くる死い

たま

第1話

 30歳の誕生日を迎えた時、私の身に起こった出来事は非現実的であり、退屈な日常を過ごす者には刺激的で羨ましがられるに違いない。

しかし当事者たる私からしてみると、その瞬間はまさしく運命的なものであったに違いないが、決して明るい展望を抱けるようなものではなかったのだ。

 1Kの賃貸アパートの一部屋、ひとり寂しく迎えた誕生日の虚しさを味わいたくなかった私は、黙々と床に入ろうとしていた。

誕生日は楽しい日だと思っていた遠い過去が懐かしく思い出される。

さて朝起きてから、誰からも祝われることのない誕生日をどう過ごそうか。

半身を敷き布団に潜り込ませ、陰鬱なさあ電気を消そうと思った矢先に、それは、いつの間にか現れていた。

「誕生日おめでとう」

 潰れた蝦蟇がひり出したような声は、久しく誰にも伝えていないはずの私の誕生日を知っていたうえに、祝いの言葉をかけてくれた。

その不気味な声の主は、布団に入った私の下半身を股下に通すように立ちはだかり、その顔が好く見えるように腰を引く。

 落ちくぼんだ眼孔に嵌る酷く白濁した眼、鼻があるべき場所に空いた穴。解放的な鼻腔であることが分かった。

耳は熟練の柔道家の潰れた耳を、さらにくしゃくしゃと揉みしだいたような、感触を確かめたいと触ってみたくなるほどに柔らかさそうな印象を与えてくれる。

まるで都市伝説などの噂話に聞くような口裂け女のように口が頬から大きく裂けて、気味の悪い笑顔を浮かべている。口から覗く歯は、野良犬の牙よりも不衛生そうで、吐息に混じりかすかに腐臭すら漂わせていた。

 私の眼前に映るのは、それらのパーツで表情を作る、毛髪はすべて溶け、皮膚が焼け爛れてしまったかのように紅色に近いピンクの筋繊維を剥き出しにした酷い顔であった。

「ありがとうございます」

 困惑、動揺、恐怖、さまざまな感情が一度に脳内を巡り、やがて妙な冷静さを取り戻した私はそう返した。

 酷い顔の、おそらく男らしき者は、簡潔に自己紹介と目的を述べる。

「私は死神で、あなたに誕生日プレゼントを差し上げに参りました」

 男は確かに死神を称しても説得力があったのだ。黒い牧師服のような衣装に身を纏うだけでなく、被るソフトハットも、飾りのないブーツも、所々が擦り切れた手袋もすべて黒い。

首から下げている白い頸飾りは、人の歯をいくつも繋ぎ作られた、非常に悪趣味なアクセサリーだ。

 さらに彼をよく観察すれば、背にはカラスのように真黒で美しい翼を備えており、まさしくそれこそ彼が人間ではないことを説明する最も有力な証拠である。

「はあ……それは、ご苦労様です」

 もはや私は、死神を名乗る男に会話を合わせようとすることで精いっぱいであった。

 彼に聞きたいことは山のようにあったのだが、それを言葉として紡ぐことはとても出来なかったのだ。

 恐ろしい威圧感を放つ外見。彼が本当に神だからなのか、不思議と抱く畏怖の念。そして、死神が自分の下を訪れたという不穏な予兆から連想される、目を背けたくなるような推測。

 一般的に死神という存在は、良いイメージを持たない存在だ。その名の通り、死や破滅、人生の終わりのモチーフとして捉えられる。つまり私は、彼に話を聞かずとも、彼が私に与えるという贈り物が何であるのかを、予想してしまっていたのだ。

 冷静にしているようで、その言葉の裏に隠された恐怖心は、やはり神たる存在にはすっかりと見抜かれてしまっていたのであろう。

 死神は、私の予想を確かに裏付けてくれたのだ。

「そう、あなたは死にます。プレゼントとは、死の宣告です」

 再度、私は精神的なショックを受けた。しかも、ほんのわずかではあるが、心構えができていたにも関わらず、やはり自身の死を絶対的なものとして決定されるというのは、耐えがたいものであるのだ。

「そうなんですね」

 思考が定まらず、無意識に返した言葉であるが、その声には震えが混じり込んでしまった。

 やがて、悲しい感情が脳を支配し、眼球から涙という水分がぽろぽろと零れ落ちていく。

 自分の人生を振り返り、楽しかったことや嬉しかったこと、悲しかったこと、印象的だったことを懐かしんでいると、次に私が考えたのは、最後の瞬間はどう過ごそうか、ということであった。

