逆光源氏計画観察計画
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逆光源氏計画観察計画
先輩喪失、後輩誕生
待てぃ! 少年擬態者!
もっと早く気付いていれば、と
明滅する稲光の下、優紀は一人の男を抱きかかえていた。その背に、雨粒が激しくぶつかっている。
腕の中では、男が一人、痛苦にあえいでいた。
男は優紀の所属する(独)国立人口増加研究開発機構――通称おねショ研の花形部署、観察部の観察員である。この二年間、引き受け手のいない新人だった優紀を相棒として教育してきた先輩だ。
彼は、つい数時間前に、子供が生まれたことを電話越しに知ったばかりだった。
優紀は腕の中で震える先輩の躰を揺さぶった。
「先輩、気をしっかり! あんた親になったんだ、顔を見なきゃでしょう!?」
「いや、俺はもう、ダメだ。それより、お前は、あの
「何いってんすか! 俺一人じゃ、無理っすよ! いま救急車を呼びましたから!」
「優紀! 情けねぇことを言うんじゃねぇ!」
叫び、血を吐きだした。
男は傷口(といっても打撲だ)から手を離し、優紀の肩を掴んだ。
「産まれたのは娘なんだ。嫁に行くとこ見ないで済むだけ、マシってもんだ。そうだろ?」
そう言って、ニヒルに笑う。
優紀は眉を寄せて、歯噛みした。
――知らねぇし、いま救急車を呼んだっていってんだろがぃ。
心中で呟く。音として口にするわけにはいかない。それで心折れられたら、とても困る。
とりあえず優紀は、先輩の醸しだす空気に乗っかることにした。
「なに言ってんすか! 冗談言ってる場合じゃないでしょ?」
「そうだ。そんな場合じゃあない。だから行くんだ。奴らを止めろ。『
「先輩! でも俺は……」
「黙れ。そして聞け。我が国の未来のために、おねショタの火を消してはダメだ。ショタおねは、絶対に許されんのだ」
優紀の顔から表情が消えた。真顔だ。最後に残す言葉がそんな言葉なのかと思うと、涙まで流れてきそうだった。
国家はともかく、おねショタの火とかいうものなぞ、心底どうでもいい。
そんなことに、命を賭したのか。
先輩は優紀の表情には気づいてないのか、口の端を上げ、手を差しだしてきた。
「これを、持って、いけ」
息も言葉も絶え絶えに、先輩が優紀の手を取った。
四角く金属質な感触があった。ジッポーだ。パーティーグッズで使う馬のマスクにも似た絵が、雨に濡れて光っていた。
おねショ研の用意した
――俺も持ってるし、いらねぇ。
優紀は先輩に渡された即時変身装置を固く握りしめた。
研修を終えた時点で、優紀自身も支給をうけている。自分以外の物を渡されても生体組織情報の齟齬により、起動するかも怪しい。なにより形見分けのような行為に込められているであろう思い。
まるで興味が湧かない。
だからこそ優紀は、心の底から、いらねぇ、と思った。
しかし満足げな笑顔を浮かべ死にかけている男に、そんなむごいことを言えるわけがない。断ったりでもしたら、あとで恨まれそうだし。
優紀は趣味の悪い即時変身装置を懐にしまう振りをした。
「先輩。俺、いきます」
先輩は涙を流しながらうなづき、血を吐いた。
「おう。行け。俺はお前を信じてる。お前も、俺の言うことを、しんじ、ろ……」
そう言い残し、先輩は静かに瞼を閉じた。まだ油断はできない。
優紀は先輩の瞼を指先で開いた。意識はないようだ。首筋に指をあてて脈をとる。
まだ息はある。
優紀は安堵の息をつき、先輩の躰を、雨でビタビタになった地面に横たえた。
全く気が乗らない。しかし一人の男が命を賭けたらしいのだ。引き継がなくてはならない。おねショタの火を守るために、ショタおねの火を絶やすために。
全くもってやりたくない。
