第四章33話:最悪 - blessing In disguise -



 医務室での対話が終わり、フィアーはエルザに、魔物ではなく「フィアー・アーチェリー」と認められた。

 その後「艦の会議室にて話し合いが行われるから、ついてきてほしい」と告げられ、フィアーはエルザに連れられて廊下へと出る。


 ……手足の力が、すごく衰えているのを感じる。


 昏倒してからまだ一晩明けたばかりだというのに、フィアーは全身に虚脱感を覚えていた。

 まるで、長期療養明けの病人のようだ。


 だがしかし、1箇所だけ。


(……この手、だけは)


 異形と化した腕、それを動かすのにだけは煩わしさを覚えなかった。

 一番自身の身体のなかで異常の中にある、それだけが。


 そのことに違和感を覚えながらも、とにかくフィアーはエルザについて歩く。


 ……それにしても、と


 フィアーはずっと感じてたことを、エルザに聴く。

 エルザの手から伸びて、自身の腕に繋がるそれについて。


「エルザさん、これは……」

「手錠!」


 エルザは満面の笑みで返す。

 えぇ……と、流石に困惑するフィアー。

 しかしエルザもすぐに作り笑いを崩し、フィアーに対し頭を下げた。


「その、本当に申し訳ないんだけど……こうしないとね、ちょっと問題があって」

「この腕の、せい」

「うん……」


 正直、妥当な措置であるのは確かだった。

 エルザとは今こうして話し、自分が安全であることを証明できた。

 だがこれから会う赤鳳騎士団の面々は、禍々しく変貌したその腕を初めて見るのだ。


 どんな反応が返ってくるのか……正直、考えたくもない。

 もしも最悪、処刑されるなどということになったら。

 ……もしそうなるなら、どうしても確認しなければならない。


「あの、リアのことは」

「……捜索隊を編成して、周辺の捜索と不審なマギアメイルの痕跡の調査をしてる。ただ、一緒のタイミングでブラン団長も行方不明になってて……反乱軍基地への進軍も、一旦は止めて停泊しているところなの」