 以外にも私は、その宣告をすんなりと受け入れてしまったのだ。

 もとより将来的な希望や夢、目標もなく、これまでただ漠然と生きていた私にとって、このように死を約束されることは、ある意味催事的で、人生に見切りをつけることができる救済であったのかもしれない。

 そんな妄想に取りつかれていた私を見かねたのか、死神は説明する。その言葉に、僕は三度目の精神的なショックを受けることになるのだ。

「いえいえ、すぐにではありません。あなたが死ぬのは、あと約624日。1年と8月半程度が経ってからです」

 妄想を膨らませていた所に、急に氷入りの冷水を頭から被らされた気持ちになる。

「ええ、すぐではないのですか? それに残りの人生の期間、とても中途半端ではありませんか?」

 間抜けた声で質問を重ねた。すでに、私の心中では先程まで抱いていた畏れなどは薄れ、自身の妄想を打ち砕いた事由の詳細を仔細聞きだしたい衝動に駆られていた。

 死神は説明を続けた。

「はい。すぐではありません。残りの生の刻(いのとき)も、あなたが死を迎えた時点では、とても歯切れのよいものとなります」

 今一、釈然としなかった。なぜ、私なのか。なぜ、プレゼントをするのか。質問は止まないが、死神はいくつもの質問に対し共通の解答をするのみであった。

「それを知っても、あなたの運命は変わりません。考えるべきは理由ではなく、これからどうするか、ですよ」

 その言葉に私は憤慨したのだ。まったく、どういうことだ。神というのはなんて横暴なヤツなのだろう。質問のひとつにすら、まともな答えを示さないのだ。

 死の宣告による精神的な超克を経た私の精神は、陰湿に渦巻き、あまのじゃく的態度を取らせる。始めは、単なる強がりにすぎなかった。

「じゃあ、その予定調和を破ります。死の計画よりも早く死にます」

 反抗期の子供のように、悪態と共に吐き捨てられた挑戦状は、驚くことに、死神の好奇心をくすぐってしまったのだ。

「へえ、そんなことを言われるなんて思いませんでした。それは、とても面白い提案です」

 その反応に、今度は私が呆気に取られてしまった。

 機嫌を損ねるか、それとも逆にそれを聞いてこれを好しと思った死神が、人の破滅を愉しむ本性を露わにして即座に命を狩り取らんとするばかりに思っていたのだ。

 拍子抜けした私に死神は言う。

「もしあなたの思惑通りに、死の計画を狂わせられることができれば、あなたの勝ちです。人が神に抗えるかどうか、ぜひ挑み、そして自身の無力さに嘆くとよいでしょう。あなたの生の刻が尽きるその瞬間まで、絶対にあなたは、死にませんから」

 絶対に死なない、そのように宣言された私には、強い一つの信念が心に宿っていた。神の加護を受けた時間を利用して、善行に励むわけでも、悪行に手を染めるわけでもない。

「死にます、必ず」

 死ぬために生きる、珍妙な残りの人生の目標を掲げた私の宣誓に対して、死神は一言返し、その姿を夜闇に溶けるように消した。

「どうか、苦しんで」


 幻想的なひと時であったが、これが夢でないことをはっきりと認識するために、私は早速首を吊った。

ご丁寧に麻の縄などが用意されているわけでもないため、さきほど風呂上がりに使用した、湿り気の残るバスタオルを工夫して天井からぶら下げ、書き物机を死の階段代わりにした即席の絞首台を準備する。

 心の準備もすることなくタオルの縄を首に巻きつかせ、机から体を宙に投げた。自重でタオルが首に食い込む。

 どんどんと息苦しくなっていき、そして意識が遠のいていくが、結果的に私は完全に死ぬことはできなかったのだ。

 プラン、プランとだらしなく宙に揺れていたのであろう体に、やがて生命の活力が戻り、覚醒した意識を取り戻していくと、再び窒息による呼吸困難の苦しみが襲いかかってくる。

 確実に死に、そして死神の言うとおり運命を果たすために生き返ったに違いないことを確認できたため、すぐにでも苦しさから解放されるために暴れていると、ようやく結んだタオルの先端が解けて、私は勢いよく尻餅を衝いてしまった。

 誕生日に、首を吊り、死んで、生き返って、その際に垂れ流した自身の糞尿を処分する羽目になるとは、この世で自分しかいないだろうと思うと、なぜか失笑が零れる。

 どうやって死のうか、死神が悔しがるような最高の死を迎えてやろう。死神の翼のような暗黒色の未来に想いを馳せて、就寝するのであった。

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