だが仕事だ。
優紀は先輩の背広内ポケットに即時変身装置を返して、駆けだした。
優紀が懸命に追っているのは、
少年擬態者は巧妙に
逆光源氏計画観察計画における優紀の役割は、計画者が
少年擬態者たちは計画対象者に擬態して計画者に接近、秘密裏に女性側からの貴重な自発的繁殖行動である逆光源氏計画を、とん挫せしめようとしている。
それだけは、職務上、阻止せねばならない。
優紀は最後に計画者を見た表通りを駆け抜けていく。
「タっくん、やめてぇ!」
担当していた計画者『
――まだ、間に合う。
優紀は自分の即時変身装置を取り出した。表面には、最近子供たちに大人気らしいバグライザーだかバグライダーだかという、特撮キャラのマスクが描かれている。
上蓋を開け、叫ぶ。
「
宣言によって
降り落ちる雨粒が蒸発し、ブスブスと音を立てた。
炎が吹き消えたあとには、はやりの特撮主人公と同じ、赤黒い鬼の形相にも似たマスクがあった。禍々しい
優紀は仮面によって急激に下がった視認性に舌打ちし、アスファルトを蹴った。悲鳴のきこえた路地裏へと躰を滑り込ませる。
わずかに開けたスペースに、青い雨傘が転がっている。
早乙女真奈美は、すぐ近くの濡れた地面の上にいた。雨に濡れそぼった薄手の白いワンピースは無残にも引き裂かれ、豊かな胸が露わになっている。
邪悪で性的にいやらしい笑みを顔に張りつけた少年が、いままさに早乙女真奈美のワンピースを引き裂いたところだった。
少年の姿は保護対象者『
優紀は鉄仮面の変声機を始動した。
「そこまでだ少年擬態者!」
発せられた音声は日曜朝の特撮番組で主役を張る俳優の声に変質している。
「もう来やがったのか!」
振り向き叫んだ少年擬態者が、すぐさまに迎撃態勢を取った。
優紀は少年擬態者対策マニュアルを思い返す。
計画者の意識あり。目撃者なし。先輩からの助言――恥ずかしすぎる。
だが、仕事だ。
咳ばらいをひとつ。
「この街で、シ、ショタおねは許されん! 覚悟しろ!」
「うるせぇ! マザコン野郎が!」
吼えた少年擬態者が優紀に向かって走りだす。少年擬態者は全身に強化改造を施されている。接近速度は常人ならば目で追うことすら難しい。
しかし優紀は動じない。
いま彼の感覚中枢は、仮面から発せられる音波刺激で変調をきたしている。その反射速度、認識能力は常人の数倍に達しているのだ。
優紀は開いた左手を突きだし、腰を落とした。
待ち受けて、カウンターで始末する。
衝突する寸前。
少年擬態者が飛び蹴りを放った。切断を目的とするかのような鋭い蹴りだ。しかし優紀の目には、そうは映らない。
「ダッセぇ」
少年擬態者の飛び蹴りは緩慢にみえる。ヒーローごっこに興じる少年そのものだ。
優紀は少年擬態者の胴を狙った。自身の躰を守るために脳がかける筋力のリミッターは、音波刺激がすでに切っている。踏みにじった軸足が路面を削る。
双方の蹴りが空中で交錯し――。
「グボァ」
くぐもった悲鳴とともに、水しぶきが放射状に散った。
少年擬態者の腹には優紀の短靴がめり込んでいる。少年擬態者の
対して優紀は身長一七五センチ体重六五キロの今年二十歳になった成人男性だ。
体格の差により、優紀の足が先に到達するのは、必然だった。
爆発にも似た音が響く。
吹き飛ばされた小さな躰がビルの壁面に衝突する。壁は大きくひび割れた。
少年擬態者は一拍の間を置き地面へ落ちて、ごぼり、と吐血した。
「タっくん!」
早乙女真奈美の悲痛な叫びが路地裏に反響する。
引き裂かれた白ワンピを手で押さえ、躰を震わせている。愛した少年が少年擬態者に取って代わられたことに、まだ気付いていないのだ。
無理もない。
