第24話4月7日 最後の春
久しぶりに学校で会った柊也は、なんだか少しその存在がまるでこの世界から消えて無くなりそうな、そんな色をしていた。
あれは年が変わり、3学期の少し経った2月。突然に柊也が教室のドアを開けた。今でも忘れない、あの時のヒナちゃんの泣きそうな顔を。
『うちの病院に入院してるよ。だいぶ弱ってる。小さい不整脈が続いてるらしい。学校、しばらくは無理かもな。』
秋月からの話を聞いて、僕らは週に何度か病室を見舞った。そのうち何度かは眠っていることが多く、これも秋月の話では心臓がきちんと血液の循環を行えないせいなんだそうだ。たくさんの管に繋がれた柊也は、なんだか遠い存在に感じた。
「ヒナには、この姿を見て欲しくない」
そんな本人からの願いから、僕が病院を訪れていることはヒナちゃんには内緒にしていた。柊也が登校してくるまで、毎日のようにヒナちゃんは秋月に「今日の柊也の容態」を聞き続けた。
大きめのリュックと大きめのストールが一層柊也を小さく感じさせた。今までも使っていたものなのに。
入院中の課題を病院の暇な時間で消化したという柊也の成績は驚くほど問題なく、僕らは全員が無事3年生へと進級した。
クラス替えがないままの進級。前学年から思っていたが、このクラスには席替えがない。出席番号順、そして特段の申告のある生徒を優先にした席の配列。
一番後ろの出入り口の目の前の席が遅刻魔の柊也なのは出席番号なのか理由なのか。
去年、僕が戻った時間、あれから1年が経とうとする。あの日は確か入学式前日だった。その間、在学生は春休みが終わり始業式、そのすぐ後に合唱コンクールがある。入学式と同時に10年ぶりの高校生になった僕はその存在を全く知らなかった。
毎年、課題曲である校歌とクラスそれぞれが選ぶ自由曲。その二曲が歌われる。伴奏は吹奏楽部であるヒナちゃんだそうで、今年もそれは例外ではない。
3学期末の考査が終わった辺りから練習を始め約一ヶ月。
短い練習期間で本番を迎えた。
教室から体育館に移動を始める最中、前回と同じ、困った顔をしたヒナちゃんの姿が目に入った。嫌な予感がした。
「ねぇ、ヒナちゃん…」
こちらに振り返ったヒナちゃんの手には楽譜が握られていた。そう、一見何の問題も無さそうな。
「冬至。自由曲の楽譜が、ないの」
自由曲にみんなが選んだ曲は、最近流行りの歌謡曲だった。
曲が決まりなかなか楽譜が見つからない中、秋月がどこかからか楽譜を調達して来たのである。その時は、さすが大病院の息子だけあってツテが広いな、くらいにしか思っていなかった。むしろ、それが仇になった。伴奏の楽譜が紛失し、後間も無く本番。原本が無いのである。
「秋月、伴奏の楽譜…」
「ヒナから聞いた。考えは、まぁ、あるにはある。」
舞台袖で秋月に話しかけると、素っ気ない返事が来た。そのまま秋月は校歌の楽譜を片手に小さく震えるヒナちゃんに駆け寄り何か話し始めた。
一瞬、ヒナちゃんが秋月を見上げ、笑った気がした。
秋月は指揮者を兼ねる夏樹に何かを伝え自分の持ち場に戻っていった。そして間も無く僕らのクラスの出番となった。
1年生の入学式を控え、体育館には新2年生と新3年生しかいない。そして、ヒナちゃんの楽譜をどこかへ隠した犯人もここにしかいない。
沸々と込み上げる黒い感情は、この時間に来て、この仲間と過ごすようになって生まれたものだ。僕にはまだまだ彼らには敵わないが、秋月にも、遠くでカメラを構える柊也にも、指揮を振る夏樹にも、何なら森岡さんに到るまで、大事な友達を傷つけられたという感情はきっとあるはずだ。そして僕らは、彼女に頼って欲しいと思っている。いつでもその心構えは出来ているのに。
課題曲の校歌斉唱が終わり、次は自由曲となる。
「伴奏者の変更をお願いします!」
全校生徒に振り返り、夏樹が叫んだ。その発言にクラスだけでなく体育館中がどよめいた。
「山脇ヒナに代わり、横野秋月!お願いします!」
学校中が同じ人物を見つめた。ひな壇の最上段に立ち飄々とするその姿にはいつも近くにいながらも驚かされる。
ひな壇の階段を降り、端にあるピアノに向かう。何かに取り憑かれたように椅子から立てなくなっているヒナちゃんの横に立ち、秋月が全校生徒の見つめる中、ヒナちゃんの肩に手を置く。彼女の耳元でそっと呟かれたその言葉は、僕らには聞こえなかったがきっと僕らの思いと同じだったはず。必死に今にも涙が溢れそうになる目を見開き、彼女が舞台袖へと下がっていった。先ほどまでカメラを構えていた柊也が舞台袖でヒナちゃんを迎えているのが見えた。
秋月もそれを見ていたようで、ヒナちゃんを柊也が迎えたのを確認すると、ピアノに向かい夏樹に合図を送った。
夏樹が大きく指揮を振り、秋月の伴奏が始まった。
「あの楽譜、秋月が作った楽譜なんだよ」
ニッコリと笑って話すその頃の柊也は、久しぶりに登校したあの頃より幾分かは顔色は良かったが、今にも消えそうな色は変わらなかった。
「秋月、やっぱりそういうの目指してるの?」
「"そういうの"って?」
以前、音楽室で知らない曲を弾いていた話を柊也にした。
「どうなのかな。聞いたことないや。でも、秋月が体育祭以外であんなに自分から目立つなんて、人って変わるもんだねぇ」
そう言い、ニコニコと笑う柊也にホッとし入学式の準備に向かった夏樹とヒナちゃんの帰りを待った。
「失礼。横野君はお戻りですか?」
柊也の席で話していたすぐ横のドアから、久しぶりに見る城崎君がその顔を覗かせた。
「あ、生徒会長!お久しぶり。」
「やめてよー。そんな呼び方!気恥ずかしいからさぁ。で、横野君は?原田も知らないって言うんだけど。」
柊也がキョロキョロと周りを見渡し「わかんない」と答える。
「じゃ、戻って来たら伝言頼める?急なんだけど、明後日の入学式で在校生代表で挨拶して欲しいんだ。で、返事を悪いんだけど、5組の僕のところまでお願い出来ないかな?」
窓の外には今にも咲かんとする桜の木が連なっている。
爽やかそうに僕らに手を振り教室を後にする城崎君を目だけで見送り、僕らは今から始まる大きな何かに、その時はまだ気付けずにいた。
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