ファースト・コンタクト~その一~
夏がもう、すぐそこまで来ている。晴れ上がった皐月の、火星の空を見上げて、彼──高校二年生の篠宮奏志はそう思った。窓から吹き込んでくる初夏の風は爽やかで、降り注ぐ陽光は柔らかい。何か良いことが起こるような、そんな気がする──この頃ずっと鬱屈とした気分のまま、同じ毎日の繰り返しに辟易していた彼は、この爽やかな日の予感に胸を高鳴らせていた。早く授業が終わればいいのに──チラリと時計に目をやると、放課までは五分弱であった。
「それじゃあ、今日はここまで」教師の声が響くや否や、彼は足早に教室を出た。
「おい奏志! 待てよ! 」級友である大塚康二がドアの辺りで止めるのも聞かず、後ろ手を二、三度ひらひらと振ると、走り去っていった。
「何考えてんだろうな」康二の隣で町田が声を上げる。
「さあな、あいつとはかなり長い付き合いだけど、たまにわかんねーことがある」康二は大げさに肩を落とした。
奏志が息を切らしながらレールウェイに駆け込むと、彼の後ろでドアが閉まった。普段より一本早い電車の中、彼は胸が高鳴るのを感じていた。
「次は、九里浜、九里浜、お降りの方は、お忘れ物など、なさらないようにお願いします」やけにたわんだ車掌の声を聞くと、彼はゆっくり電車を降り、駅の改札を抜けた。彼が家路を半ばまで歩き、ふと顔を上げた瞬間、彼はこの奇妙な胸の高まりが予感していた「何か」に気付いた──
風になびく、肩口より少し長めに切りそろえられた髪──どこか物憂げな瞳をしきりにパチクリさせる様子──柔和さを湛えた微笑み──ほんの一瞬だったが、彼が恋に落ちるのには、十分すぎる程だった。今や彼の心臓は肋骨をぶち破ってワルツを踊り、決壊したダムもかくやのスピードで血液を送り出していた。
嗚呼、俺はこの瞬間を待って長く不毛な毎日を過ごしてきたのだ──奏志はずっと昔に忘れてしまっていた、とても大切な「何か」を取り戻し始めていた。だが、どうすればいい、この感情を、どう処理すればいい、彼は逡巡した。とにかく声を!声をかけよう! 一つの結論にたどり着いた彼は、止まらなかった。
「あの──」しかし、彼の声は突如として上空から響いた爆発音にかき消された。黒煙を引きながら、戦闘機が一機落ちてゆくのが彼らの眼にも映った。呆気にとられている彼らを尻目に、次々と戦闘機が空を舞う。さながら映画のワンシーンのような光景を奏志が目で追うと、その先には多数の「異形」が群れを成して飛んでいた。戦闘機が去ってしまうと、いつの間にかサイレンがけたたましく響きわたっていた。
「戦争だ」奏志はいつの間にか、そう、呟いていた。早く避難しないと……隣で何が起きたのかも分からずに震えている彼女の腕を掴むと、奏志は勢いよく駆け出した。シェルターまではおよそ四百m、何も起こらなければ、五分とかからない距離だ、奏志は隣を一度だけ見やると、足に力を込めた。
再びの爆発音に二人が足を止めていると、二人の二百メートルほど後方に「異形」が凄まじい地響きとともに着地した。恐怖に竦む足、最早進むことも退くことも能わなくなった二人の目の前で「異形」はその場でゆっくりと立ち上がる。もたげた鎌首には目のない頭、身体は黒く焼け爛れている。
「嘘だろ……」奏志のその言葉に呼応するかのように「異形」は一歩だけ彼らのほうに近寄り、幼児のような歯が並んだ口を大きく開け、液体を吐き出す、二人からほんの十メートルの距離にあった街路樹がじゅわっと音を立てて溶け落ちた。
「異形」は目標を定めなおすともう一度、液体を放った。奏志は彼女の腕を掴んだまま力強く一歩跳躍し、抱き合う形で路面に転がった。次は避けられそうにない、奏志は固く目を瞑った。
「大丈夫か少年! 」響く声に二人が見上げると、一機の鋼鉄の巨人が──AF(アサルト=ファイター)が「異形」ともみ合っているところだった。
「こちら第三AF小隊隊長、柿崎駿、民間人二人を保護しつつ対象と現在交戦中! 至急応援を頼む! 」そう言いながら柿崎は操縦桿を大きく引いた。腰のラックから引き抜かれた高周波ブレードが「異形」の腹部で火花を散らした。
「ぼさっとしてないで早くお嬢ちゃんを連れて逃げろ! この薄のろが! 」柿崎は声を荒らげる。奏志は弾かれたように立ち上がり、彼女を起こすと、再び走り出した。
「そうだ! その調子だ! 」柿崎は一歩踏み込み「異形」の懐に入ると、勢いよくブレードを突き上げた。胴を薙ぐはずだった一閃は目標を大きく外し、宙を裂いた。
「この腐れナス野郎! 」柿崎の怒号がサイレン、市街地から響く爆発音と合わさってこだまする中、二人はシェルターにたどり着いた。奏志が満身の力を込めて隔壁を開く、凛と張り詰めた一瞬の静寂、中に人はいない、これ幸いと二人は少し奥で腰を下ろした。静寂の中に二人の荒い吐息が浮かぶ。
「すいません、助けてくださってありがとうございます」彼女の声に奏志は狼狽えると同時に、腕を掴んだままであったことを思い出した。
「どういたしまして」奏志は答える。
「私は原嶋明希って言います」息を切らしたまま、明希は名乗った。
「俺は篠宮奏志です、よろしく」同じように息を切らしたまま、彼も同じように名乗った。しばらくして二人の息が整った頃、天井がどろどろと溶け落ちた。大穴から覗く「異形」の顔、静寂を切り裂く気の抜けた「ばぁ」という咆哮、二人は一目散にシェルターの奥へと駆け出した。建物の端まで追い詰められたとき、二人の目には希望が映った。
赤茶けた装甲、土埃にまみれ、ところどころが錆びた鋼鉄の巨人──AF-2、通称二五式が膝立ちのまま鎮座していた。さらにおあつらえ向きにコックピットにはタラップがかかっている。
「乗って! 」奏志は明希の手を引き、タラップを駆け上がる、
「大丈夫なんですか? 」
「免許は持ってます! 多少は動きますから、心配しないでください! 学校でやってる教練とおんなじです! 」奏志は答え、明希をコックピットに押し込むと、奏志はOSを起動した。
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