第八幕、開帳

「もとより覚悟は完了している。ツェオ、決着をつけるぞ」

「忘れていたくせに!」


 ヘレネーの攻勢防壁ファイヤーウォールに弾かれ、空中で6枚のはねをひるがえして体勢を整えた少女は、怨嗟をもって叫ぶ。


「おまえは、忘れたくなかったのか」

「違う、違います! 私は、私が忘れて欲しくなかったのは──ッ!」


 ヘレネーが、ツェオの隙を突くようにして背面へと空間転移する。

 だが、純白の少女は、それを間髪入れずに迎撃、撃墜してみせる。

 未来予知にも等しい演算。

 このままでは、どのような手段をもってしても、ゲオルグが目的を達することは不可能であるように思われた。

 簡単な理屈である。

 ツェオは、ただ時間を稼げばいいのだから。

 あと200秒もしないうちに、彼女は世界樹エメト・オリジン──その中核であるメフィストを掌握し、現生人類すべてを滅ぼす力を手に入れるだろう。

 そうなれば、メフィストは崩壊し、ツェオを人間にする方法は皆無になってしまうのだ。

 星の雫たるゲオルグ・ファウストと、世界のくびき──観測基点であるメフィストが揃っている状況でなければ、奇跡のような必然は起こりえないのである。


「だから!」


 稲妻の軌道を描いて這い上がったヘレネーが、両腕を魔獣のあぎとに変えて、ツェオへと吶喊とっかんする。

 小さな手を大きく開いて、ツェオはそれを受け止めるが、ヘレネーは攻める手を緩めない。

 背面から無数の手足を生成し、文字通り手数で押し切ろうとする。

 僅かな焦燥に顔を歪めたツェオが、背面の翼、そして尻尾を起動。

 破壊の嵐となったそれが、ヘレネーへと殺到する。

 ツェオの顔面で爆発。

 その眼が裏切られたような色に揺れた。

 ゲオルグの放った炸裂弾頭が、次々にツェオへと命中していく。

 彼の手のなかで棺桶が反転──レールカノンが装填される。

 ヘレネーが力技に出た。


「ああああああああああああああああああああああああああああ!」


 雄たけびを上げながら、彼女は殺到する翼と尻尾を掻い潜り、ツェオへと肉薄。

 おのれの尻尾を掴みとると、少女の胸へと突き立てるべく振りかぶった。


「────」


 おそらく。

 おそらくその瞬間が、多くの物事の分かれ目であった。

 レールカノンの射出体勢に入ったゲオルグ──その視界が、ノイズに歪む。

 トドメとばかりに全霊を賭すヘレネーは、その変化に気が付かない。

 そして。


 そして──歌う、ツェオ・ジ・ゼルが。



「第一幕から──〝戯曲・孔雀石の小箱パーヴェル・バージョフ〟──汝が命は、蒼き霧によって散華するもの!」


 その首筋にある鋼鉄の首輪が、世界樹の紋章が煌々と燃え上がる。

 脊髄に突き立つアンプルが、青、赤、金、そして虹色へと変貌を遂げる。

 最大の限界稼働。

 肉体も、それ以外もすべて使い潰し燃焼させる、最大の攻勢プログラム。

 指示式の暴走が巻き起こる。

 少女の矮躯わいくを包み込む蒼い粒子。

 だが、放射されたのは黒い光だった。

 重力子の渦が、一帯のすべてを蹂躙する──


「ゲオルグ!」


 ヘレネーが叫んだ。

 ゲオルグは跳躍していた。


     ──その視界は、いまだノイズの乱れに支配され──


 ツェオの眼前に迫った彼の肉体を、幾つもの黒い光が貫き、ネジ切り、血煙と変える。

 左手が撃ち抜かれ、ぐるりと体が反転、右足が消し飛びさらに逆回転、各所が潰され、まるでダンスを──死ぬまで続く、絶望の舞を踊るように、彼の身体は翻弄されて。

 それでもゲオルグは止まらない。

 燃え上がる赤い右手。

 鋼鉄の右腕を振り上げ、ツェオを砕くために振りおろし。


 ──ガクリと、その身体が動きを止める。


 驚きに、彼は目を見開いて──


「──星の雫は心臓に宿るもの。だから。だから──それ以外は、不要ですよね、ゲオルグ?」

「────」


 彼女の言葉を、ゲオルグが聞き取れたかどうかは、どこまでも不確定だった。

 放たれた漆黒の〝穴〟が、彼の四肢を、そして頭部を根こそぎにしたからである。

 世界を見詰め続けていた彼の眼が、壊れてしまったのだ。

 ぐちゃりと、ゲオルグだったモノが地に落ちる。


「ゲオルグ……?」


 呆然と、ヘレネーは呟いた。


「これって、失敗じゃないの……?」


 純白の少女が、けたたましい笑い声を上げた。


「タイムアップです──私の主人マイスター!!」


 そして、世界が終焉おわる──

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