藤の花の藤に堂々巡りの堂で藤堂です!

 昨晩の激闘から時間にして十二時間後。

 昨日いっときの感情に流され帰ってしまった優紀は、うつうつとしたままオネショ研ビルへと車を走らせていた。遅刻間際である。

 一体どんな小言を言われるのか。

 どれだけの始末書と報告書を出さなければいけないのか。

 

 首の骨を鳴らして、車中から本部ビルを見上げる。

 まるで海中で波打つ昆布のような形をしているガラス張りのビルだ。表向きには、少子高齢社会問題を解決するための都市開発研究をしている、とされている。しかしその実態は、日本政府が秘密裏に発令した、逆光源氏計画観察機構が収まっていた。


 車を駐車場においた優紀は、超高速で上昇するエレベータの中で言い訳を考えようとし、諦めた。

 ――ペンポン

 と、エレベータが到着を知らせる。

 やはり、間に合いやしないのだ。


 アルミ扉が開くとそこは観察部オフィスで、疲れた顔の男たちが、忙しく歩き回っていた。男たちはすべて観察部員であり、計画者の情報を収集・精査し、近年増加しつつある少年擬態者の痕跡を探っているのである。

 先日の惨劇が起きる前まで、優紀も担当する計画対象者『相沢卓巳』の情報を整理していた。行動様式に異常を感じて急行したときには、すでに遅かったのだが。


 ――やっぱ俺の責任なのかなぁ。

 そう思いつつ、一歩オフィスに足を踏み入れる。すかさず職員の視線が優紀のダークスーツに集まった。

 同僚の一人が、苦笑しつつつも慰めるかのように声をかけた。


「聞いたぜ、優紀。災難だったな」

「災難は俺じゃなくて先輩の方。昨日、子供が生まれたらしいっすよ?」

「なんだそりゃ。なら、なおのこと、災難はお前じゃねぇか」

「はぁ?」


 優紀は眉を寄せた。たしかにズブ濡れにはなったが、災難というほどではない。

 同僚はいやらしく、にんまりと口の端を上げた。


「そりゃお前、労災は降りるし、育児休暇は取れるし、やめろって言われてるのに酒もタバコもやめねぇ相棒から離れられるんだ。ラッキーじゃねぇか」


 言うなり一人が笑いだし、つられて部内は笑い声に満ちた。


「勘弁してくださいよ。そっちだって、この街は小汚い居酒屋が無さすぎるって言ってたでしょ?」

「それはそれ、これはこれだよ。せっかくだ、今日はお前もってくか?」

「あー、どうしようかなぁ。どうも昨日の雨のせいで調子悪くて」

「バカ話してんじゃねぇぞ! 優紀! こっちこい!」


 昨夜の雷鳴のような野太い声が部署内に轟いた。

 優紀は首を軋ませ振り向いた。こめかに青黒い血管を浮き立たせた部長の顔が、部長室からこちらを睨みつけている。


 ――やべぇ。


 観察部部長のオフィスまで続く緑色のカーペットは、まるで死刑台に続くグリーンマイルのように、優紀の足にねとねとと食いついた。

 優紀は部長が趣味で導入したとかいうマホガニーの机の前で直立不動となる。


「な、なんでしょうか!?」

「お前さ、せめて靴の泥くらい落としてから出勤しろよ。一足しかねぇのか?」

「えっ?」


 みれば黒革の短靴は元の色が分からないほどに泥まみれになっていた。昨晩、土砂降りの中を駆けまわり、路地裏を抜けて走った結果である。ネバついて感じていたのは、泥や謎の汚れがカーペットにネチョったかららしい。

 ため息しかでない。

 部長の方もそれは同じである。


「んで、お前の相棒、変更になったからな」

「はい。……はい!?」

「いやお前、相棒は入院してんだぞ? 当然だろ」


 部長は窓に――いや、その外に目を向けた。オネショ研本部ビルの正面、一本道を挟んで、真っ白い総合病院が見える。どうやら先輩はあの病院に緊急搬送されたらしい。あんな近いところに入院とは、やはり災難だ。


 ――緊急時に包帯グルグルで出てきたりして。


 優紀はミイラ先輩がミイラベイビーを抱く姿を想像し、吹きだしてしまった。

 部長は苛立たしげに咳払いをして振り向いた。肩越しに窓の外を指さす。


「笑ってねぇで、あとでちゃんと見舞い行けよ? 役立たずのお前を引き受けてくれたんだから」


 部長はデスクの上の書類をちらと見て、鼻から深く息を吐きだした。


「んでだ。お前らが担当してた計画者は、しばらく計画対象者探しに時間を食っちまうだろ? するってぇとだ。相棒のいないお前は何ができる?」

「何がって、その、それは――」

「そうだよ。ご想像通りに、それを考えるのが俺の仕事だ。どうするか頭を悩ませてたら話がきた。研究管理部がお前の新しい相棒を用意したってよ」

「はぁ? ひみつ基地が、ですか?」


 優紀はぞわぞわと背中を伝う嫌な予感に、顔をしかめてしまった。

 ひみつ基地は、正式名称を研究管理部という。本部ビル地下二階以降を占有している、おねショ研の主要機関である。優紀たち観察部だけでなく、全ての部署へ活動指針を伝達している。地下から命令を発信するさま、そして普段は所属部員の姿を見ることがないために、ある種の侮べつを込め、ひみつ基地と呼称されている。

