計画者の生態観察

 芝居がかった口調で説明を終えた優紀は、ドヤりながらゲゼワの対物レンズを渋沢瞳の部屋に向けた。まだ人の気配はない。


「んで、できあがったのがここ。姉月さ。元は寂れた街だったらしいんだけど、若年層の未婚男性は色々理由をつけて片っ端から追い出されて、少年愛傾向のある女性と、少年を子にもつ家族を中心に移動を重ねてきたってことらしい」


 ニヒルに鼻を鳴らして首を振る。

 陽菜はジト目のままだった。怪しまれている。


「それ、話、盛ってませんか? なんでそんな見てきたように話せるんですか?」

「いやいやいや! 盛ってないって! ちゃんと議事録読んだんだから!」

「えぇ? だって秘密裏にって、そんな会議で議事録残したらダメじゃないですか」

「そんなこと俺に言われても……」


 言いよどんだ優紀に対し、陽菜は畳みかけるように言葉を重ねた。


「それに笹岡環さん? のスマホの背景がって、そこは議事録にないですよね?」

「いやほら、結婚したのよ、その子役、ハルくんだっけ? よく知らないんだけど、女性議員まさかの年の差婚! ってワイドショーのネタにもなったとか?」

「とか? ってなんで疑問形なんですか」

「俺、そんときはまだ中学生だし」

「ダメじゃないですか!」

「だから俺に言われてもさぁ」


 優紀は咳ばらいをして、強弁することにした。


「ともかく! この街は逆光源氏計画に特化した街になってるってわけ。んで、俺たち観察部の仕事は、その女性たち、つまり計画者たちと計画対象者との間で計画の進捗は順調なのか観察する、と。そういうわけ」

「観察してどうするんですか?」

「えっと……それを考えるのは研究部門の仕事だろ? 観察部はほら、観察して記録をつけるだけだよ。同僚も俺以外はみんな既婚者だし、ほほえましく見てるし?」

「なんか、納得がいかないですね」


 陽菜は不満そうに頬を膨らませていた。

 想定通りの反応であった。

 実のところ、強弁した優紀自身いまいち納得がいかなくなってしまったのだ。かといって仕事をやめるわけにもいかない。計画当初ならともかく、いまでは逆光源氏計画観察計画を妨害するかのように、危険な相手まで現れ始めている。

 優紀は、陽菜をなだめようと思い、軽い調子で言った。


「ま、少年擬態者とか、危ない連中もいることだしさ。計画者に対する身辺警護を専門にやってるようなもんだよ。了解を取ってないところは問題かもしれないけど、研究ってそういうもんなんでしょ? なんかウチの部長もそんなこといってたし」

「まぁ実験とかなら二重盲検法とかありますけど。でも倫理的にどうなんでしょう」

「倫理とか言われても俺はちょっと分からないんだけどさ」


 優紀は、納得のいかない様子の陽菜に苦笑した。

 ここは宥めすかすよりも、ほかに注意を向けさせる方が得策かもしれない。陽菜が相手なら、質問することで自尊心をくすぐるのがいいだろう。

 そう決めて、優紀は聞きなれない単語について尋ねた。


「――てかハナちゃん。なに? 二重盲検法って」

「えっ? 聞きたいですか?」


 ぱぁっと光が射しでもしたかのように、陽菜の目が輝きだす。

 言葉を継ぐのも、優紀が返答するより早い。


「あのですね、社会実験でよく利用する方法で、いくつか種類があるんです。お薬の治験なんかでよく使うのは単盲検法っていって、対象者が実験内容を知らない状態ですね。で、二重盲検法っていうのは、もう一人実験内容を知らない場合です」

「あぁ、たとえば、それこそあれか。逆光源氏計画で集められた計画者たちが、自分たちが観察計画に所属しているとは知らない、みたいなやつだ」

「そうです! 実験者も対象者も実験の目的を知らなくて、計画した人だけが本当の目的を知っているのが、二重盲検法です! よく分かりましたね、えらいえらいしてあげます!」


