ギルモアヘッドの『神の国ライブ・ツアー』

なるかみ音海

ツアー初日 高天の原

第1話    

 おぎゃあと生まれてこのかた20年、おれはいまだかつて味わったことのない緊張感に包まれていた。額には脂汗がにじみ、ノドもカラカラだ。心なしか足が震えているかもしれない。

 おれはへんな服装をさせられていた。古墳時代の人間が着ていた、腕と足をひもでくくっただぼっとしたやつだ。首には勾玉まがたまの首飾りをかけ、顔には赤の顔料で意味不明の模様。そして肩から特別あつらえの五弦ベースを下げ突っ立っている。

 ちらりと横を見ると、やはりおれと同じような古代人の服を着せられた妹の理子が、ただでさえ大きいその瞳をさらにまんまるに見開いていた。顔のペインティングならまだしも、あまつさえその髪の長さゆえにみずらというのだろうか、顔の両端にぐるぐる巻に髪をくくられていた。理子は微動だにせずまっすぐに前を見つめ、おれの視線には全く気付いていないようだった。彼女もまたおれと同様に特別製の7弦ギターを与えられていた。そしてそのネックを握り締めたまま、ただただその時を待っていた。

 さらに視線を後ろへ向けると、これまた彼のために造られた重厚なドラムセットに善太がその若干太り気味な体を収めていた。善太はおれたちとは違い古代人の服装を拒否し、タンクトップ一枚と短パンで座っている。あのひらひらした服では叩けないと駄々をこねたのだ。その代わりとして青の顔料で全身に不気味な文様を描かれた善太はまるで前衛舞踏家のようにも見える。おれと目が合った善太は笑おうとしたらしいのだがうまく表情を作ることができずむしろ半ベソのような顔になっていた。

 おれは再び視線を前方へ向けた。夢にまでみた大観衆の前での演奏である。少なくとも3千人・・・いや3千柱はいるだろう。これがまともなステージならアドレナリンが激流のようにおれの体を駆け巡り、おれは信じられないほどの演奏とパフォーマンスをしていただろう。だが、この状況はまともじゃない。

 俺の目の前の群集はそもそもこちらを向いてはいない。視線はおれたちと同じ方向を向いており、従っておれから見えるのは甲冑をかぶった後頭部ばかりだ。前方には険しい岩山がそびえ立ち、大きな川がそのあいだにとうとうと流れている。

 彼らはみな武人の埴輪のような甲冑を着込み、太刀を帯びている。十握とつかつるぎというそうだ。なかには槍を持ったもの、弓を握るもの、銅鏡を手にしているものもいる。そしてヒノキで造られたステージの左右にはPAアンプはなく、巨大な狛犬がぜいぜいと息をしながら両端に一頭ずつ鎮座ましましている・・・いったいおれは何を言っているんだ。

 何なんだこれは。どうしてこうなった?

 話を一ヶ月前に戻そう。



 おれと、3歳年下の理子の兄妹はライヴハウスを経営する家庭に生まれた。そのため小さい頃からおれはベース、理子はギターというように自然と楽器を手にするようになったのだった。そしておれたちのいとこであり、理子と同い年の善太をドラムに誘って、おれたちは小学生で早くもバンドを結成したのだった。

 その名は『ギルモアヘッド』。

 親父がピンクフロイドの大ファンで、メンバーのデイヴ・ギルモアという名前をおれは小さい頃からよく耳にしていたのだ。「ギルモア」という響きがカッコよかったのと、やっぱり親父が好きだったトーキング・ヘッズにあやかってその名をつけた。

 最初はディープ・パープルやツェッペリンなど、小学生にしてはあまりに渋いチョイスのコピーバンドをやっていたおれたちだったが、やがてレッドホットチリペッパーズを知ったおれは猛烈にスラップベースにハマり、それに伴ってバンドもハードロックからファンク/ミクスチャーサウンド方面へと音を変えていった。環境のおかげで他にも様々な種類の音楽を吸収したおれたちは中学生の時点で早くもギルモアヘッドとしての音を確立していた。

