第30話 初めての作品
次の日。
1日6時限もの長い授業を眠気に堪えながらなんとかやり過ごし、ショートホームルーム、掃除当番を終えると、僕はさっそく部活に向かうことにした。
「ゆかりちゃん、部活に行こう!」
同じく掃除当番だったゆかりちゃんを急かすようにして部活に誘うと、ゆかりちゃんは意外そうな顔を僕に向けた。
「へぇ…… 嫌々ながら入部した美術部に、晶くんがこんなに熱心になるとはねぇ…… 正直、驚いた。猫だかイカだかわからない絵しか描けなくても、もう美術の楽しさに目覚めたのかしらん?」
クスクスと笑いながら、僕にからかうようにして言う。
「そんなことはどーでもいいだろ。早く行こうよ!」
僕は、ゆかりちゃんのカバンを持ち、彼女の腕を取って教室から連れ出す。
「ちょ、ちょ、ちょっと晶くん。そんなに急がなくても部室は逃げないわよ」
「部室は逃げなくても、部活動の時間は待ってくれないだろ」
そう言いながら、僕らが仲良く部活に行く姿を見送る同級生たちを横目で見ると、頭の上のロウソクは、例のごとく嫉妬の炎で赤く燃え上がっていた。それも最近では男子だけでなく、女子の頭の上のロウソクも真っ赤に燃え上がっている。
(うわぁ…… このままだと男子だけじゃなくって、女子にも嫌われそうだ……)
などと思いながらも、今日の僕は、クラスメートの心情などさして気にもならなかった。それもこれも、昨日、部活であーでもないこーでもないと試行錯誤を繰り返しながら、ゆかりちゃんと一緒に写真の加工編集した転写絵の出来が気になって仕方がなかったからだ。
昨日、下校時間寸前で出来あがった写真を急いでキャンバスに貼り付ける作業にかかった。
作業自体は簡単で、加工した写真にジェル・メディウムっていうアクリル樹脂系の画用液をまんべんなく塗る。このジェル・メディウムっていうのは、大川部長によるとアクリル絵具に混ぜてツヤ出ししたり、絵具を盛り上げたりする他に、強い接着力があるのでコラージュ製作には最適だとかなんとか言っていたけど、僕にとってはチンプンカンプンで何のことやらさっぱりわからなかった。
そのジェル・メディウムを加工写真の上にたっぷり塗ってから、B5版のノートほどのサイズのキャンバスを乗せて密着させる。ちゃんと貼り合わせないとキレイに絵が転写できないということなので、ここは念入りに作業した。そして、写真が剥がれ落ちないように、僕とゆかりちゃんのキャンバスを板を挟んでから小型の万力みたいな道具で固定させた。ジェル・メディウムが完全に乾燥するまで半日ほどかかるそうなので、出来上がりを見るのは次の日に持ち越しになった。
そして今日、僕の初めての作品が出来上がる日になる。
「失礼しまーす!」
ゆかりちゃんを引き連れた僕は、勢いよく美術室のドアを開けた。
中に入ると、僕らを微笑みを持って迎えてくれる人がいた。
「わーっ! 千里先輩、今日は来てくれたんですね! うれしい!」
僕が挨拶をするよりも早く、ゆかりちゃんがイーゼルの前にいた朝霧先輩に飛びつくようにして挨拶を交わしていた。
「二人とも昨日はごめんなさい。テレビ局の取材が急に入ってしまったもので部活に出れなくなってしまいました。本当なら新入部員を歓迎しないといけなかったのに、大川君に任せっきりにしてしまって……」
朝霧先輩が申し訳なさそうに謝ってきた。それを見て、僕は慌てて昨日のケーキのお礼を言って、改めて挨拶を交わした。
「先輩、謝らないでください。先輩がお忙しいのは大川部長から聞かされていますし、差し入れのケーキまでご馳走になっちゃって、逆にお気を使わせてしまってすみませんでした。これからよろしくお願いします」
僕は深々と頭を下げると、にこにこ顔の大川部長が、
「朝霧君、有望な後輩が2人も入部してくれたおかげで美術部の雰囲気が明るくなったよ。僕も美術部に来るのが楽しくて仕方ないよ」
本当に嬉しそうにして話す大川部長の頭の上のロウソクは、興奮を表す黄色い炎を大きく燃え上がらせていた。
朝霧先輩もにっこり笑って、
「山崎君、こちらこそよろしくお願いしますね。絵についてわからないことがありましたら、わたしに遠慮無く聞いてください。その他の美術に関しては、大川君のほうがずっと詳しいので大川君から教えてもらってくださいね」
朝霧先輩の頭の上で光る銀色のロウソクが、先輩の微笑みのせいで余計に眩しく見えた。
「それはそうとして、千里先輩この本の山はなんですか?」
ゆかりちゃんが作業台の上を指しながら、積み上げられた本について尋ねた。
「ああ、これね。これは、今、手がけている宗教画の作品の資料よ。本職の牧師様の依頼なので、背景や服装や調度品、その土地の風土や風習などに手が抜けられないの」
そう言いながら、朝霧先輩は、イーゼルに掛けられたキャンバスを僕達に見せてくれた。
その絵は、完成にはほど遠く見えたが、横になっている女性とその脇で見守る男性、そして、二人の間に桶のような入れ物に入った赤子が描かれていた。
「イエス・キリストの誕生の絵なのですが、キリストの誕生には諸説あって描くのが大変なんです……」