 そう言って陽菜は優紀の頭を撫でた。テンションが限界点を突破したらしい。

 優紀はなんとはなしに、テストでいい点を取って帰った時の義母を思いだした。

 だがしかし。

 優紀はすでに成人で、陽菜は後輩かつ年下である。


「えぇと、ハナちゃん? 俺、年上なんだけど?」

「はっ」


 ようやく我に返ったらしい陽菜は、耳まで真っ赤になってうつむいた。


「ご、ごめんなさい。つい、その、調子に乗っちゃいました」

「いや、いいよ。あんま気にしないでね」


 消え入りそうな声に同情しつつ、優紀はタバコを取りだした。


「そんじゃ、俺、タバコ吸ってくるから渋沢瞳の観察しててね」


 箱から一本抜き取り口に咥えた瞬間、強い視線に気づいた。

 陽菜が殺意すら感じさせるジト目をしていた。手で鼻を覆っている。


「え、えっと? どうしたん? 今度はなに?」

「タバコ、吸うんですか? やめてください。臭いです」

「えぇと一本だけ、一本だけだから」


 食い下がる優紀に対し、陽菜はキッチンを指さした。


「どうしても吸いたいなら、換気扇の下ででもお願いします」

「あぁ、うん。まぁ、それはね。俺も分かってるよ。分煙は大事だしね。それじゃあハナちゃん、代わりに観察の方、よろしくね?」

「分かりました。けど、観察って、なにするんですか?」

「とりあえずいまのとこは、帰宅待ちだよ。家にいないんじゃ話にならないし」


 そう言って優紀は立ち上がり、タバコを咥え直してキッチンに向かった。

 換気扇を回し、ポケットから携帯灰皿と旧型の即時変身装置を取りだし蓋を開く。

 ジッポー特有の甘いオイルの匂いが漂う。この香りだけは嫌いじゃない。なんとなく吸うようになっていたタバコは、好きかどうかは分からない。

 フリントを擦って火をつけ、ゆっくりとタバコの先端に近づけようとしたとき、


「先輩! 帰ってきました!」


 蓋を閉じることになった。


「いま行くよ。大声出さないようにね。バレるかもしれないから」

「はーい!」

 ――聞けよ。


 優紀は、かくん、と頭を下げて、タバコを箱に戻した。

 ゲゼワの前に座る陽菜は、スマホと接眼レンズを交互に見比べていた。おそらく写真と照らし合わせて確認をとっているのだろう。なんだかんだ言っても、ノリノリの様子である。もっとも、ただ優秀なだけなのかもしれない、という恐怖もあるが。


 脳裏に浮かぶのは、『いずれは俺たちの上司になるんだよ』という観察部部長の言葉である。そしてそれは『優紀くん。コピーお願い』と言う陽菜の姿を連想させた。

 悪くない。悪くない気がする。

 優紀は頭を左右に振って妄想を打ち消し、陽菜の隣に座った。


「よく現認できたね。さすが」

「簡単です。何号室か分かってますからね。下から階を数えて、横から何号室かアタリをつけただけですよ。それに端末から写真も転送したので、顔もばっちりです」


 ただ優秀なだけだった。

 優紀は内心、身震いした。


「いやいや、大したもんだよ。俺、最初の仕事のときは現認しそこなったし」

「そうですか? うひひ。ありがとうございます」

 ――うひひて。


 奇怪な笑いを流して捨てて、接眼レンズを覗きこむ。

 レンズの向こうには、すっきりとした顔立ちの背の高い女が居た。車で見た写真と同じ。渋沢瞳で間違いない。

 窓に対して横向きに置かれたデスクには、タワー型のパソコンが見える。ファイルの束がキーボードの横にあることから、普段はそこで仕事をしているのかもしれない。見える範囲に、計画者対象者に繋がるものはなさそうだ。


「あるいは、逆光源氏計画の管理か?」

「へ?」


 まるで陽菜の間と空気の抜けた声に合わせるかのように、渋沢瞳はデスクの三段目の抽斗に鍵を挿し引き開けた。そして奥に手を突っ込み、何かを引きだす。底だ。抽斗の底である。取りだし、さらに奥まで手を入れる。

