訪問者たち

鷲峰すがお

訪問者たち


 私は情報の偏りを無くすため全国誌を5誌購読している。目覚めのコーヒーとともにそれらを一通り眺めるのが毎朝の日課となっている。私はガスの火を止めタイマーできっちり1分間計って沸騰したお湯を冷ます。豆には一家言有る。そこらの専門店でセレブや小生意気な趣味人のために並べ立てられている豆では満足しない。私は違いの解る男なので、犯罪現場の些細な不自然さを見逃さないベテラン刑事のようにスーパーのチラシを見比べ、ネスカフェゴールドブレンドが一番安く購入できる店まで、まだ走るという理由だけで乗り続けている愛車を走らせる。脱走者に気づいた刑務所の非常ベルのようにけたたましくタイマーが鳴った。私はティースプーンできっちり2杯分ネスカフェをカップに入れお湯を注ぐ。スティックタイプの砂糖とミルクを入れかき混ぜる。近所のファミリーレストランから謝礼としていただいたものだ。私は犯罪を許さない男であるが、小さな犯罪には寛容な心を持っている。


 穏やかな天気で気持ちの良い朝だった。いつもより20円も安くネスカフェを入手できる情報を得た。BGVとして流していたテレビの星占いで私の星座が一位だった。私のツキもそこまでだった。まるで拾った馬券が当たったような不運な朝はそのチャイムで始まったのだ。

 朝の平穏なひとときを切り裂いたチャイムの主は、歳の頃が20代半ば、中肉中背、Tシャツジーンズ姿でヤンキースのキャップを浅目に被っている。彼は訪問を告げる最初の挨拶を済ませウエストポーチから何やら取り出した。頭の中で警戒音が鳴り響く。名詞だった。

「リデュース・リユース・リサイクルのグリーンプロジェクトカンパニー、取締役社長」と記載された怪しげな名刺を受け取った。裏には「R.R.R. G.P.C. C.E.O.」とそれだけではなんのことだかさっぱりわからないアルファベットが9つ並んでいた。私は名刺と彼を見比べ、次の展開を待った。

「朝早く失礼します。僕はこの度上京したばかりで会社を立ち上げました。まだ設立間もなく取引会社も少ない状態ですのでこうして各家庭を訪問しております。何かリサイクルできそうな物ないでしょうか? 例えばいらなくなった家電製品やTV・オーディオから古新聞古雑誌などでも結構です」小さくても若くして社長か。上京したばかりにしては訛が無い。きっと商売のため努力して直したのであろう。私はこの青年に好感を持ち始めていた。

「うーん。うちにあるのはまだ使えるし。古新聞と空きペットボトルならあるけど」

「それで結構です。どれくらいありますか?」

私はキッチンの隅に束ねた古新聞約10キロ分と45リットルのごみ袋いっぱいに入ったペットボトルを玄関に運んだ。

「ご協力ありがとうございます。これは謝礼です」といって2パックの洗剤を右手に置いた紙袋から取り出した。

「いや、どうせゴミだし、そんな謝礼なんていいよ」私は本心から口にしていた。まだ開業間もない零細起業家にとってはたかだか洗剤でも貴重なはずだ。

「そんなわけにはいきません。今後のおつきあいのためにもお受け取りください」

なるほど。家電製品はともかく古新聞やペットボトルで良いならいくらでも協力できそうだ。私は遠慮なく赤に水色の渦巻模様のパッケージをした洗剤を受け取った。

「それでですね。初対面で図々しいかもしれませんが、私も開業したてでまだ軌道に乗せるのに精一杯でして、事業成功を応援していただけないでしょうか?」

「えっ?」

「リサイクル業務に関連して私は新聞社と提携しておりまして、1ヶ月で結構ですので新聞契約していただきたいのです。既にご契約されているようなので必要ないかもしれませんが私の事業のささやかな応援ということで私を助ける気持ちでどうかお願いしたいのですが」

 私は衝撃を受けた。そういうことだったのか。結局ただの新聞勧誘なのだ。それを複雑なストーリーを組み立て、上京したての零細起業家を演じて情に訴え、先に謝礼を渡して断りにくくする。日々複雑になっている世界を私は実感した。

