第3話 背伸びたね

 翌日も、その翌日も、愛花は僕の昼休みに合わせてゲーセンで僕を待っていた。平日の正午から始まる、五十分に及ぶマイファイ指導は、もはや日課となっていた。

 僕の教え方が上手いのか、愛花に才能があるのか、それとも両方か。それは分からないが、結果的に愛花は見る見るうちに成長していった。

 僕が教えた事をスポンジのように吸収し、自分なりのアレンジを加えながら戦闘スタイルを確立させていく。ストライクも満足に入れられなかった素人ピッチャーが、僅か数日の間でフォークもスライダーも自在に操っているようなものだ。

 もちろん僕が負ける事はないが、最初みたいにパーフェクト勝ちする事はもう出来なくなった。この短期間で大した物だ。

 しかし、僕には一つ気がかりな事がある。もうすぐ夏休みが終わってしまうのだ。そうなると、愛花はもうこの時間にゲーセンには来れないだろう。かといって、土日に家族をほっぽらかして、ゲーセンで他人の子と遊ぶわけにもいかない。こうして教えられるのもあと僅かだ。


「キリがいいし、今日は終わりにしようか。ジュース飲む?」


「あ、はい。頂きます」


 席を立ち、店内の自動販売機で缶コーヒーとオレンジジュースを買った。よほど喉が渇いていたのか、愛花はオレンジジュースを一気に飲み干し、ぷはーっと気持ちよく息を吐いた。


「師匠。明日も来れますか?」


「ん? ああ、多分ね。何で?」


「明日、あいつに挑戦しようと思います。夏休みが終わったら、もう師匠と時間が合わなくなってしまうでしょ? その前に師匠の立ち会いの下、あいつと決着をつけたいんです」


 おっ、いよいよか。そのために今まで特訓してきたんだもんな。僕もせっかくだから、二人の勝負を見届けたいと思っていたところだ。


「分かった。必ず応援に来るよ。相手がどんな奴か知らないけど、愛花ちゃんはあれから大分腕を上げたから、きっといい試合が出来ると思う」


「はい! 頑張ります!」


 僕はニコリと笑って、残りの缶コーヒーを喉に流し込んだ。愛弟子の特訓の成果が、明日明らかになるわけだ。何だか僕まで緊張して、ワクワクしてきたな。




 翌日。僕はいつも通り正午と同時に会社を飛び出し、ゲーセンへと突っ走った。愛花のライバルは一体どんな奴なのか。そして試合はどんな結果が待ち受けているのか。期待で胸が膨らむ。


「ん? あれは……」


 ゲーセンの前に立つ愛花。……と、愛花によく似た、僕と同い年ぐらいの女性。多分母親だ。今日はお母さんと一緒に来たのかな? まさか、ライバルというのは母親だったのか? いや、そんなわけないか。愛花は自分の母親をあいつ呼ばわりするような子ではない。

 僕はハッとなった。まさか……娘が知らないおじさんとゲーセンで遊んでいると知って、それで僕に文句を付けに来たのか? 最近はあまり気にしていなかったが、やはり大の大人が小学生とゲーセンで遊ぶのはまずい事なのだ。どうする……今日は帰ろうか。

 しかし、愛花の方が僕に気付いてしまった。僕に向かって手を振っている。仕方ない……。

 僕は自転車を停め、気まずそうに二人の元へ歩み寄った。


「師匠、こんにちは」


「初めまして。娘がいつもお世話になってるそうで」


「あ、いえ……僕は別に大した事は……」


 参ったな……。言ってる事や口調は穏やかなものだが、その目は明らかに僕を警戒している。

 まあ、娘を持つ親としては当然の事だけど、正直きつい。目を逸らしたら余計怪しまれると分かっていても、逸らさずにはいられない。頼むから通報だけは勘弁してくれよ~……。


「……新堂君?」


「えっ?」


 突然名前を呼ばれ、顔を上げた。愛花もキョトンとした顔で、僕と母親を交互に見ている。この母親は、僕を知っている?


 ……!


「もしかして……麗子か?」


「やっぱり新堂君だ! うわぁ、久しぶりだね~!」


 驚いた。いろいろな意味で驚いた。約二十年ぶりだ。すぐには分からなかったのも無理はない。お互いに変わってしまった部分もあれば、あの頃のままの部分もある。

 そして、道理で愛花と麗子が重なるわけだ。ゲーム好きで負けず嫌いなのは、見事なまでに母親譲りだったという事か。僕は何も知らずに、かつての友人の娘の師匠になっていたわけだ。偶然というものは本当に恐ろしい。

 そしてもう一つ驚いた事。男女という事を考えれば当然の事であるが、かつて見上げていた麗子を、今では頭半分ぐらい麗子を下に見ているのだ。身長差自体はあの頃と何も変わらない、十五センチ。

 でも、今ではすっかり逆転してしまっていた。その事を、麗子も思い出したようだ。


「新堂君。背伸びたね」


「ああ……中学の頃、一気に、ね」


 何となく余所余所しい口調になってしまう。あの頃はお互いあんなにギャーギャー騒いでたのに。麗子も僕のことを呼び捨てだったのが、今では君付けで話し方も穏やかになっている。これが、大人になるっていう事なんだろうな。


「あの頃の友達は大体皆引っ越しちゃったんだけど、新堂君はまだこの町に住んでたんだね」


「まあ、引っ越す理由もないからね。そういう麗子こそ、とっくにいなくなっちゃったと思ってたよ。どこのゲーセン行っても会わなかったから」


「お母さん、師匠とお友達だったの?」


 愛花が割って入ってきた。麗子は愛花に笑顔を向けて頷いた。何か変な言い方だけど、お母さんっぽくなったな。


「うん。子供の頃、よく遊んだんだよ」


「全然知らなかった……。何か運命みたいなの感じちゃうね」


 運命……か。確かに、初恋の相手とこんな形で会うなんて、人生を百回繰り返してもそうそう起こる事じゃないだろうな。

 もっとも、だからと言ってこれから何か進展があるわけでもない。僕も麗子も、今はそれぞれの家庭を持っている。現実はフィクションのように、なかなかロマンチックにはいかないものだ。


「おーい、竹内ー! 来てやったぞー!」


 後ろから愛花を呼ぶ少年の声。どうやら、愛花のライバルのお出ましのようだ。僕は後ろを振り向き、その少年の顔を見た。


「……は?」


「あれ? 父ちゃん、こんなとこで何やってんの?」


 息子の龍太郎……。てことは……えっ、まさか。噓だろ? 僕は口を開けっ放しにしながら、愛花の方を見た。愛花の口も開いていた。


「し、師匠。師匠って、新堂のお父さんだったんですか?」


 これも偶然……のはずだよな。初恋の相手の娘を弟子にしただけでなく、自分の息子と戦わせるために特訓してきたというのか? いや、ただ観戦に来ただけかもしれない。一応確認してみるか。


「お、お前こそ何でここに?」


「その竹内に呼ばれたんだよ。今日こそマイファイで俺に勝つとか言うから、返り討ちにしてやろうと思ってさ」


 やっぱりそうか……。何てこった。麗子もこの展開には驚きを隠せないようだ。まさか僕の息子と、麗子の娘が戦う事になるなんて、夢にも思わなかった。


「えーっと……とりあえず中に入りましょうか? ここじゃ暑いし」


 麗子が沈黙を破り提案した。そうだな……別に中止にする理由は何も無い。それにしても、この場合僕はどっちを応援するべきなんだ? 煮え切らない気持ちのまま、僕はエアコンの効いた涼しい店内に入った。

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