 抜かれた手には、分厚いファイルがあった。

 優紀は渋沢瞳の手による厳重な管理体勢に、呆れを通り越して嘆息した。


「ムッツリ型ン中でもレベルたけぇな……」

「な、なんですか、その気持ち悪い感じの名前」


 陽菜の嫌そうな声を無視し、優紀はゲゼワの記録・送信ボタンを押した。以降は渋沢瞳の全活動が記録され、オネショ研に送信される。つまり開かれたファイル内の少年の写真も、それを眺めだらしなくニヤけている姿も、オネショ研のサーバーマシンに集積されていくのである。


 集積されたデータは後ほど研究管理部の判定にかけられる。それが終われば、じきに観察部から折り返しの観察承認を伝える連絡もくる。

 優紀は接眼レンズから目を離した。


「おっけ。あとは計画対象者と接触するまで観察するだけだ。代わって?」

「えっ、あ、はい。って、これ、覗き続けるんですか?」

「それな。ゲゼワ二って外部カメラがないんだよ。悪いけど、覗いててくれ」


 陽菜は口の端をさげ、ゲゼワと優紀を交互にみた。


「うぅ。これ、絶対、変態さんのやることですよぅ」

「ま、仕事だから、仕事。移動したら追っかけないといけないし、夜の間の交代要員も申請してみるよ。なんせハナちゃんは初仕事だし、いきなり泊まりはね」

「泊まり? 普段は泊まることもあるんですか!?」

「あるよ。つか、しょっちゅうだよ。俺なんかここ入ってから、寮で寝るより観測点で寝ることの方が多いくらいだ」

「え、えええぇぇ!」

「こ、こら!」

 ――声が大きすぎる!