擬態は、はた目には完ぺきだ。計画対象者の躰を3Dスキャナーで立体走査したかのように完全に再現する。ベテランの観察部員であっても目視判別はできない。
また、市民には逆光源氏計画観察計画に関する情報は秘匿されている。無自覚の計画者にして一般市民である真奈美が優紀に非難を浴びせるのは、当然といえた。
「きみは誰!? タっくんに何するの!?」
――こいつが誰かは、俺だって知りてぇよ。
優紀は無力感にさいなまれ肩を落とした。
守った相手に殺人者を見るかのような目で見られる。観察部の仕事で一番嫌なところは、保護直後に必ず訪れるこの瞬間にこそある。
優紀は首を左右に振って無力感を押し込め、振り向いた。
「ひっ」
仮面を見た真奈美が後ずさる。道理としては理解できる。
たったいま愛する少年を蹴り飛ばした男が、次は自分を狙おうとしている。とでも思ったのだろう。しかもその悪鬼は、スーツを着てヒーローものの仮面をかぶっている。どこからどうみても不審者だ。
優紀は喉元を押さえ、仮面の記憶改竄装置を発動させた。
「……おねぇさナイザー」
仮面から指向性をもった催眠音波が飛ぶ。人の耳では知覚できない重低音が、犠牲者の記憶野を刺激し記憶を改竄していく。
早乙女真奈美は計画対象者と少年擬態者の区別がついていない。いま見た戦闘は少年のヒーロごっこへと置き換えられるはずだ。
早乙女真奈美は恍惚とし、ゆらゆらと身体を揺らした。
「うぅぁ、タっくん。お兄さんに、お礼を言うんだよー?」
一筋の涎と鼻血が流れ、ぱたり、と眠りに落ちた。超重低音による音波振動が性的刺激を惹起した証である。本来おねえさナイザーは特定の性的嗜好を持つ者にしか効果を発揮しない。
しかし
街の住人、そして計画者として観察対象に指定される人物は、すべからくその性癖をもっているからだ。
すなわち、おねショタである。
優紀は喉元を押さえ、本部への通信を開始した。
「こちら優紀。少年擬態者一名を処理。計画者、早乙女真奈美の安全は確保しました。先輩は重症の模様です。回収、急いでください」
〝こちら本部、了解。回収班と救護班を回します。到着まで、その場で待機せよ〟
全くの無感情にすら感じられる交信相手の声に気が滅入る。
通信を終えた優紀は、即時変身装置の蓋をあけた。
「
再び炎が仮面を包む。消え失せたときには、しかめっ面だけがあった。
優紀は少年擬態者の上着を剥ぎ取り、早乙女真奈美にかけた。
トラウマにならなきゃいいんだけどな。
懐からタバコをとりだし、雨に濡れないように手で隠す。火をつけ深く吸い込み、ゆっくりと吐く。煙が細かな渦を巻き霧散した。
惰性で吸っている煙草を美味いと思ったことはない。それでも今日の煙草の味は、いつも以上に不味かった。
優紀は、とぼとぼと先輩の元へと戻った。
まるで何事もなかったかのようだ。戦闘のあった痕跡も、吐かれた血の汚れも、何一つ残されていない。本部の事態収拾部の手によって首尾よく片付けらていた。
優紀は安堵の息をついてポケットをまさぐり、社用車の鍵を取りだした。キャンディブルーの細い紐に指を通して、指先で回しながら車を探す。
社用車は人目につかないよう一般の車列に紛れ込ませてある。オランダ産の菓子類のようにカラフルな車列だ。その中程にある鍵と同じ色の丸っこい小型車がそれだ。
ドアノブを引き、人を小ばかにするような軽い電子音を聞き流す。
シートに沈み込んだ優紀は後部席からタオルを取って、濡れた髪を拭った。
「直帰して、シャワー浴びてぇ。無理かなぁ」
ため息を一つ。
「いいや、帰っちまえ」
優紀は鍵をハンドル横のキーレストに置き、ツイストノブを捻った。
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