「ブランさんも……?」


 リアのこと以外にも大きな出来事が重なって起きているようで、思わずフィアーは面食らう。

 ……そんな事態になっているなら、もしかするとリアの捜索の優先度は下げられてしまうのでは。

 そんな不安まで、首をもたげてしまうほどには。


「とりあえず、皆のところにいこ!他の船の面々はともかく、アティネの皆とアルテミア姫には知っておいて貰わないと、面倒になりそうだし」


 ……それは、そうだ。

 少なくとも鎖で繋がれている今では、どうすることもできない。

 まずは皆からの信用を取り戻し、自分の足でリアを捜索できるようにならなければ。


 徐々に会議室へと近づくなか、フィアーは改めて、覚悟を決める。

 目前に見えてきた、その扉。

 その先にいる、好意的に接してくれた皆の顔を思い浮かべながら。



 ◇◇◇


「―――ということなので、一先ずご本人に登場頂こうかと思います!」

 努めて明るく振る舞うエルザの声が、自身を招く。

 それに倣って、会議室のなかへと歩みだす。


 だが……腕が、会議室のなかに入った瞬間。


「……あ、みんな」

「……」


 フィアーに、あまりにも鋭い視線が刺さる。

 それも、彼の顔にではない。誰もが、その異形の腕を凝視し、苦々しい顔を浮かべている。


 世界の外からきて、水晶界の世俗にも疎い彼にも、一瞬でわかった。

 ――今自分は、魔物と同じに見られているのだと。


 その場にいるのは、整備班や普段艦橋に詰めている騎士たちも含め、アティネに所属する騎士全員だ。


 その影には、客人であるトールの姿もある。

 ……彼女からすれば、反乱軍への進軍が保留にされてしまっていることは気が気ではないはずだ。

 そしてその一因は自分にもあって……恨まれているのではと、思わず悲観的な考えをもってししまう。


 そこで、エルザが手をパンッ、と叩き、切り出した。


「……みんな、言いたいことは多々あるだろうけど……フィアーくんは、フィアーくんのままなことはわかりました!拍手!」


 わざとらしく明るく振る舞うエルザ。

 しかしそれに対する騎士団の面々の表情は、当然浮かない。


「ちょっと、ほんとに大丈夫だったんすか隊長?噛まれたりとか……」

「バナム、言い過ぎ」


 フィアー相手にも、気楽に接してくれていたバナム。


 ――そんな彼も今、フィアーを野犬かなにかのように扱い、危険視している。


 周りの騎士たちも一様に顔を見合わせて何かを話していて、がやがやと騒がしい。

 そしてその尽くが、自分を受け入れるか、排除するかという話であるのだから、フィアーは不安を胸に抱かざるを得なかった。


 だがそのなかで。


「で、でも!」


 一人の少女騎士が、意を決して立ち上がる。

 エクラ、フィアーとも話したことのある、赤鳳騎士団第一部隊の騎士だ。


 彼女はおどおどとしながらも、頑張って言葉を紡ぐ。


「心まで魔物になってないってことは、これからも一緒にいられるということですよね、よかっ……」


 ……だが。


「――いますぐ、すべきだ!」


 そんなエクラの声を、遮るように。

 キュイーヴルの叫びが、会議室全体へと反響する。


「キュイくん、やめなさい」

「魔物は、魔物だ!我々人類とは、決して相容れない怪物、それに例外なんてあるはずがないでしょう!」

「キュイくん!」


 そこまできて、エルザが本気で怒りを顕にする。

 直属の上司の、本気の怒りを目の当たりに、さすがにたじろぐキュイーヴルだったが。


「……なんと言われようと、俺の、私の意見は変わらない」


 それでも、鋭い表情を緩めることはしない。

 そして真っすぐと、フィアーを睨みつけ。


「フィアー・アーチェリー。君は魔物で……私達の、敵だ」


 そう吐き捨て、静止を振り切りながら会議室から立ち去る。


 残された者たちはそれに気圧されて、黙りこむしかない。

 あれだけざわついていた会議室で今や声を上げるものはいなかった。


「はぁ……こうなるとは、正直思ったけど」

「……正直」


 そこにきて、バナムがつぶやく。

 だが……、


「キュイの奴は極端な例だけどさ、俺だって……フィアーのそれ、そう簡単に受け入れられねぇよ」

「――」


 あの明るく、いつも馬鹿騒ぎをしているバナムが、冷静にフィアーの異常性を提起する。


 そんな、一連の流れに。

 フィアー・アーチェリーは、ただただ絶句することしかできなかった。

 これまで、自分なりに関係を築けていたと思っていた。

 ワルキアの人々、赤鳳第一部隊の人々、ヘパイストスの人々、フリュムの人々。


 いろんな人と出会って、仲良くなった気でいた。


(……ボクは、馬鹿だ)


 全ては、勘違いだった。

 今まで皆が、優しく接してくれていたのは。


(リアの、弟だったからだ)