 優紀は泣き叫ぶ陽菜の口を手で覆い、慌ててゲゼワを覗きこんだ。

 対岸では渋沢瞳が訝しげに眉を寄せて、優紀たちのいるマンションを見ていた。立ち上がり窓を開く。視線を優紀たちのいるマンションの窓に巡らせ――、


 息をつき、席に戻った。

 優紀は陽菜の口から手を離し、どっと息を吐きだした。緊張に汗が噴き出る。

 万が一、存在がバレてしまえば、速やかに現場に乗り込み記憶を改竄しなければならない。そして始末書がまた一枚増える。次はおそらく減給だった。

 陽菜は弾かれたように優紀を押しやった。


「な、なにするんですか!?」

「声、声、小さく……!」


 陽菜ははっとして口を噤み、ゲゼワを覗いた。

 ごくり。

 陽菜が唾をのむ音が聞こえた。

 つられて優紀も息を飲み込んでいた。


「どう?」

「だ、大丈夫みたいです」


 よかった。本当によかった。

 これで始末書も減俸も当座は回避されたのである。

 優紀は目元を指先で揉み解し、床に寝転んだ。


「気をつけてな。バレたら現場までいかなきゃいけないんだわ」

「は、はい。すいません」

「まぁそんな緊張しないでいいよ。疲れたら言って。交代するから」

「分かりました。頑張ります」


 両手をぐーにした陽菜の肩を叩き、優紀はスマホで夜間交代要員を申請した。

 ほどなくして。

 タバコを吸って戻った優紀に、陽菜が難しい顔を向けた。


「先輩、臭いです。タバコ臭いです。不快です。やめてほしいです」

「いや、うん、わかるけど。そんな畳みかけないでくれよ」

「分かるならやめてください。というか、さっき言ってましたよね、この街、子供の男の子が多いんだって。それに若い女性も多いって」

「言ったけど?」

「だったらタバコやめないと、ものすごく不利じゃないですか」


 返す言葉が見つからない。正論という名のギロチンである。

 百害あって一利なし。それは良く分かっている。やめられないのではなく、やめないのだと、嘯くこともある。

 実際、優紀はニコチンへの希求で吸いたいと思っているわけではない。

 ではなぜ吸うのか。


 それは陽菜という外界の住人の視線によって分かるようになった。

 喫煙を口実にして、ただその場所を離れたいだけだ。

 先輩と組んでいるときには会話に困って。そしていまは、なんとなく自分のやっていることが後ろめたいことである、と気付いてしまったから。

 誰かに仕事を任せ、自分がその場所を離れる理由が欲しかったのだ。多分。


 しかし、陽菜にそのことを真っ正直にいうのはマズい気がする。先輩が職務放棄したいからなのです。冗談にもならない。

 だから優紀は、とりあえず嘘をついておいた。


「なんとなく、カッコイイような気がして」

「カッコよさ優先で仕事に支障が出てるとか、最低にカッコ悪くないですか?」


 ギロチンに込められた慈悲は、言葉にすると抜け落ちてしまうものらしい。

 優紀は目を瞑り、聞こえないふりをした。


「あ、ちょっと。先輩、子供っぽいですよ、そういうの、めっ、です」

「めっ、て」


 思わず反応させられた。ツッコミをいれざるをえない言いようだった。

 いったい、どのような生育環境にあると成人男性に『めっ』と言う子になるのだ。

 いいぞ。もっとやれ。などと思いつつ、優紀はゲゼワを指さした。


「いいから、ちゃんと観察して。タバコについては、考えとくから」

「むぅ、分かりました」


 素直にゲゼワを再び覗きこんだ陽菜が、小さな声をあげた。


「あっ」

「どした?」

「え、えっと、えっ? いや、これ、えぇ? ど、どうしたら」


 陽菜の発言に動揺が見て取れる。顔がみるみる赤くなっていく。

 優紀は躰を起こし、ゲゼワに手を伸ばす。

 が。

 ぴしゃり、と叩かれた。


「だめです! 先輩は見ちゃだめです!」

「はぁ? 一体なにが起きた? 渋沢瞳がなにかしてるのか?」

「な、ナニかしてると言えばシテます、けどともかく! 先輩は見ちゃダメです! というかこれ、録画ってどうやって止めるんですか!? これ記録しちゃダメなやつですよ!」


 陽菜は、わたわたとゲゼワのボタンを眺めたり覗きこんだりと落ち着かない。

 優紀は小さくため息をついた。


「あー、なるほど?」

「ふ、ふぉっ!?」


 驚いたように振り向いた陽菜は、忙しく目を瞬かせていた。

 陽菜の丸く見開かれた目を、優紀はじっと見つめた。瞳が泳ぎ、涙ぐんですらいる。なおもじっと見つめる。鼻孔がひくひくと動いている。呼吸も荒い。

 しかし、小さな口から回答がでてくることはない。


 優紀は返答を得るのを諦め、ゲゼワを覗きこもうとした。一瞬だけ渋沢瞳が机に突っ伏しファイルを眺めている姿が見えたところで、陽菜の汗ばんだ手が視界を遮る。

 気持ちはわからないでもない。しかし、これも仕事である。


「見続ける必要はないけど、録画は止めちゃだめだよ。計画者のデータとして蓄積されてくんだから」

「で、でも、これ、と、とうさつ――」

「そこまでだ。こう考えるんだよ。我々は警察で、張り込みの真っ最中である。つまり、監視をしているのであって、盗撮をしているのではない。いいね?」


 陽菜は何度も首を縦に振った。間違っているが間違いではない。仕事だ。

 優紀は深く息を吸い込み、止めた。居たたまれないとはこのことだ。


「んじゃ、俺はタバコ吸ってくるから」


 陽菜は無言のままゲゼワを覗き込んだり離れたりを繰り返している。まるで思春期の少女のよう――十八はギリギリ思春期だった。まぁ当面のところ問題はない。放っておいてもいいだろう。


 優紀は換気扇のスイッチを入れ、タバコに火をつけた。先から立ち上る紫煙はノータイムで回転するプロペラへと吸い込まれていく。

 吸い込んだ煙を吐きだし、肩越しに陽菜を観察する。


 興味津々といった様子でゲゼワにかぶりついている。かと思うとすぐに目を離し、もじもじ。そうして何度も同じ動きを繰り返す。優紀の他には人はいない。だというのに、ときおりキョロキョロと辺りを警戒してすらいる。


 ――ムッツリタイプか。


 ぼんやりとそんなことを考えながら、優紀は吸い口を咥え、深く煙を吸い込んだ。

 変なところに入って、激しく咳き込んでしまった。

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