしたゴシック様式やバロック様式の建築を否定し、建物本来の目的である「使う人のこと」を考えて、建築を再構成したのである。シンプリシティー。多様な意味を削ぎ落した〈機能主義〉こそ、現代なのである。
〈機能主義〉は、〈合目的主義〉とも言い換えることができる。だが、目的以外に何もないというのは味気ない。否、目的が鮮明にされてしまうと、目的を持っていない「使う人」を建物は拒絶する。そういう厳しさが、現代建築の思想の底に広がっている。
教会は、ただただ、祈りをささげるための場所。そのことが、私の感覚に突き刺さってくる。
それが十字架であることを忘れてしまうような直線が交差したデザインを見上げた私は、半年ほど前に祖父の病室を訪れた時のことを思い浮かべた。
何年も会うことがなかった祖父だったが、胸騒ぎがする。病状が悪化したというような連絡もなかったので、私は、ふらりと病室を訪れることにした。
○
「この世の中では、君が思いもしないような、恐ろしいことが行われている・・・」
微かに怯えるような口調で、祖父は私に語りかけた。
フランスの哲学者、ジャンポール・サルトルと同じ年に生まれた祖父は、一生涯にわたって実存主義を研究した学者である。
一時期のサルトルは婦人のボーヴォワール女史と同様に、若者たちの尊敬を集めた。彼は哲学者だったが、ヒーローと呼んでもおかしくない熱狂を含んでいた。
彼への熱狂は日本にも伝わっており、サルトルは、アメリカのジャズサックス奏者のジョン・コルトレーンと同じく、新しい時代を切り開くヒーローだった。
世の中は、そのようにプログレッション(進化)していたし、そのことを時代は確信していた。
だが、晩年のサルトルは政治活動に参加し、若者たちから袋叩きに会い、不遇な晩年を過ごした。このことは、我が国ではあまり知られていない。
時代は停滞する。
すでにジョン・コルトレーンは亡くなり、ジャズは、フリーという底なし沼に陥っていた。
私は哲学科の学生ではなかったが、当時の流行に遅れまいと、彼の著作「嘔吐」を読んでみたが、さっぱり理解できない。
まず、〈アンガージュマン〉というのが分からない。今、調べてみると、以下のようなテキストに出くわす。
自己が主体的に状況内の存在に関わり、内側から引き受けなおすことができる。このようにして現にある状況から自己を開放し、あらたな状況のうちに自己を拘束することはアンガージュマン<engagement>といわれる。
※ Wikipediaより
「実存は本質に先立つ」と彼は言うが、〈実存〉がまず、分からない。そして、本質も・・・。
今にして思えば、〈実存〉を存在に読み替えて、読解すればよかったのだが、若いころの私は、そのような機転を持っていなかった。
西洋語のexistance の訳語が〈存在〉だとしても、existentialismの訳語が〈存在主義〉とは限らない。西洋語の語彙と日本語の語彙が、一対一対応であるはずはない。そのあたりの厳密さが専門家には気にかかることだから、存在とは微妙に違うのだということを宣言するために〈実存〉などという新語が編み出されたに違いない。
今、調べてみると、〈実存〉とは、現実・存在を略したものだという。なんのことはない。東京と八王子を結ぶ路線が京王電鉄になったり、東京と横浜をつなぐのが京浜急行というのと同じだ。
ならば、そのまま〈現実存在主義〉命名してくれれば、思い悩むことはなかったのにと、過去の学者たちを意地悪だと思う。
どちらにしても、私には、サルトルの言っていることがまったく分からない。その感情が劣等感に変容するのは当然である。
そして、彼の本は本棚の一角を飾る置物となった。読んでいないし、気になってもいるのだから、捨てることもできない。
そして、何年かが経った・・・。
私は、文化人類学者のレヴィ・ストロースとサルトルの論争を知る。
文化人類学者のストロースは、「民族や文化によって、人間の考え方は異なる」と挑んだが、サルトルは「どんな民族であろうとも、人間は人間。個は個でしょう」とはねつけたという。