 部長はうすくなりつつある頭を掻き乱した。


「そういう子供っぽいのやめろな? あそこの連中、一番下っ端でも一~二年もしたら俺らより階級上になるんだぞ? つまりな、あいつらの下で働くんだぞ」

「マジっすか? てか、そこから俺の新しい相棒がくるってことは――」

「そうだよ。後々の上司がお前にくっついて、俺らを監視する気なんだよ、きっと」


 言って、深いため息をつき。よほど研究管理部にいじめられてきているのだろう。

 しかしそのとき優紀は、口を半開きにしたまま、思考が停止しかけていた。

 根本的に未来の上司に相当する人間が部下になるという状況が、理解できていなかったのだ。また少々、うざい、と思った。


 自らのミス起因とはいえ、ようやくおねショタだなんだとうるさい先輩から離れられたのだ。積み重なったミスが今回の件で爆発し、別部署への左遷、なんて転回すら期待していた。

 なにせ花形といえども観察部の仕事は危険も伴うし、優紀自身も観察部の業務に向いていないと薄々自覚しはじめていた。

 優紀は追尾・格闘能力こそ高いものの、おねショタ――特にショタ――への興味に乏しい。そのため、少年擬態者への嗅覚に欠けるのである。それゆえに、


「うぃっす」


 優紀は不本意であることを隠そうともせず、肯定の返事をした。

 部長は満足げに左肩を一回しして立ち上がり、扉を開けた。


「とうどうくーん? とうどうくーん? こっちきてもらえるかなー?」


 中年のオヤジが発する猫なで声とは、こうもおぞましいものなのか。

 と、優紀が身震いしていると、若い女の声で返事があった。


「はーい。いまいきまーす」

 ――ファミレスのバイトかな?


 思わずそう口にしたくなる。おそろしく軽く、ほわほわした女子の返答であった。

 とてとて、とフェアリーペンギンのように両手を広げて、一人の女が部長室に入ってきた。少女と言いたくなるほど若い。スーツもまったく着慣れていない。もう夏になるというのにリクルートスタイルである。

 どう考えてみても、中途で入った新人さんか、あるいはバイトだ。

 少女は優紀の視線に気づいたか、頬を染めて勢いよく頭をさげた。


「と、藤堂陽菜とうどうはるなです! よろしくお願いします! 藤の花の藤に堂々巡りの堂で藤堂です!」


 頭を上げた拍子に、短く切りそろえられた黒髪がふわりと揺れた。どことなく丸みを帯びた幼い顔立ちをし、光り輝く大きな黒い瞳は懸命さを如実に示す。

 しかし。

 ――堂々巡りて。

 優紀は失笑した。


「えっ? えっ? なんか、私、変なこと言いましたか!?」

「あいや、なにも。藤堂陽菜さん、ね。なんて呼べばいい?」

「え、えと、あの」

「なぁにをカッコつけてんだよ、優紀!」


 部長の呆れ気味の怒声が飛んだ。別に口説こうとしたわけでもないのだが。

 部長はわざとらしく優紀と陽菜の間を抜けて椅子に戻り、紙を一枚、二人の前に突き出した。


 『高塚優紀、ならびに藤堂陽菜は研究管理部部長室に出頭すること』


 と、書かれている。

 まじまじとペラいA四用紙を見つめていた優紀の肩を、陽菜がつついた。


「えっと、優紀さんていうんですね。よろしくお願いします」

「えぁ? あ、よろしく。えーと、藤棚ちゃん」

「藤棚? なんですかそのフジツボみたいな。私、学校では、ずっとハナちゃん、って呼ばれてたんですよ?」

「フジツボて。藤棚知らない?」

「怒りますよ?」

「藤の花はって自分で自己紹介したのに? 藤棚ってほら、こういう柵が――」

「ほんとに怒りました! 私、怒ってます。フジツボじゃないです!」


 陽菜は目をグルグルさせていた。どうやら本当に怒っているらしい。なんとなく緊張も相まって混乱している、というようにも見える。

 アホの子なのかな?