 誰に対しても温和で、すぐに仲良くなれて、快活な最愛の義姉。

 彼女が側にいてくれたからこそ、自分もその輪の中に入ることができていたんだ。


 フィアーは胸中で、自分自身にただただ絶望していく。

 今まで、フィアー・アーチェリーという人間は自発的に、誰かに関わろうとしたことがあっただろうか。


 ……いや、ない。なにひとつとして。

 今までの生活はすべてが受け身で、誰かに接してもらって初めて成立するコミュニケーションだった。


 何が、「感情が表に出ない」だ。


 同じように表情があまり変わらないアイナは、パートナーのバナムだけでなく部隊全員と絆を深めている。


 結局のところ、フィアー・アーチェリーは孤独だったのだ。

 それも、望んで孤独でいた。

 リアだけ居てくれればそれでいい……そんな、ぬるま湯のような考えをいだきながら。


 まるで幼児だ、とフィアーは、俯きながら脳内に反芻する。


 だって、まさしくそうだ。

 前世の記憶に囚われて、いつまでもお客様気分で……世界に馴染む努力を放棄した、哀れな。



「人形、だ」



 ◇◇◇



「はぁ……」


 夕暮れの空に、ため息が溢れる。

 あれから、一時間ほど。

 地獄のような空気に包まれた会議室から抜けたフィアーは、一人甲板に出ていた。


 ……エルザにかけられた手錠は、会議室の面々の衆人監視のなか外された。

 キュイーヴルの激しい糾弾の後だ、かえって冷静になった騎士たちはそれを見守り、止めることはしなかった。


 決して、認められたというわけではない。

 けれど、許容された。

 受け入れられるレベルの驚異だと、そうカテゴライズされただけなのだと、フィアーは理解していた。


 だから、一人でここにきたのだ。

 自分がろくに見てこようと、生きようとしてこなかった世界。

 ――「水晶界」のその光景を、改めて目に焼き付けようと。




 だが、そのとき。


「あ、いた」


 背後から声が響く。

 可愛らしい声に似つかわしくない、落ち着いたトーン。

 その特徴から、声の主が赤鳳騎士の一人「アイナ」であるとすぐに理解した。


「えぇと……アイナさん?」

「うん、わたしアイナ。一対一で話すのはじめてだね」


 その言葉に、ふとフィアーはそっぽを向く。

 ……ふてくされているつもりはなかった。

 けれど、今は人と話す気分ではなかったのだ。


 そしてそうしてすぐに、「こういう行動をしているから受け入れられなかったんじゃないか」と、自己嫌悪が湧いて出て。


「……何か、用?さっきキュイーヴルさんが行ったとおり、ボクは多分もう魔物で、きっと危ないよ」


 なんとか、言葉を返した。

 少し刺々しい言葉選びではあったが、その内容は自身の危険と、相手の安全を慮ってのものだ。

 そのことはアイナにも、すぐ伝わった。


「あぶないかどうかはわかんないけど、キュイ達のこときらいになってほしくなくて」


 そういいながらアイナは、甲板の端に腰掛けているフィアーの隣へとちょこんと座る。

 白い布地に赤い刺繍の入った騎士団制服が、夕焼け色に染まった。


 そして、アイナはぽつぽつと語りだす。


「赤鳳第一部隊のみんなは、ほんとはすっごくやさしいの。記憶喪失のわたしを受け入れてくれるくらい」

「記憶、喪失……?」


 そのワードに、フィアーは思わず反応する。

 だがそれに構わず、アイナは続けた。


「わたし、空から落ちてきたんだって。変な柱みたいなのに入って……」

「それ、ボクと同じ……!」

「え、そうなの?よくあることなのかな」

「いやそんなことはないけど……」


 空から落ちてきた、記憶喪失の少年少女。

 そんな、突然の符号にフィアーは目を見開く。


 まさか、同じ身の上の人がこんなに身近にいたなんて。


「赤鳳騎士団のみんなに拾われたんだけど、なにも覚えてなくて……覚えてたのは、「1」って数字だけで」


 同じ、同じだった。

 フィアーもそうだ。

 頭の中に焼き付いていたのは、「4」という数字だった。

 そして怪しげな研究施設と、白衣姿の男性がニタニタと笑いながら叫ぶ光景。

 それだけが、あの時のフィアーのなかに残された記憶だ。


「だから、アイナなの。アインで、それをもじって。これはバナムが付けてくれた……大切な名前」


 どこまでも、似たような話。

 だからこそ、そのすべてに共感できた。


(ボクにとっての、リアと同じだ)