「日経新聞をご契約されていますか?」渡した古雑誌をちらりと眺め青年は訊ねた。朝日と読売の文字を確認したのだろう。

「もうとってるよ。朝日と読売と毎日とサンケイと日経。新聞はこれ以上必要ないよ」私は抵抗を試みた。ここでまたいつものように負けてはいけない。有名どころの全国誌は押さえてしまった。流石にこれ以上必要ない。ガンバレオレ。

「日経流通新聞はどうですか? 自動車から日用品まで企業の製品最新情報が載っていますよ。モノマガジンてありますよね。流行り物の商品やかっこいい生活スタイルに必要なグッズなど満載の雑誌。あれの新聞版ですよ。雑誌より最新の情報でしかも手軽です。株おやりになりますか。インテリそうだから興味はあるでしょう? トレーダー必読の新聞ですよ」



2 


 私は彼の満足そうな頬笑みを想い起こした。私の手にはたった今交わされた契約書が徴兵を知らせる赤紙のようにうらめしく収まっている。半ば無意識に出した大きな溜息を途中で飲み込んだ。男は溜息などつかない。フィリップ・マーロウは窮地に立たされた自分自身にさえ皮肉なセリフで突き放す。そしていつも他人より損をする道を選ぶ。時として数回会っただけの単なる飲み友達のために警察の留置所に入れられる。誰もが目を見張る夢のような女から甘い誘いを受けても職業倫理を優先する。私は敬愛するマーロウに従って損な道を歩んでいるに過ぎない。

「あいつが六本木ヒルズに社を構えるようになったら、破格の条件で転職させてもらいな。営業」言い忘れていたが私は普通の会社員で営業部に所属している。私は冷めてしまったコーヒーを飲みながら契約書で紙ヒコーキを作る作業に取り掛かった。

 

その朝2度目のチャイムが鳴り響いた。と同時に頭の中で再度警告音が鳴り響く。次の訪問者は私に何を持たらすのだろうか? どうせなら雨に打たれて9mmパラベラムバレットとルガーP08を右手に茫然と立ちすくむ友人であってくれたら。「まあ落ちつけよ。コーヒーでもどうだ?」と気のきいたセリフも言えるのだが。とりあえず快晴ではムードが半減するけれど。

 私は先の教訓を生かし魚眼レンズで相手を確かめた。どうやら二人組の女性のようだ。一人は30代半ばで清楚な格好をしている。レンズのせいで顔が伸びきっているが決して悪くないと思われる。もう一人は20代半ば、押さえ気味のゴスロリという格好でこちらも悪くない。私は胸の高鳴りを意識した。チャンドラーの小説なら、マーロウは遠まわしの皮肉を投げかけ、数秒後に意味を咀嚼した相手が真っ赤になって怒り出し、捨てゼリフとともに去っていくといった展開になるであろう。私はマーロウの進化系だ。そんな道は選ばない。

「いないみたいね。次行きましょうか?」ドアの向こうでくぐもった会話が耳に届いた。私はあわててドアを開けた。

「はい。なんでしょうか?」

「あ、お早うございます。朝早く失礼します」

「お早う」私はなるべく低音を心がけ、3割の頬笑みを浮かべながら相手の会話途中に挨拶を挟んだ。10割だと馬鹿みたいだし、5割だと警戒するだろう。うん、ベストな選択だ。私はたった今マーロウを超えた。

 年配の清楚子がバックから9mmではなく30mmほどの筒状に丸めたチラシを取り出し、私の方へかざした。家屋やビルが崩れた写真が掲載されている。

「私たち先日の××で起きた大地震の被災者に対する支援活動を行っているのですが政府の協力を得ようと署名を集めております。ご協力願えないでしょうか?」春の穏やかな日差しを背にして頬笑みながら丁寧な言葉使いで訪問の意を述べた。

まあそんなところだろうとは思っていたのでさほどショックは無い。毛が満足に生え揃っていないガキならいざしらず、このくらいの展開は織り込み済みだ。署名ぐらいならいいだろう。念のため前段に書いてある文章を読んだが先ほど聞いた内容だった。詐欺のたぐいではないらしい。