誰が審判になったのかは分からないが、ストロースは論争に敗れ、その後、神話の研究に没頭する。
モダン(近代)の特徴は以下のふたつである。
1.個の認識・思索が、この世界の本質であり、起点である。(コギト)
2.人類は進化する。(進化論)
この二つの原理によって、モダニズムは展開したし、そのムーブメントの一つが〈実存主義〉である。
モダニズムのもうひとつの柱、進化論は、ヨーロッパの大航海時代に、西欧諸国たちが、異国文化を侵略するための「思想兵器」として編み出されたものであり、その対立概念は〈文化相対主義〉。つまり、その国の人たちが幸福に暮らしているなら、他所の国の人がとやかく言う権利はないというもの。しかし、それでは、異国を侵略することはできない。そもそも、彼らは肉食であり、胡椒が欲しくてたまらない人たちだったのである。
日本人なら、塩と胡椒ではなく、生醤油と山葵ということだろうが、彼らは醤油も山葵も知らなかった。
レヴィ・ストロースとの論争を知って、ようやく私はサルトルが何を学問していたのかが分かった。
ストロースが「文化の中で、個は規定される」と考えたが、サルトルは「いかなる文化であろうとも、個は個性である」と。
肌の色が白かろうが黒かろうが、人間は人間である。とすれば、どんな文化であろうとも、個は個である。
サルトルの思想の底には「個」。つまりは、考える個・コギトがいる。
その独立性は揺るぎない。文化など、どうでもよい。
ニーチェが「神は死んだ」と言い、宗教の時代が終わった時、神の代わりを勤めたのが「個」「コギト」「考える人」である。
ならば、上野の西洋美術館を訪れた時、私たちは「考える人」に格別の思いをもって鑑賞しなければならない。かの彫像が表現しているのは、「考える人の苦悩」ではない。書斎派の人間には、まったく不必要な筋肉をまとった彫像が表現しているのは、この世界そのものなのだ。
同じ庭には、「地獄門」という作品が配置されている。天国に行くか・地獄に落とすかを決定する場に、「考える人」が存在していることは、ニーチェの「神は死んだ」宣言の後、神の座に、考える人(コギト)が座ったことを表現しているのだが、そのことに気づく人はいない。
西洋美術館の「地獄門」の紹介文を読んでも、そこには、ダンテの神曲やボードレールとの関連性だけであって、モダンというひとつの時代を表現するような「本質的な芸術作品」であることに専門家たちも気づいていない。
美術の専門家たちにとって、近代(モダン)とは、あまりに大ざっぱな枠であって、彼らが話題にするのは、印象派や表現主義などの細かい分類である。結果、古代芸術の専門家、中世芸術の専門家は存在するが、近代芸術の専門家は存在しない。もし存在するとするなら、比較芸術論の研究者ということになるのかもしれないが、そのような大枠では、研究者としてのポストは限られる。
何故なら、大さっぱに、古代・中世・近代を語ることは、素人の議論とほぼ同じだからである。
20世紀において、モダン(近代)というムーブメントが等比級数的にプログレッション(進化)していく。その中心はニューヨークでありパリであり、サルトルであり、ジョン・コルトレーンであった。
〈実存主義〉は、「個の思索」が神に代わって、〈実存〉つまりは〈存在〉を証明するという学問だったのである。
一方の日本はといえば、明治維新によって、なかば無理矢理、近代(モダン)がやってきた。モダンは、宗教の時代を否定するための潮流だった。だが、日本では、少数派の宗教を信じているなら別だが、大多数の日本人にとって、宗教は生活と一体化しており、それを実感することない。西田幾太郎という実存主義者がいたが、彼は「絶対矛盾的、自己同一」と唱えている。
それは、「思索を突き詰めていくと、この世界が証明できるということ」。その思想は仏教や禅の、修行によって自己を研鑽していくと、悟りという永遠(この世界の本質)の境地に到達できるという考えにほぼ同じである。