 彼女にとっては、あのバナムがそうなのだ。

 まるで刷り込みのように……眩しい太陽みたいに、当たり前にそこにいてくれると思えてしまう相手。

 そして彼女にはそれだけではない。

 赤鳳騎士団に所属する、信頼のおける仲間たちも。


 狭い狭いコミュニティのなかにいた自分とは、およそスケールが違う。

 優しい、大切な仲間たち。


「そんなに優しいみんなだけど……魔物のことになると、人が変わっちゃうんだ。特にキュイはそれがすごくて」

「……」


 話の流れから察していたものの、キュイーヴルの名前がでた瞬間に思わず表情が曇ってしまう。

 彼が優しく、頼りがいのある人物なのはわかっているつもりだ。

 先の戦いや、アティネでの仲間たちとのやり取り。

 それを見ているだけで、彼が良い人間であるというのは当然、わかっている。


 けど。


「キュイ、家族を魔物に殺されてるの。奉公に出てた間に、住んでた街が滅んで」

「――」


 そんな彼でも、許容できないものはある。

 ――いや彼に限らず、誰にでもそれはあるのだ。

 それがこの世界の大多数にとっては「魔物」であり、転じて今の自分のこの腕でもある。


 それだけの、話だ。


「バナムも、お父さんが亡くなってて……エクラもお兄さんが。……きっと、ワルキアの人も、フリュムの人もみんなそんな経験をしてる」


 次々と、見知った人々の辛い過去を垣間見る。

 あの四六時中明るく笑っているバナムも、おどおどしながらも積極的で、優しいエクラも。

 きっと……知らないだけで、他の皆も。


「……テミスも、リアもきっとそうだ」


 今までの思い出が、一気にフラッシュバックしていく。

 そこですぐに思い出されたのは、自身もその決着に関わった直近の巨大な魔物被害、「魔龍戦役」。

 数多の魔物が飛来し、ワルキアの城下町は未曾有の大災害に見舞われてた。

 そう、あの恐れられていた魔物達と、今の自分に差異はきっとない。


「魔物を嫌うのも……ボクの腕を、気味悪がるのも、当然だ」


 俄然、落ち込むフィアー。

 考えれば考えるほど、皆との和解は不可能に思えてならなかった。


「でもね、きっと――」


 そこでアイナが、フォローの言葉を告げようとしたとき。



「見つけた、アイナ!と……」


 新たな来客が、甲板に現れる。


「バナム、さん……」

「フィアー……その」


 バナムは明らかに、挙動不審だ。

 いや、自分だって今きっとそうだ。

 そう思いフィアーは、居住まいを正してその場を去ろうとするが――、


「悪かった!!!!!」

「え――」


 ――バナムの迫真の謝罪に、思わず足が止まる。

 予想だにしなかった反応に、脳がフリーズしてしまいそうだった。


「さっき、言い方悪かったなって……本音だったんだけど、こう……」


 今まで見たことのないバナムの姿が、そこにあった。

 元気だが、遠慮がなく少し強引ないつもの彼とは違う。


 頭を下げ、誠意を持って謝罪の言葉を口にしていた。



「俺、頭よくねぇからさ、言葉があんま選べないっていうか……その、だから悪かった!」

「いや、その……全然、気にしてないよ」

「いや絶対気にしてるだろその態度!……ってこういう言い方がわりぃんだよなたぶん」


 どぎまぎしながらも答えるフィアーに、バナムは改めて向き直る。


 その目は、真っ直ぐだった。

 建前でもなんでもなく、心の底からの謝罪。


「別に、バナムさんのこと変に思ってないよ。むしろ素直に言って、謝ってまでくれて……ありがとう」


 それを受け入れ、感謝の言葉を口にする。

 今までとは、違う。

 自発的に他者と関わろうと、そう務めるフィアーの姿がそこにはあった。


 それに対して。


「……バナム」

「え?」


 呟いた声が聞き取れず、フィアーが聞き返す。

 すると、バナムは弾けるような笑顔を浮かべ。


「バナム、だ。呼び捨てにしてくれよ、さん付けとかむず痒いし!」

「バナムのことは雑に扱ってだいじょうぶだよ、ばかだし」

「誰がばかだ、せめてアホにしろ!」

「変わんないでしょそれ」


 いつもの、調子に戻る。

 恒例のアイナとの夫婦漫才だ。

 よく繰り広げられてるのを見ては、フィアーも微笑ましく思っていたそれに、思わず口角がほころぶ。


 ……そう、二人のことをフィアーは面白いとずっと思っていたのだ。

 なのに「接点がないから」と言い訳して、ずっと話しかけにいくでもなく閉じこもっていた。


 それが、こんなきっかけで仲良くなれるなんて。


「……ふふ」



「―――うそ」

「すげぇ!」

「……えっ?」


 何気なく口をついて出た笑み。

 それにバナム達は目を見開き、そして。


「お前の笑うとこ、初めて見た!」


「あ……」


 そう、叫んだ。


 ……そう、そうだ。

 今まではこんな当たり前な、「笑う」ということすらできなかった。

 もしこれが腕の魔物化と、マギアメイル『異訪者』によるものであるなら。


「……今のたぶんボク史上初めての満面の笑みだから、覚えておいて二人とも」

「覚えとくって?」


「自分じゃ、見られないから」


 すべてが、悪いことばかりじゃない。

 最悪が、新しい風を呼び込んでくることもある。

 そう前向きに捉えることも、時には必要なのかもしれない……そう感じながら、フィアーはそのまま二人と団欒を続けたのだった。


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