「キリストの誕生って、あの馬小屋で産まれたっていうやつでしょう?」
すかさず、ゆかりちゃんが尋ねると、
「それが、聖書には『赤子を布に包んで飼い葉桶に寝かせた』とありますけど、馬とは書かれていません。その当時のユダヤでは、馬は一般的ではないらしく、家畜といえば主に羊を指していたらしいので、馬小屋ではなく家畜小屋としたほうが正しいのかもしれません。ですが、当時の家畜は洞窟を利用して飼われていたようなので、イエスも洞窟で産まれたという説もあります。それに世間一般では、イエス・キリストは12月25日に産まれたとされていますが、聖書の記述や文献を調べますと9月~10月の間に産まれたことがわかっています。産まれた場所が違えば風景も変わりますし、時期も違えば着ていたと思われる服装も変わりますから、描く方は大変です。最終的には、牧師様とお話しして決めることになりそうですけど……」
と、朝霧先輩は、困った顔でそう言った。
なるほど。だから人物の表情は描かれているのに、周囲の景色や人物の服装がまったく描かれていないのか、と、僕は朝霧先輩の話しで納得した。
でも、描かれた産まれたばかりの我が子を見つめる母親の顔は、慈愛に満ちた表情をしていて赤子に対する愛情がすごく伝わった。僕は、この絵が完成したら素晴らしいものになるだろうなと思った。
絵を前にして、僕とゆかりちゃんが思い思いに感想を述べていると、朝霧先輩と一緒に話しが盛り上がってしまった。
そこへ、大川部長が会話を遮った。
「はい、そこまで! あまり話し込むと朝霧君の創作活動の邪魔になってしまうからね。それに君たちには、作りかけの作品があるはずだよ。それをまず仕上げようか」
大川部長の静止に素直に従って、僕らは作品の仕上げに取りかかることにした。
大川部長は、小型の万力で固定されていたキャンバスを取り外し、僕とゆかりちゃんに手渡した。
「何を作ってるの?」
朝霧先輩が興味深そうに尋ねてきた。
「転写絵です。私達がそれぞれ自宅から持ってきた写真を加工したものなんですよー」
ゆかりちゃんが嬉しそうに答える。
「クラフトアートですか。いいですね」
朝霧先輩のその言葉に、僕は尋ね返した。
「クラフトアート? ってなんですか?」
「クラフトアートとは、手芸品・民芸品・工芸品などの工作物の総称です。手作りアートとも言われますね。私は、苦手で作ったことがありませんけど」
「そうなんですか! てっきり、朝霧先輩は、美術全般が得意だと思ってました」
僕が驚いた表情を見せると、
「まさか。絵は得意ですけど、私は不器用で簡単な工作物もちゃんと作れたことがないんですよ。クラフトアートなら、大川君の専売特許と言ってもいいくらい、大川くんは手先が器用で上手になんでも作れちゃうんです」
「へぇ、そうなんですか!」
僕とゆかりちゃんが尊敬の眼差しで大川部長を見ると、
「なんでもっていうわけじゃないけど、大概の物はできるよ」
大川部長は、照れながらもそう答えた。大川部長の頭を見ると、朝霧先輩に褒められたせいか、ロウソクの炎の色が真っピンクに変わっていた。まんざらでもないのかも。
朝霧先輩と大川部長に見守られながら、僕とゆかりちゃんは、キャンバスに張りつけられた写真をゆっくりと引き剥がした。
実物の写真よりちょっと淡い感じの絵になったけど、それが逆に印刷物と感じさせなくて良く見えた。
「なかなかいいですね。それぞれ、なんの写真を題材にしたのですか?」
朝霧先輩が、僕とゆかりちゃんの作品を関心して見つめている。
「僕のは、沖縄の離島の写真を加工しました」
「私は、うちの猫のフーの写真を使いました」
自分でも言うのもなんだけど、なかなかの出来栄えだった。
「山崎君の作品は、印象派のモネ風ですね。ゆかりさんの作品は、猫ちゃんにスポットライトがあたっているような感じがレンブラント風になってますね」
朝霧先輩の言う、モネやレンブラントがどんな人物なのかわからなかったけど、それぞれの作風を作る洋画家なんだろうなっていうことだけはわかった。
「キャンバスまま飾ってもいいけど、それだと味気ないだろうから、絵をキャンバスから切り取ってこの額縁に入れてみようか」
そう言って、大川部長が僕らに小さい額縁をくれた。
大川部長がそれぞれの絵に合わせてくれたのか、僕のは白木でできた額縁で、ゆかりちゃんには、焦げ茶の額縁だった。
一旦、絵を止めてあったキャンバステープを剥がしてから、絵をキャンバスから外して、それから額縁に合わせて絵をカットする。
額縁の裏のパネルを外してから絵を入れ、再度パネルをはめ込んで固定した。
「おお!」
僕は、思わず声が出た。
「二人とも、なかなかいい出来だね」
大川部長もほめてくれた。
「まるで本物の絵画のような出来栄えですよ」
ゆかりちゃんも朝霧先輩に作品を褒められて、満面の笑みで喜んでいる。
僕は、額縁に入った絵を目の前に掲げて、再度じっくりと見た。
(これが、美術部での僕の最初の作品か……)
僕は、なんか嬉しくなって涙がちょちょ切れそうになった。
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