思想の起点にコギトがいない日本人には、サルトルが何故、語らなければならなかったのか。それがまず理解できない。ならば、私がサルトルを理解できないのも、当然である。
17世紀からカントやデカルトが始めた近代、近代主観主義。ドイツ観念論。かなりの時が流れて、どうなったのか・・・。
「実存主義はダメだ」。
病室の祖父は、小さいが、しかし、しっかりとした声で、嘆きともいえる発言をした。自嘲ともいえるその発言は、彼の立場と対極をなしていた。百年の人生をその学問に費やした答えが、「・・・ダメだ」とは。だが、祖父の表情は絶望をすでに越えていて、朗らかなものだった。
そのことは、彼の蔵書の数万冊の書籍も、読むにあたらないということを意味している。こんな話を彼の教え子たちにできるはずはない。もし、そんなことをしようものなら、彼らの人生が路頭に迷ってしまう。
1991年、ソビエト連邦の解体によって、一瞬のうちに消え去ったマルクス経済学。慶應義塾の小泉信三は、「社会主義とは、体系化された怨念である」と看破し、栗本慎一郎は「マルクスの資本論は、読む価値なし」と断言する。かの学問の教授・学生たちは一体どこへ行ってしまったのか。
学問とは、「考え続けること」。したがって、結論を出さないことが、彼らのサバイバルの方法である。ならば、自己批判も含めて、考え続けていも良いようなものだが、ソビエト連邦の崩壊はそれを許さなかったのである。
同様に、デカルトに始まり、ハイデガー、そして、サルトルへと続いた実存主義という学問。ドイツ観念論は、ベルリンの壁が崩壊したように、瞬く間に無に帰した。だが、そのことを知っているのは、祖父と、その孫である私だけである。
果たして、そうだろうか。
○
〈実存主義者〉の主要な学者の一人であるハイデガーの弟子であり、一時期は愛人でもあったハンナ・アーレントは、ドイツ観念論が間違っていると確信していたに違いない。でなければ、世の中の大方の意見にしたがって、ナチスドイツの戦犯・アイヒマンを糾弾したに違いない。
1960年というから、第二次世界大戦の混乱が収まった頃である。アルゼンチンのブエノスアイレスで、ゲシュタポの「ユダヤ問題」担当責任者のアドルフ・アイヒマンが逮捕された。逮捕されたというのは正確ではない。アイヒマンの身柄は、イスラエルの情報機関モサドによって拉致・誘拐されたのだ。(アルゼンチンの主権を侵害していることが、後で問題になる・・・)その後、イスラエルで裁判が行われることになった。
裁判は1961年4月に始まり、その年の12月に死刑判決が下されている。(翌年の5月31日、絞首刑が執行された)
その模様は、ラジオで生中継されるとともに、映像収録も行われ、収録された映像は、編集スタジオで複製され、世界中に配布。後日、世界中のテレビで放映された。
裁判は世界中から注目され、世界中からジャーナリストが集まった。ニューヨークの大学で教鞭を取っていたハンナは、アメリカ雑誌「ニューヨーカー」の特派員として取材記事を書くことになった。
裁判は、生き残ったわずかなユダヤ人たちの証言から、当時、何が起きたのかが世界中に発信され、世界に衝撃を与えた。
だが、肝心のアイヒマンは、「自分は、上の命令に従ったのであり、無罪である」との主張を一貫して崩さない。そのことは、アイヒマンは、ナチズムに荷担したのであり、彼の罪は明確と考えたユダヤ人たちにとって、やりきれないできごとである。
ハンナはユダヤ人であり、彼女の周囲にも、ホロコースで命を失った人が少なくない。しかし、彼女は同胞からの反発を恐れず、「人間は、いかなる場合においても、〈主体的な個〉として存在できるので必ずしもない」と、アイヒマンの主張に同調する論調を表した。
アイヒマンは、〈主体的な個〉として、ユダヤ人たちを最終処分施設に送り込んだのではなく、ナチスドイツという組織の歯車として「受動的な個」としての役割を果たしたにすぎぬ。