「いいですよ」私は頬笑みを5割に引き上げ人の良さをアピールした。この後の展開によってはお知り合いになれるかもしれない。2人とも年代は違えど魅力たっぷりの女性だ。どちらでも相手になるぜ。いや、むしろどっちも相手になるぜ。「念のため文言を読ませてくださいね」私はゴスロリ子から受け取ったバインダーに挟まれた文書を読むふりをしながら、どうにか仲良くなる算段を頭の中で弾いた。名案は思いつかなかったが数行の文章に時間をかけていてはおつむの弱い人か薄情な人と誤解される恐れがある。私は文書の名前欄に記名した。最初の記名者だった。私はキッチンの流しの上に置いたさきほどの洗剤を眺め、また星座占いで一番だったことを思い出し、今朝はトップづいているなと思った。私はバインダーを返す際、ゴスロリ子の手と触れてしまった。決してわざとではない。そんな姑息なまねはしない。無意識下の行動までは責任持てないが。ゴスロリ子は少し顔を赤らめ「失礼しました」とか細い声で答えた。途端に9割に跳ね上がった頬笑みレベルを私は意思の力で即座に1割に落とした。

「こちらこそ」

「ご協力ありがとうございます。それで支援金を募っておりますのでこちらもお願いします」清楚子が透き通るような声で話しかけてきた。

 私は衝撃を受けた。そういうことだったのか。結局ただの募金活動なのだ。初めに署名くらいならと思わせ協力させる。次に募金の旨を伝える。初めから募金では断る人も多いだろう。ユニセフなどの信頼おける機関でない限り、被災者に必ずしも有効利用されるとは限らない。しかし署名をして募金を断ればケチな男の烙印を押されてしまう。刻々と巧妙になっている世界を私は実感した。

 私は部屋に戻って財布を持ってきた。小銭を出そうとした瞬間明らかに二人の幻滅レベルがマックスになったのを見て私は千円札を取り出した。


 2人を送り出した後ドアを閉め私は溜息をついた。今回は止めることができなかった。一勝一敗。これでイーブンだ。




その日、3番目の訪問者は警官だった。私の胸は高鳴った。そろそろ出勤の時間にさしかかってはいたが相手が警官ならば仕方ない。警官にうまい皮肉を浴びせて初めてマーロウ道の免許皆伝というものだ。ここで逃げてはいけない。今こそ日頃訓練しているウィットに富んだ皮肉を構築するのだ。

「○○さーん、いらっしゃいますかー、警察でーす」魚眼レンズで確認すると制服を着た人の良さそうなおまわりさんが立っている。よれよれのスーツにするどい目つきの私服刑事ではない。

相手にとって不足なし。私はドアを開けた。

「朝早くすみません。この自転車おたくのですよね」ドアの横に立てかけてある愛車を指さしてやつは訊問してきた。

「困るんですよね。苦情がきちゃって。ここアパートの通路でしょ。ちゃんと自転車置き場あるじゃない」

「あ、スミマセン。もうすぐ出勤なのでここに持ってきたんです」

「またまたぁ。いつもここに置いてるんでしょ? 昨日も置いていたんでしょ?」

「そんな昔の話は覚えちゃいない」私はチャンドラーと双璧をなす名セリフ満載の映画「カサブランカ」からボギーのセリフを引用した。もちろん聞こえるか聞こえないか微妙な大きさで。

「え?」

「いえ、なんでもありません。すぐにどかします」

私はあと5分ほどで出勤するにもかかわらず、裏手の自転車置き場へ愛車を移動した。

玄関に戻ると既に警官の姿はいなくなっていた。挨拶するひまも無かった。私は数あるマーロウの中でも最高とされる名セリフを噛みしめた。

「警官にさよならという方法はまだ見つかっていない」


 私は会社の始業時間に遅れそうで焦っていた。まだ乗れるというだけの理由で乗り続けている愛車の荷台に鞄を入れ全速力で駅に向かっていた。駅前の自転車置き場まであと50メートル、腰を少し浮かしたその刹那、突風に煽られバランスをくずし転倒してしまった。なさけない。自転車で転倒なんて何十年ぶりであろうか? スーツのひざ部分が擦れてしまっている。着替えに戻らなくてはいけないな。これで遅刻は確定だ。「トップうづいてるじゃないか、営業」私は自分に向かって毒ついた。不器用な男を演じるのも決して楽ではない。傍を通りかかった2人組の女子高生が転んだ私を見て笑っていた。


(了)


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