 優紀は失礼極まる感想を抱きつつ、頬を緩めて、陽菜の目を真っすぐ見つめた。


「じゃあ、ハナちゃんでいい? 俺のことは優紀って呼んでくれればいいから」

「えっ、あ、はい! 優紀さんですね!」


 陽菜は目の焦点を取り戻し、にこりと笑った。まさに大輪の花のようであり――。

 ずばん、と部屋に鈍い音がした。

 部長がデスクの天板をぶっ叩いたのだ。


「あのな、優紀。お見合いやってんじゃねぇんだぞ。ついでに、いま見せたのは業務連絡だ。そこんとこ、分かってんのか? 昨日ミスしたばっかの優紀くんは、まぁぁぁぁぁぁだ、理解できてねぇのかな?」

「分かってますって。というか、そのあと、どうするんです? 担当とか」


 優紀のテキトーな返事に、部長のこめかみに浮いた血管が脈打つ。

 幸いというべきか、不幸というべきか、切れはしなかった。


「分からん。とにかくいまは、藤堂くんと一緒に、研究管理部に行ってくれ」

「はぁ……まぁ、分かりましたよ。了解です」


 優紀は陽菜の方に首を傾け、右手を差しだした。


「それじゃ、よろしく。ハナちゃん」

「は、はい! よろしくお願いします!」


 陽菜はポケットからウェットティッシュを取りだし手を拭い、優紀と握手を交わした。部屋に響く部長の熱気のこもったため息を聞き流し、二人は部屋を後にした。

 さっさか部屋を歩き抜ける優紀の後ろを、わたわたと陽菜が追っていく。

 エレベーターに乗り込むと同時に、優紀が口を開いた。


「ところでハナちゃん」

「はい?」

「ハナちゃん、研究管理部なんだよね? なんで観察部に来ることになったの?」

「えっと、ごめんなさい。実は私、くわしいことは全然、教えてもらってなくて」

 

 やはりこの子も歯車か。

 優紀は軽い憐憫の情を抱きつつ、冗談交じりに言った。


「じゃあ、研究管理部って何階か分かる?」

「え? あ、わかります! 地下三階! です!」


 なぜか陽菜は、両手をぎゅっと握りしめていた。

 やっぱりアホの子だよね?

 苦笑いを浮かべた優紀は、B3と書かれたボタンを軽やかにタップした。上昇と同じく猛烈な速度で扉上部にある階数表示板が落ちていく。躰が浮きそうな浮遊感だ。

 三、二、


「あ、ごめんなさい。私が押すべきでしたね」

「いいよ、そういうのは。俺そういうこと、気にしたことないんだよね」

「今度から気を付けますね」

「いやだから、気にしてないって――」

 ――ペンポン


 間、悪いな、と思うと同時に、ため息が漏れ出していた。

 沈黙の訪れたエレーベータ内で静かに時が流れる。

 カードリーダーが赤く点滅している。扉が開く気配はない。当然である。

 なにせ、陽菜が持っているはずの部員証を通さなければ、扉は開かないのだ。

 優紀は一向に部員証を出そうとしない陽菜に、尋ねた。


「ハナちゃん?」


 陽菜は意図曖昧な微笑を浮かべ、小首をかしげた。かわいい。


「じゃなくて。カードキー。ハナちゃん、研究管理部から出向してるんだよね?」

「はっ。ごめんなさい! ごめんなさい!」


 陽菜は高速で頭の上下を繰り返しつつ、ポケットから部員証を取りだしカードリーダーに通した。

 短い電子音が鳴り、同時にランプが鈍い緑色に点灯する。

 がっしゅん、と圧縮空気の抜けるような音ともに扉が開いた。


 前方に広がっているのは、薄暗く、無駄に長い廊下だった。ところどころで蛍光灯が不規則に明滅している。換気口によるものか、あるいは電子機器の発する振動なのか、ぶぅぅぅん、と微かな低音が廊下中に響いていた。

 優紀は得も言われぬ不安を感じつつ、一歩足を踏み入れた。

 かつぅーん、と、靴音が碁盤の目状に伸びる廊下にこだまする――。


「ホラーかよ!」

「わわっ、ど、どうしました!?」


 耐えきれずに叫んでしまったツッコミに対し、陽菜は驚嘆の声をあげ、 


「というか、ここでは、しーって、しーってしてください!」


 人差し指を口の前に立てた。


「しーって、子供か!」

「だ、だから、しーって――」


 ばしゅん、と廊下に並ぶ扉の一つが開く。白衣の女。とても迷惑そうな顔をしている。うるせぇよ、と言わんばかりの、いっそ憎々しげな目をしている。

 優紀と陽菜は顔を見合わせ、静かに頭をさげた。


 ――しーって。


 優紀は研究管理部の部長室までの先導を陽菜に任せ、その間、心中で「しー」を反芻して頬を緩ませた。

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