裁判は、アイヒマンが自らの命令の結果として、「何が起きるかを知っていた」と発言したことを根拠に、彼に極刑が下され、結審した。
17世紀のデカルト、18世紀のカントに始まる〈主体的な個〉など、もともと存在などしない。ハンナ・アーレントは、世界的に注目される裁判の場から、近代主観主義・モダニズムを世界に先駆けて否定してみせたのである。
当然のことだが、ハンナは、アイヒマン裁判が、イスラエルという国家の存在を擁護するための政治ショーであることを指摘している。
どちらにしても、イスラムの地にユダヤ人が国家を構成することと、ドイツの地で流された多くのユダヤ人の命を秤にかけることはできないのである。
葬列は、献花の列になり、いつしか賛美歌を歌う人々の群となった。
讃美歌では、サレンダーという単語が繰り返される。
「わが身を神に捧げます」との意味が込められているのだろうが、それは〈個〉が教会に降伏することを意味しているのではないか。
死とは、まさに、超越に対する人間の降伏に他ならない。だが、「教会=超越」ではないだろう・・・。同様に、「人間の思索=絶対」でもない
そのことが、実存主義という学問がが終わってしまった根本的な理由である。そのことに気づくために、200年以上の時が必要だった。
人間の叡知とは、そのようなレベルなのだろうか。
きっと、ハンナ・アーレントのように〈主体的〉に思索する個は、ほとんど存在しないのだろう。
祖父の言葉、「君が思いもしないような、恐ろしいことが行われている」とは、どういうことなのか。
恐ろしいこととは、何---。
それをやっているのは、誰---。
「君が思いもしないような」というのなら、新聞やテレビが取り上げるようなことではないだろう。
つまり、新聞が批判するような、アメリカが世界で戦争を巻き起こしながらボロ儲けをしていることや、ウォール街が資本主義経済で全世界を支配しようとしていることではないはず。
では、どういうことなのか・・・。
本当のことを言えば、私は〈存在〉に対する基本的な問いに答えることができないでいる。
ここはどこ---。
私は誰---。
その答えは、三枝祐一という名前と、東京都世田谷区という固有名詞では、答えたことにならない。否、それらの固有名詞が〈存在〉に関する問いを無力化し、私たちを思考停止に導くために有効な役割を果たしている。
〈存在〉の問いは、人類にとって極めて重要なことだが、生活している人にとっては、チンポジに過ぎない。それが右を向いているか、左を向いているかは、本人にとってはとても気になることだが、他人にとってはそれほど重要ではない。
勿論、フィットするタイツなどを履いているなら別の話である。
ただし、その場合も、陽物の向きではなく、大きさが話題になるだけなのだが。一応、いつもはもう少し大きいが、今日は寒いので縮こまっていると言い訳ををしておく。
死を目前にした祖父が、私に何を言ったのか。そして、何を言わなかったのか。周囲に知り合いもなく、話しかける相手もいない私の思索は空回りするばかり。
百歳の老人なら、すでに死に怯える時期は終えていたに違いない。
さらにいえば、百歳の彼を殺そうとする人がいたはずもない。
ただ、祖父は「恐ろしいことが行われている」と私に伝えた。
それ以上でも、それ以下でもない。
では、私は何をすればいいのか・・・。夏の日差しは、軽い目眩を感じている私の感性を、日常の風景の中に深くなじませていく。
遺体はすでに荼毘にふされているのだから、出棺はない。
牧師の説教と賛美歌の合唱。
献花が終わると、葬列はいつの間にか、消え失せていた。その覚束なさに、はぐれた人が立ち尽くしているが、それも、耐え切れぬ悲しさというのではなく、不条理さを表現したい。そんな欲望が含まれている。
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