【たまのかんざし】

 ――『夕暮れに 伸びる影見て 君に添う たまのかんざし くゆり満つ駅』



【ちょい短編】

 夏休みが終わって、再び行き来するようになったいつもの駅。空一面に綺麗なオレンジ色の夕焼けが広がる時間帯は人の往来も激しそうなイメージだが、ここのホームに立つ人の数は疎らだった。


 私は黄色い線の内側で、恋愛小説を読みながら電車を待っていた。


 私と同じくらい……学生服を着て通学するのも最後の年となった男女が、ちょっと刺激的な恋模様を展開する目の離せない物語。


 ――壁ドン……からの顎クイ?

 ――おでこコツンですか?

 ――ひぃぃ、床ドンなんてそんな!


 奥手なのに好奇心だけは旺盛な私には、恥ずかしくてドキドキする事ばかり――。


 私は本に夢中だった。夢中過ぎて周りを全く見ていなかった。

 あの人が少し遅れてホームにやって来た事も気付かずに。


 キリ良くエピソードが終わったところで、私はふと視線を前に投じた。線路の上に影が二つ。一つは私で、右側のもう一つは……チラリと見れば、あの人のもの。小説を読んでいた時よりも胸が高鳴った。私の脳内キャストによる小説の主人公は、私とあの人だったから。


 会話を交わした事は無い。挨拶すら無い。

 でも、ずっと憧れていた。だから名前だけは知っている。浩輔くん……例の恋愛小説に出てくる男の子と同じ名前だった。


 浩輔くんは半袖のシャツを更に上の方へ無造作にまくり、コンビニの袋と学生カバンを器用に持って右肩に担ぎながら、左手でスマホをいじっていた。もちろん、私の存在など眼中に無い。だから、私が意識してチラチラ横目で見ても全然気づかない。


 夕暮れ時の人影は、とても細長く見える。

 私の影は、線路を突き抜けて反対側のホーム手前まで伸びていた。少し間隔を空けて浩輔くんの影がある。実際には、けっこう離れているのに……伸びた影は私たちの距離をグンと縮めていた。


 私は立ち位置を少し右にズラした。

 私と浩輔くんの顔が近づく。ちょうど恋人同士が夕焼けを背景にキスシーンを始めるような雰囲気。近い近い……もう少しでくっついちゃう!


 ゆっくりと……体重を右脚に乗せてみる。

 うん、そう! もう少し! ちょっとだけ両足の踵も上げよう!



 ――二人の顔が重なった。



 影だけど、ちょっと嬉しい。

 奥手の私には、これが精一杯……はぁ、なんだか熱い! まだまだ夏だわー。


 ふと、甘い香りが私の鼻を擽る。この近辺で盛んに咲いている「たまのかんざし」の香り。ちょうど今が咲き頃で、夕方から夜を通して咲くという変わった花。私の大好きな花。


 その花の香りが、風に乗って駅のホームに満ちている。あっ! 今、浩輔くんも深呼吸したのが見えちゃった。浩輔くんも好きなのかな……この香り。



 ――ねぇ、浩輔くんも好き?



 話しかける機会なんて、いくらでもあるのに……臆病な私には、せいぜい影を使って遊んでいるのが関の山。私は軽くため息を吐いて視線を影から外し、再び恋愛小説の続きを開いた。次のエピソードは……う、腕ゴールテープ?


「にゃははは……」


 私は照れ笑いを隠すために、小説を読んでいた見開きの部分に顔を埋めた。チラリと浩輔くんを見れば……やだっ! こっち見てる!――【了】




【ひとこと】

 ちょいと嬉しい事がありました。

 気分もノッていたので、なんとなく句のイメージを短編にしてみました。


 タマノカンザシ――。


 ギボウシという名で葉っぱに特徴を持った植物があります。

 タマノカンザシは、その一種。八月から九月にかけて白い花を咲かせ、花の形は細長く、芳しい香りを放ちます。通常のギボウシは、朝に咲いて夜に萎む一日花なのですが、タマノカンザシは夕方から開花して朝に萎む一夜花。葉姿も美しく、鑑賞用に広く栽培されているようです。 (^―^* )



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