太陽は昇る

辻野深由

プロローグ

「これでよしっ」


 寒さと緊張感からか、言う声が震えた。愛生あいおい文香ふみかは、何度目になるかも分からない「これでよしっ」という言葉を、胸の奥で噛みしめる。


 どれだけやろうと、この独特の緊張感は拭えない。


 自分の手元を離れていった後でさえ、本当にこれで良かったのだろうか、と懊悩するのも毎度のことだ。一刻も早く解放されたいとこいねがうけれど、切実な思いは未だ実らない。


 かじかんで赤く腫れた両手を擦り合わせながら、はーっと息を吹きかける。そうして暖めるも一瞬。白銀の世界に溶けていく熱を惜しむように、文香は天を振り仰いだ。


 天気予報によれば夕方頃まではもつと言われていた空の曇天も、昼を過ぎた頃には水気まじりのぼた雪を落とし始めていた。


 誰もがしきりに帰路を気にし出す頃合いに、JRは運転休止を発表した。次々と地下鉄による振替輸送が始まるも、帰宅路につく人々は大混乱に陥っている。その混雑に巻き込まれながら、文香はやっとのことで郵便局に辿りつき、用を終えた。実家から三つ隣の駅に隣接する郵便局は雪の影響からか人も疎らで、ゆったりとした様子で仕分けの業務をしていた窓口の係員と「今日は寒いね」なんて会話をしながら簡易書留の手続きを済ませた。


 背後で閉じた自動ドアに向き直り、深く、そして強く祈る。


 これも何度目だろう。回数なんか覚えていない。数えればそれだけ惨めな気持ちになる。だったらやめればいいものを、験を担ぐ習慣にしているものは願いが成就するまでそうそう辞められるものでもない。


 絶対、今回はいける。今度こそ。


 根拠のない自信だ。そんなものは分かっている。それでも、自分だけは自分がやりきったことを信じてやらないといけない。


「……帰ろ」


 恒例になってしまった儀式を終えて、最寄り駅までの雪道を歩く。郵便局で手続きを済ませるまで間に、掘り進めてきた往路は新雪に覆われて跡形もなくなってしまっていた。


 降り積もる雪に罪はないのに、これまでの軌跡を理不尽に掻き消されたような憤りを覚えてしまう。なんでもない日常の一欠片に自分の境遇を重ねてしまうようになったのは、いつの頃から始まった癖だったろうか。


 本当に、どうしようもない。


 この悪癖が治るとしたら、燻ったこの気持ちが晴れるときだろうな、と文香は思う。


 だから。こんなところで、いつまでも立ち止まっていられない。


 大丈夫。


 大丈夫だ。


 ここまでやったんだから、報われて然るべきなんだ。


 絶対に届く。


 脚を前へ進める度に、文香はその思いを一層強くする。

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