 おれたちはどんなスタイルも対応できたが、力強くタイトでファンキーなビートを刻む善太のドラムに、俺のバキベキというスラップが絡んでいくのが基本だった。そしてその上を理子の、時には軽やかで、時には稲妻のように鋭いギターが駆け巡る。ヴォーカルはおれがメインだが、曲によっては理子が歌う時もある。伸びやかなハイトーンからデスヴォイスまでこなすおれのヴォーカルと、まるでビョークのように変幻自在に声を操る理子が同時にシャウトする様子は親父いわく「世紀の鳥肌もの」らしい。

 そうやって育ってきたおれたちは定期的に親父のライヴハウスに出演し、少しずつ知名度を上げていった。ただ、おれの大学受験と理子・善太の高校入試が重なった二年間はほとんど練習や演奏をすることが出来なかったため、ギルモアヘッドの活動も停滞を余儀なくされた。その間募るフラストレーションをなんとか抑え、ようやくここ数ヶ月で本格的にライヴをこなすようになったのだった。まだまだ道のりは遠いが、ギルモアヘッドはいずれ世に出るバンドだとおれは確信していた。



 ライヴ活動を再開して三ヶ月ほど経ち、おれたちがようやく五〇人を超える動員を記録した6月のことだった。

 「大山武雄さん」

 下北沢のライヴハウスの片隅で楽器を片付けていたおれは突然フルネームで呼ばれた。

 振り向いたおれはあっと声を出すところだった。そこに立っていたのは紺地に白の猫のシルエットをモノグラム風に散りばめたワンピースをまとった俺と同い年くらいの一人の女性だった。

 彼女はついさっきのライヴで後ろの壁際にもたれかかり、おれたちの演奏を熱心に見ていたのでよく覚えていたのだ。

 と、いうかその丸顔にやや垂れ気味の二重まぶた、薄い唇、ロングヘアというあまりにおれ好みの顔立ちなので、おれはなんとか彼女にいいとこ見せようと、いつもの5割増しの勢いでライヴをこなしたのだった。

 「は、はえ」

 カッコよく振舞おうとして逆にまぬけな返事をしたおれを笑うでもなく、彼女は一枚の名刺を差し出した。

 「あの、わたしこういうものなんですけど」

 そこには


 「天の御柱芸能社  マネジメント担当  音立 華」


 と書かれていた。

 「天のおんちゅう・・・?おんだち・・・」

 「いえ、あめのみはしらって、読むの。ふふ、大体の人は読めないのよ。なんだか古臭い名前でしょ。あと私の苗字はオトタチ」

 「は、はあ」

 おれはなんといっていいか思いつかなかったが、オトタチが初対面なのにだいぶくだけた態度で接してくるのでひそかに舞い上がっていた。

 「えっと・・・そのオトタチさんが一体何の用?」

 「オトタチでいいよ。ここに書いてあるとおり、わたし芸能プロダクションに勤めてるのね。ウチの会社はある資本が最近立ち上げたんだけど、まだ所属アーティストが少なくって。それで、私は日々、色々なライヴハウスを巡って将来有望なバンドを探しているの」

 にっこりと笑いながら話すオトタチの鼻筋の美しさにおれは感心しながら、会話を続ける。

 「有望なバンドって、ひょっとして、おれたち?」

 「もちろん。そうじゃなきゃ声かけないよ。今日のライヴ観させてもらったけど、なかなか凄かった。まだみんな若そうなのに、上手いしね。曲もいろんなタイプがあって飽きないし、タケオ君のヴォーカルもよかったよ」

 タケオくん、と透き通る声で呼ばれたおれは完全に目尻が垂れ下がっていたに違いない。そうしているうちに、妹の理子がそばにやってきた。

 「お兄ちゃん、誰?こんな美人の知り合いいたっけ?」

 「あっ、あなたが理子ちゃんね。初めまして。私オトタチといいます。わたしあなたたちをスカウトにきたのよ」

 「えぇー!ホントに?マジで?お兄ちゃん、そうなの?」

 「う、うん。おれも今話を聞いたところだから。おーい、善太あ」

 おれはニヤけ顔を理子に悟られないように顔をそむけ、善太を呼び、オトタチに紹介した。

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